当たり前じゃなかったんだ

忘れないうちにメモ

昨日は高校時代からの友人と会ってブラブラと街を歩いた。

昨年の夏頃以来だ。

あのときは自分が障害を抱えていることを思い知る辛い日だった。

「普通に」歩けない、「普通に」話せない。

何度も駅のホームでエレベーターを探した。

周りがスマホに釘付けになっているロボットのような人だらけで誰も気にしていない。

でも自分もそのロボットだったのだから悪く言う資格はない。

親しい友人と会う予定なんて「普通は」楽しいことだ。
リフレッシュになってまた明日から頑張るぞ、となったりするものだ。
それが「当たり前」だと思っていた。

だからとてつもなくショックだった。

精神的におかしくなっていた頃は、身体がまだ強張っていて、中途半端に動いていた。
あの時はあの時で、人生を終わらせていたかもしれない危うい行動をとっていたから別の意味で辛かった。

でも精神面が回復しても一向に身体が動かない状況が一年ほど続いて苦しかった。

友人との外出が恐怖になるなんて思いもしなかった。

でも昨日は違った。

久々の外出だからとても疲れはしたが、
「普通に」歩けたし、「普通に」話せた。
足が動かなくなって座り込んだり、壁にもたれかかることもなかった。
発作もなかった。

これは特別なことだったんだ、と実感した。

当たり前のことが当たり前じゃない、といったフレーズは世に溢れている。
綺麗事として、流す人(ちょっと前の自分)もいる。

これは理屈ではなく経験で実感することでしか、真に理解した、といえないことがわかった。

ありがたかった。
うれしかった。
悲しくないのに沢山涙が出た。

玉置さんの旭川公演のあとのような、美瑛の「セブンスターの木」で夕暮れの地平線を見たあとのような感覚を得た。

身体が軽い。不安がない。
体の中心から全身が暖かくなる感覚がある。
でも熱はなくて穏やかな心持ちだ。

これが医師兼カウンセラーの先生が言っていた「病気が治っていくこと」なんだと思う。

まだたった一日。でも大きな一歩に違いない。

きっともうすぐ報われる。

一生病気を抱えるのではなく、「完治」をめざしたい。
ずっとそう思ってやってきた。

でも3年間報われることはなかった。

あと少しで手が届くような気がする。

忘れないようにしよう。

そういえば辛かったあの日も、壁にもたれかかった私に見ず知らずの方が「大丈夫ですか?」といって声をかけてくれた。
夏場だったから熱中症と思ったのか、塩分補給のタブレットを渡してくれた。

私もそういう人間になりたい。

世の中にほとんど何のインパクトも与えられない、ただの自己満足でも、偽善だと嘲笑われても、そういう一歩を「普通に」踏み出せる人になりたい。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということにだけは絶対になりたくない。

学校でも社会でも学べなかったことを学ばせて頂いている。

ありがたいことだ。本当に私は恵まれている。
できることならすべての人が恵まれていてほしい。
そうすれば少なくとも今よりは世の中マシになるだろう。

忘れるなよ、自分。
頭でっかちでわかった気になった、斜に構えて生きていた愚か者には二度と戻るんじゃないぞ。
そこに本質的な幸福はないぞ。

当たり前じゃないんだから。

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