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自分のキャリアは、イーキャリアFAという転職サイトとともに始まった。

2005年に入社したSBヒューマンキャピタル。現在ではキングコング西野さんを起用したキャリオクや、ロンブー田村亮さんを起用したイーキャリアイーキャリアFAという転職サイトを運営するソフトバンクグループの人材事業者だ。現在僕が佐藤とともに代表を務めるマムズラボも、そこで起案した新規事業を法人化したので、今も同じグループということになる。

僕の初期段階のキャリアにおいて大きなポイントになったのは、やはりイーキャリアFAというサービス、事業の成長に携わったことだと思う。少し説明しておくと、イーキャリアFAは人材紹介会社の保有する求人情報を検索、閲覧できるサービスで、人材紹介会社にとっては求職者を集客するためのツールという位置付けで、人材紹介会社からの参画料金によって成るビジネスだ。

はじめに断っておくと、自分はマーケティングやWebプロデュースの世界で何かを成し遂げたわけじゃないし、経営者としては尚更だ。また、あたかも自分の成果のように書いてしまっているかもしれないが、当然自分だけで実現した訳ではなく、営業、制作、マーケティング、システムなど多くの部門の関係者のサポートがあっての結果であることを念のため書いておく。

今でも当時の僕らの気持ちを継いだ人たちが、最前線で業界No.1のサービスにすべく踏ん張っている。そういうメンバーや社外で関わってくれてた人が「こんなことあったよね」と思い出してくれればそれで十分。

新卒2年目の素人がWebプロデューサーになって

2005年の入社以降、3カ月ほどで営業成績が悪くて求人広告の制作に異動させられ1年ほどたった頃だ。2006年の10月から、イーキャリアFAのWebプロデューサーを任せたいという話があった。なぜそんな人事になったのかは今でも謎だが、当時の僕は入社してから毎日7時に出社することを課してそれを続けていたので、仕事ができるかわからないけど少なくとも根性だけはあるだろうという話だったようななかったような笑

当時まだ立ち上がったばかりのイーキャリアFAは、売上や利益目標はあったけれどマーケティングサイドの目標数値は存在しておらず、配属後最初にやったのはマーケティングにおける会員登録や応募、それに付随する目標・KPIを作るところからだった。とはいえ目標を作る経験なんてなかったので、どうやったら良いかわからず、前期比●%みたいな感じで自分で適当に引いた目標を事業責任者(現在SBヒューマンキャピタルで社長を務める木崎)と握って、あとで諸先輩からこっぴどく怒られたことを覚えている。

コンセプトの刷新とサイトリニューアル

当時のイーキャリアFAは、既存の転職サイトと差別化するために、登録している約1,000名の転職エージェント個人を検索することができるUI/UXで、そのコンセプトをすごく大事にしていた。

一方で、求職者に対するアンケートを行うと、求職者が求めているのはやはり求人情報であり、その数と質がポイントであることは明白だった。加えて、サイトに訪問しているキーワード全て(4万語以上あったので、この作業は本当に辛かった。。)を当時のチームで数日かけてカテゴライズしたところ、求人情報に付随するキーワードがやはり中心だった。

これを踏まえ、抜本的なコンセプト刷新を行うべき、というのが当時の事業責任者である木崎や僕を含む関係者の結論だった。

さらに検討を進めていく中で、イーキャリアFAには他サイトと同じような求人情報検索を主体としたコンセプトでも十分に勝てるポイントがあることに気付いた。それが、人材紹介会社しか保有しえない非公開の求人情報データを有していることだ。

多くの転職サイトが数千件に求人情報しか掲載されていなかった時代、イーキャリアFAでは約10万件の情報をデータとして持っており、その中には有名企業のCxOポジションや新規事業の立ち上げポジションなど、情報としての魅力があるものも多数存在していた。

そうした情報をもっと訴求し、オープンに検索できるようにしよう。新しいイーキャリアFAのサイトのUI/UXは、その方向にグッと舵を切ってリニューアルすることにした。

策定したコンセプトに基づき、まずは部分的な改修や機能追加を行う。サイトのトップページに大々的に出ていた転職エージェントの顔写真はなくなり、求人情報検索を主体としたトップページに刷新。メルマガ等も求人情報を中心としたレコメンドメールに置き換わっていった。これに伴い、サイトの応募数は目に見えて増えていく。施策開始から半年強で2倍くらいにはなっていたと思う。膨大な求人情報データのマスタ整理や名寄せを行い、検索機能を刷新したことで、サイト内の回遊性はもちろん、SEMなどのプロモーション効率も改善していった。

リーマンショックを経て

こうした抜本的なリニューアルを推し進めていた頃、世の中はリーマンショックと騒がれるようになっていた。当時大手エージェントと呼ばれていたような人材紹介会社が続々と事業撤退や倒産を余儀なくされ、それによる解約も相次いだ。当然我々の売上もかなりのダメージを被り広告費もこれまでのような規模ではかけられなくなった。リーマンショック以前は大手の広告代理店も毎週10人規模で来社し打ち合わせをしていたが、予算縮小に合わせて目に見えて減っていった。

