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「コミュニティに所属し必要とされること」福祉の新しい形

※ この記事はゼミの教材で「福祉のミライ」の授業に使ったものを編集して使用しました(著作者の先生の許可はとっています)

■福祉とは

福祉の語源を探ると「福…しあわせ」+「祉…さいわい」=「福祉…しあわせ・幸福」であり、英語圏では福祉=WELFARE =WELL( よく・充分に) +FARE( 旅をする)となります。つまり、福祉はより良い人生や幸せに生きるということになります。

皆さんにとってより良い人生・幸せな人生とはなんでしょうか。「お金があり好きなものが買えること」「好きなことを好きな時に出来ること」「好きな人と一緒に過ごすこと」etc. 色々な幸せが考えられます。それぞれの幸せの中から1 つだけしか選べないとしたら、幸福になるために、より良い人生を送るために、最低限必要なこととは何かを今日は考えてみたいと思います。

■私の妻のはなし

私の妻は障碍者です。33歳の時に脳静脈奇形からくる脳出血で倒れました。脳出血で倒れた時には、しゃべることもできず、動くこともできずの状態でした。そこから、治療やリハビリを続け、6か月後には言語障害・数的能力の低下・右半身の運動能力の低下はあるものの、退院することが出来ました。

その後6か月間リハビリを続けましたが、障碍は残りました。右半身の感覚が戻らず自分の目で動きを見ないとどう動いているかわからない状態。電話だと家族にも通じない言語能力。その時、障碍者申請はしませんでしたが、申請すれば間違いなく障碍者1 級の状態でした。( そこから10年後もっと回復した状態で申請した時に1級でした) 医者からも「それ以上回復の見込みはない」と言われ、家事から育児まですべて私が行う覚悟をしました。仕事は忙しく、子供は小学1 年生、どうしたものかと途方に暮れたことを今でも覚えています。

妻の退院後は、妻の介護や子供の世話、さらには仕事と必死で動いていたのですが、なかなか上手くいきません。今まで料理もまともに作ったことのない私が家事全般を行うことに無理を感じていました。そんなある時、妻が食事作りを行うと言い始めました。寝たり起きたりの生活だったため、心配したのですが「きちんと子育てをしたい」という思い、きちんとした家庭にしたいという思いで私を説得してきました。

それから、妻は毎日、朝2時に起きて朝食とお弁当作りを始める日々がスター トしました。7時の朝食に間に合わせるために、動かない体を動かして、2時から5時間の格闘が始まったわけです。朝食づくりが終わったら夕食作り…夕食が作り終わった7時ころには就寝し、私が帰るころには息子が待っているという状態でした。買い物は小学生の息子が担当し、私は若干の家事手伝いは行いますが、ほぼ仕事に専念できる環境になっていました。PTAなどには参加できませんが、言語も段々と復活して、運動機能も向上してきているように見えました。妻や妻の主治医に確認すると、右半身の感覚は全く回復しておらず、言葉も変わっていないというのですから、良く頑張ったと思います。

その後、子供が東京に行き、犬を飼い始めると、散歩や買い物までも行けるようになっていきました。今も朝3時に起きて( 前より調理が上手くできるようになり1時間短縮しました) 私のお弁当と朝食づくりの日課は変わらず、続けてくれています。主治医にその話をすると「その体で良くできるね」と驚かれます。そのような妻に心から感謝すると共に、人って凄いと思います。


「ねえ、なんでそんなに動けるの」と妻に聞いてみたことがあります。その時には「だって、お父さんはやってくれないじゃない」「私がやらないで誰がやるの」と返されてしまいました。「妻を動けるようにした自分の『ぐうたらさ』が妻を直した」と、妻に自慢すると「バカ」と冷たく言われてしまいました。

