カラヤンのモーツァルト、アバドのロッシーニを聴いてみた感想など
きのう聴いた曲。
モーツァルトの交響曲第40番。カラヤン&BPOの演奏(1977年録音)。
なめらかに進む演奏。
この演奏には、”(レガート奏法というフィルターをはぎ取れば)音符が忠実に再現されていること、各パートが明瞭に聴き取れて絡み合いもよく分かる”という評もある(裄野條『カラヤン幻論』)。
裄野と同じく、自分もこの演奏を好きだけど、世評はよくないのかな。
モーツァルトのセレナード第6番”Serenata notturuna"。
カラヤン&BPOの演奏(1968年録音)。
この録音は、サンモリッツでの夏のセッションのひとつ。
カラヤンの語り口の巧みさがよく出ていて、これも好きだなあ。
調べてみると、”Serenata notturuna"は、イタリア語で「夜のセレナーデ」という意味になるそうです。
ロッシーニの序曲集から数曲。
アバド&ヨーロッパ室内管の演奏。
なんか、アバド氏、あんまり元気ないのかな、と思ってしまった。
”刎頚之友”の録音プロデューサーが、亡くなった時期とこの録音は重なるのじゃなかったか。
アバドの”低迷期”という表現を、本で見かけたこともある。
ロンドン響との、キレキレのビゼー管弦楽集なんかとは、テンションが違うような…
暑かったので、部屋の窓を開けて聴いていていたので、聴取環境がよくないのが原因かもしれないし、同じものを聴いても、受け取る側のコンディションで感じ方も変わるから、一概には言えない。
まあそもそもが、いい加減な聴き手なんですが。
このロッシーニは初めて聴いてみて、きのうの感じ方がこうだった、ということ。
話は違いますが、同じ録音を何十回も聴く、という聴き方も不自然といえば不自然。
カラヤンとセルの録音偏愛から、少しずつ脱してみようという今日この頃。
新しい音源を漁って、新しい経験にチャレンジなのである。
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