皮肉にも、そのような景気変動を追い風に、イーキャリアFAの登録者数や応募数は増える一方で、僕が着任した2006年末から比較すれば月間の応募数は4倍以上にはなっていた。一方でユーザーが増える割に期待される売上は得られず、自分の力不足を痛感する日々だった。

新サービスの立ち上げとピボット、そして撤退

こうした市況の変化を汲み、イーキャリアにおける採用企業のアカウントと、人材紹介会社のマッチングをサポートすべく、レジュメバンクというサービスを企画した。新卒4年目の頃だったと思う。たまたま当時の社長にランチに誘われたタイミングで企画書をもとにプレゼンを行い、すぐに経営会議や取締役会での承認を得て、サービスインに向けて動き出す。数名のプロジェクトメンバーでサイトの開発を進めながら、参画企業、参画紹介会社の開拓に奔走したが、両者のマッチングをうまく進めることができず、結果的に数回のピボットを経てクローズすることになってしまった。今思えば、サービスのコンセプトが悪いというより推進力の無さが要因だったのだろうと思う。

こうした水面下でもがき続けるような動きの一方で、徐々に採用市場は回復の兆しを見せ、徐々に人材紹介会社の売上は回復、結果としてイーキャリアFAの売上も再び回復基調に戻っていく。

indeedという新たな集客チャネルの発掘

採用市場が回復するということは、売り手買い手のバランスが元に戻っていく、つまり求職者獲得難易度が再び高まっていくことを意味する。そんな中で新たな集客チャネルとして機能したのが、今ではリクルートグループ傘下となったindeedだ。

当時のindeedは、まだ日本法人を持っていない状況だった。サイトのトラフィックを見ていると、名前も知らないこのサイトからの流入が目に見えて増えていた。どうやらスポンサー広告というメニューがあり、リスティングと同じようなクリック課金モデルらしい。見たところ国内の転職サイトで出稿しているところはほぼ見当たらない。まずはここに少額の広告を投下してみることにした。CPAは数百円、凄まじい集客効率だった。すぐに現地法人に問い合わせを行い、さらに集客が可能かを聞いてみたところ、データフィードの方法などのアドバイスをもらい、集客をさらに伸ばすことに成功した。

売上倍増プロジェクト

ある程度市況が戻りつつあった頃、この先の事業成長を実現するために、売上倍増プロジェクトというものが社内で立ち上がり、各部門の責任者が集まり、アイデアを持ち寄る場があった。そこで起案したのが、iPad無償配布プロジェクトというものだ。

人材紹介会社にとって、イーキャリアFAは集客ツールであり、競合サービスを含めた複数のツールを併用するのが常。朝オフィスに出社したタイミングでどのツールを選んでもらい使ってもらうかが、サービスの生命線であり、その対応スピードが求職者の利用満足度を高めていく。利用が進めば進むほど、サービスを通した成約実績が増え、成約実績が増えれば解約率は下がる。

僕らは、従来のブラウザを立ち上げてからの競争から、一歩抜け出る必要があった。そこで、当時発売間もないiPadを数百台仕入れ、イーキャリアFA利用中の人材紹介会社に無償で配布した。配布したiPadにはイーキャリアFA独自のiPadアプリをプリインストールし、iPad上ですぐにイーキャリアFAにアクセスできるようにした。

また、人材紹介会社では、求職者との面談が喫茶店などで行われることも多く、紙の求人票を求職者に渡すことも多く、機密情報漏洩リスクも高い。iPadによりデジタル環境で求人票を提案できるのは、人材紹介会社の情報漏洩リスクの逓減にもつながると考えた。

この作戦により、イーキャリアFAの解約率は徐々に下がっていき、参画社数を伸ばしていくことができた。

イーキャリアFAでの経験によって得たもの

こうした数々の取り組みを経て、SBヒューマンキャピタルは新たな事業成長曲線を描くようになっていく。僕自身はイーキャリアFAだけでなく、SBヒューマンキャピタルが展開する全サービスのマーケティング部門を統括するポジションになり、その後いくつかの新規事業立ち上げに携わったのち、現在のマムズラボを起案し、分社化することになる。マムズラボの法人化とともに僕はSBヒューマンキャピタルを退職したけど、僕の社会人としてのキャリアの基礎を築いたのは、数年間に及ぶイーキャリアFAでのマーケティングやサービス企画に携わった経験であることは間違いない。そんなイーキャリアFAも今ではロンドンブーツの田村亮さんを起用し次の勝負をかけている。

もう10年以上も前の話になるので、メンバーも入れ替わっており、当時の経緯や取り組みを知らないメンバーも多そうだ。誰かに何かを伝えたいわけではないけれど、僕の記憶がまだ残っているうちに、こんな当時の経緯もまとめておきたいなと思い、noteに書いてみることにした。

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