さて、このような妻を見て、私は「コミュニティに所属し必要とされること」が人の幸せなのではと、心から思います。退院後、食事を作り始めるまでの妻は、まるで駄々っ子のようでした。突然癇癪を起してみたり、泣いてみたり…。でも、私たちの食事を作り始めてからの妻は辛そうでしたが活き活きしていました。まるで水を得た魚のように元の妻の性格に戻っていきました。また、犬を飼い始めた時からは、家族のように犬を可愛がり、障碍を持ってから20年間できなかった散歩、さらには買い物まで出来るようになりました。

私から必要とされ、息子から必要とされ、犬から必要とされ、家族というコミュニティがやる気を作り、そのコミュニティから必要とされたことが妻を動かしたと考えています。

■私の母のはなし

さて、次ですが、私の母の例です。私の母は75歳になりました。30代からリュウマチに苦しみ、やはり障碍者手帳を持っています。しかし、昔の人なので障碍者年金ももらわずに私達兄弟( 妹と2 人兄弟です) を育ててくれました。私達子供も30年前には独り立ちして、今は首都圏で一人暮らしです。( 私は地方都市に住んでいます) 今までは体は痛いながらも、様々なコミュニティに所属し、慎ましく生活していてくれました。数年前からリュウマチの痛みがひどくなり体が動かなくなってきました。あまり、外にも出ることが出来ず、私もどうしたものかと思っていました。

誰にも迷惑をかけずしっかりと暮らしていきたいという気持ちが強い母でしたが「寂しい」と何度も口に出すようになりました。母との話し合いの結果、ある時から私が毎日電話をかけるようになりました。母にとって一番こたえるのは「誰からも必要とされていないのではないか」と思ってしまうことのようでした。「そんなことはない」と毎日電話をかけるようになると、母はその電話を心待ちにしてくれるようになりました。仕事で電話が遅くなった日には「今日は電話遅かったね」。何か事情があって電話できなかった日は「昨日はどうしたの」などと言ってくれます。

結局、これも「コミュニティ」です。「コミュニティに所属し必要とされること」が母の幸せを創っているのではないかと考えています。

■コミュニティビジネスとしての福祉産業

さて、もう一度本題に戻ります。福祉って何なのでしょうか。福祉事業者は何を提供すべきなのでしょうか。目に見える利便性として、介護や介助も当然必要です。でも、それだけで良いのでしょうか。もし、人の幸せが「コミュニティに所属し必要とされること」なのであれば、福祉事業者が提供すべきは、介護・介助のハードの面と共に、コミュニティというソフトも提供する姿が今後の福祉ビジネスのあり方の一つと私は考えます。

福祉の新しい波として注目されているのが、コミュニティビジネスとしての福祉産業です。それは「コミュニティに所属し必要とされる」ことを目的にした福祉ビジネスです。また、必要とされる人になるための教育ビジネスなども注目されています。結果として社会と隔離する施設がまだまだ多い中、施設に行くことで自分を必要としてくれるコミュニティを創ることが出来る場所。また、コミュニティから孤立しないための支援を行う取り組みなど、心ある人たちが仕組みを考え創り上げています。古くは障碍者を雇用するスワンベーカリーなどが有名ですが、最近は障碍者福祉にとどまらず、複合型の面白い取り組みをされているところが増えています。

■日本版CCRCの原点「シェア金沢」

CRCCとは「生涯活躍のまち」のことです。悠々自適の生活をしたいと考える高齢者が集まって生涯楽しく暮らしてくことを目的とするまちです。アリゾナやカリフォルニア・フロリダなどアメリカの暖かく気候の良い地域に多数存在しますが「シャア金沢」はこのCCRCとは違います。障碍者就労支援施設から始まった「シェア金沢」は障碍者を中心として様々な世代の人がつながりコミュニティを創る試みです。全員にとって「障害活躍のまち」を目指します。それが、日本版CCRCと言われるゆえんです。

