やらなくて良かったこと
昭和30年代生まれで中学生時代にフォークソングがブームでした。
私は姉がクラシックギターを持っていて、それを借りてその頃の曲をギターでかき鳴らしていました。
拓郎、陽水、赤い鳥、かぐや姫、NSPなどなどが思い出されます。
60歳を過ぎてからギターを弾いてみたのですが、弦を抑える左手の
指が痛くて弾き続けられません。
でも指を使うのは良いことなので、数か月前から毎日5分ほどギターを
弾くことを自分に課してきました。
1ヶ月を過ぎた頃から、弦を抑える左手の指の痛みが和らいできました。
すると昔の曲を弾くことが多くなりました。
本棚にはギターのコード付きの古い本がいくつかあります。
小椋佳の本を見つけ「木戸をあけて」という曲を弾いてみました。
家出の歌です。
中学か高校生の頃によく歌っていました。
家出という行為になにがしかの憧れのようなものを感じながら歌っていました。
歌詞の中の「家出をして帰ってくる時には語り切れない実りがある」
という意味の部分に心が動かされました。
「家出をしなくては」と・・・。
結局、家出をすることはありませんでしたが、もしかすると何かのきっかけで不満が爆発し「えいっ」と家出をしてしまった可能性はゼロではないと思います。未熟で多感な時期ですから。
今、この年になって「木戸をあけて」を弾いていて、あの頃家出をしなくて本当に良かったとしみじみ思っています。もしも安易に実行したとしても、おそらくすぐに帰ってきたことでしょう。
でも、母親を大いに悲しませたことだろうと思います。
そしてそのことを一生後悔していると思います。
あの頃と違い、私も親になっていますので自分の子供が
家出をすることを想像すると、親の気持ちが実に想像できるのです。
生涯の中で、後悔すること恥ずかしいことはいくつかあります。
それを時々思い出して、突然「あっ」と叫んでしまうことや、
いきなり体を「ぎゅうー」とよじってしまうことがあります。
もしも、家出をしてしまっていたとしたら、「あっ」の叫びや、体をよじる程度のものではないように思います。親を悲しませた後悔に、思い出す都度落ち込んでいたのではないでしょうか。
やらなくて良かったと思います。
ここまで書いて、思いだしました。
この「木戸をあけて」の家出の気持ちの延長線上に、
大学卒業後の2年間の海外ボランティアがあることをです。
これは親を悲しませない「家出」でした。
そして2年後、帰ってきた時には「語りつくせない実り」がありました。
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