高齢者、大学生、病気の人、障害のある人、分け隔てなく誰もが、シェア金沢で共に手を携え、家族や仲間、社会に貢献できる街。かつてあった良き地域コミュニティを再生させる街。いろんな人とのつながりを大切にしながら、主体性をもって地域社会づくりに参加する。これをコンセプトとしながら、約1万1千坪の敷地にごちゃまぜの街を創っています。

施設の中には障碍児が生活する児童入所施設、サービス付き高齢者向け住宅、美大生向けアトリエ付き学生住宅などの住宅や、高齢者ディサービス、生活介護施設、児童発達支援センターなどの福祉施設、来訪者も利用できる天然温泉、ギャラリー、レストラン、売店、ドッグラン、アルパカ牧場、クリーニング、配食サービスなどあらゆる施設があります。それぞれの施設が障碍者の就労の場であり、高齢者にとっても元気なうちは施設でのボランティアの場となります。また、高齢者は体が言うことを利かなくなったらディサービスや訪問介護サービスを受ける権利も持ちます。学生は安い家賃と引き換えに施設で30時間のボランティアを行います。敷地内の各スペースは、近隣の保育園や小学校に解放されています。

元々、障碍者の交流が施設のスタートで障碍者が就労できるコミュニティから発展してきています。施設内はまるで昔の下町のようで、施設内外で多様な交流を持つように作られています。施設内では挨拶が飛び交い交流が生まれています。障碍者だけにとどまらず住人や来訪者全員が「コミュニティに所属し必要とされること」が現実のものとなっています。

■富山型ディサービス

富山型ディサービスとは年齢や障碍の有無にかかわらず、誰もが身近な地域でディサービスを受けられる仕組みのことです。平成5年7月に2人の看護師によって創業した「このゆびとーまれ」から始まりました。退院時に「家に帰りたい」と泣く高齢者をみて、身近で家庭的な雰囲気のもとで、ケアを必要とする人たちの在宅を支えるサービスを提供したいと考え、開設した事業所です。

高齢者、障碍者、乳幼児、学童など利用者を限定せずに誰でも受け入れることが特徴で「家族のように過ごせる第二の我が家」「近所に遊びに行く感覚」の身近にある小規模施設です。また、この事業は、現在、富山県や各市町村からの補助金や職員研修会、富山型ディサービス起業家育成講座なども行われ、富山県を中心に普及に努めています。

岩井屋は長野県内にある「富山型ディサービス」事業所でNPO法人普通の暮らし研究所が運営しています。発達障がいのある子ども、若年性アルツハイマーを抱える男性、身体が不自由な高齢者など、さまざまな状態にある人々が、岩井屋に集い、言葉を交わし、共に働き、地域とのつながりを求めて来訪します。

「岩井屋農園」は中高年介護保険者のアドバイスにより、障害者が農業に携わる形で運営される、就労支援施設とディサービスの2つの機能を兼ね備えた農場です。障害者の働く場所と、介護保険の方の生きがいを提供しています。この交流がお互いのやりがいを創りだす。そのようなモデルとなっています。「コミュニティに所属し必要とされること」がこの施設では来訪する人すべてに提供できるわけです。

■コミュニティビジネスとしての福祉ビジネス

高齢者が増大する中、コミュニティビジネスとしての福祉ビジネスの波は大きいと考えます。高齢者や障碍者など社会的弱者の真の幸せを創りだすこれらの福祉ビジネスは、新しい波として全国に広がっていくものと確信しています。それが、新しい福祉産業を創り、色々な世代を巻き込んだ市場を形成していくと考えられます。

皆の笑顔や幸せを創る本来の福祉の役割を担う福祉ビジネスは、福祉ビジネスの一角…いや…中心となっていくのではないかと感じています。

■参考文献

日本版CCRC構想有識者会議「『生涯活躍のまち』構想( 最終報告) 」
「シェア金沢」に学ぶ生涯学習まちづくりのヒント
シェア金沢ホームページ
富山の地域共生ホームページ
( 株) 日本金融公庫ソーシャルビジネス事例集
富山型ディサービス岩井屋ホームページ