さつさ

40歳代前半でソフトウェア開発の会社を起業して独立。 会社員時代は精神的に不健康に過ご…

さつさ

40歳代前半でソフトウェア開発の会社を起業して独立。 会社員時代は精神的に不健康に過ごしていたと思います。 独立して良かったと思っています。 2024年現在、前期高齢者となり、仕事は一線から退いてます。起業人として成功したとは言えません。でも失敗はしていません。

最近の記事

賭け事は好き

賭け事は好きなほうです。 好きな賭け事は、カジノ、麻雀、競馬。 一番はカジノ。海外渡航時に現地のカジノに行きます。 主に勝負するのはブラックジャック。手配の札を見て、自分の判断で次のカードを引くかを判断できるからです。 カジノの王様と呼ばれるバカラは、手配後に自分の判断を入れることはできません。運を手配するディラーに任せるだけのゲームなのでつまらないと思っています。 ルーレットは時々、少額を賭けるだけで長く席に座ることはないです。 偶然だけのゲームはどうも面白くありませ

    • 若い頃には戻りたくない

      年齢を重ねた人が「若い頃に戻りたい」ということを聞きます。 私は戻りたくはありません。 起業した40歳代前半に戻りたいかと問われると、絶対に嫌です。 あてもなく起業したのは無謀だったと思っています。 幸運がいくつかあったからこそ、続けてこれました。 そんな幸運が、再びやってくることはありません。 あの頃に戻って再度やり直したならば、確実に失敗しているでしょう。 戻りたくはありません。 人生で一番厳しい頃は小中学生の頃ではないかと思っています。 両親に守られてはいるのですが

      • ソフトウェア開発の見積りについて(2/2)

        前回の続きで、見積ミスに関してです。 見積りミスは赤字以外にも弊害が伴います。 作業量が増える場合が多く、また納期を延長できないケースも多く、その場合人数を増やすか、現メンバーで残業休日出勤でこなすか、ということになります。 人員を増強する場合、増強された人間が内容を理解するまでに時間がかかってしまいます。その人に開発システムの全容を伝えなければならず、これは既存メンバーの余計な作業となってしまいます。 多少のことであれば、既存メンバーで残業や休日出勤するほうが余計な作

        • ソフトウェア開発の見積りについて(1/2)

          ソフトウェア開発を長く行ってきました。 新規システムの開発時には顧客にその見積り金額をを提示します。 基本的な見積り方法のひとつとして、一人の人間がそのソフトウェアを開発するのに何か月かかるか、を見積る方法があります。 1ヶ月かかる場合を1人月と呼びます。 例えば、ある企業に在庫管理システムの見積を提示しようとします。 要望される機能を大まかに洗い出し、その機能を実現するソフトウェアを、一人で3ヶ月かかるとしましょう。 私のいる地方の技術者単価は、1人月60万円が標準単

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          自由を選択した後悔

          新聞を読んでいると、テレビから聞こえてきました。 「自由を選択した後悔」 TVにはまったく意識は無かったのですが、このフレーズは私の脳に刺さりました。 このようなことは時々あります。 電車の中で見知らぬ人の会話にどきっとすることがあります。 今回もそうでした。 「自由を選択した後悔」 大学を卒業して海外で2年間、ボランティア活動を行い帰国後に就職活動を行った時。もう新卒扱いではなく中途採用での就職活動になってしまいました。 25歳での中途採用は、同年齢の人から2年

          自由を選択した後悔

          スマホは超軽量パソコン

          パソコンはNECのPC98の頃から使ってきました。 windows95の前、windows3.1の前のパソコンです。 最初の職場で、コンピュータを使っていましたが、 とても高価なものでした。Z80という8ビットCPUのアセンブラーというソフトでプログラム開発をしていました。 その頃PC98のパソコンが登場し会社内でも課内に1台導入されました。 パソコンは個人でも所有できるコンピュータということで、私には画期的でした。薄給の自分には手が届かなく、でも欲しかったので中古で購

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          司馬遼太郎と明石家さんまの時代に生まれて良かった(2/2)

          人の幸せとは、人生どれだけ笑って過ごしたかという尺度があると思います。日々、笑って過ごせたら、幸せなことだと思います。 私は小さい頃からTVのお笑い番組が好きでした。でも、声を出して笑うことはほとんどありませんでした。 それでも、いくつか思い出に残るお笑いタレントさんがいます。 Wケンジ、初代林家三平、コント55号、そして明石家さんま。 Wケンジは、小学生の頃にTVを見てゲラゲラ笑っていた記憶があります。 初代林家三平はTVで満員の会場のお客さんを爆笑させていました。

          司馬遼太郎と明石家さんまの時代に生まれて良かった(2/2)

          司馬遼太郎と明石家さんまの時代に生まれて良かった(1/2)

          あなたの人生に影響を与えたものは何ですかと聞かれたら、こたえてみたい文句があります。 「司馬遼太郎と明石家さんまの時代に生まれて良かった」と。 司馬さんの小説はほとんど読みました。 人間の生きざまが面白く描かれていて、そこに感情移入してしまいます。 著者の小説の主人公への思い入れ、愛情が感じられ、その主人公達がとても好きになってしまいます。 戦国時代であれば、 伊勢新九郎、斎藤道三、黒田官兵衛、長宗我部元親、、、 明治維新前後であれば 大村益次郎、松本良順、高杉晋作、坂

          司馬遼太郎と明石家さんまの時代に生まれて良かった(1/2)

          働き方改革

          働き方改革という、時間外労働の上限規制の導入など長時間労働の是正が 言われてきています。 残業時間が月間〇〇時間を超えたら過労死レベルです、と。 〇〇時間は80時間とか100時間だったかと思いますが、そこの規制に疑問を感じます。 サラリーマン時代は、何度もこのくらいの残業を行うケースはありました。もちろんハードな期間ではありましたが、やらなければならなかったし、 その分の残業代がもらえていましたので特に不満はありませんでした。 起業してからは役員となり労働者ではなくなっ

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          やらなくて良かったこと

          昭和30年代生まれで中学生時代にフォークソングがブームでした。 私は姉がクラシックギターを持っていて、それを借りてその頃の曲をギターでかき鳴らしていました。 拓郎、陽水、赤い鳥、かぐや姫、NSPなどなどが思い出されます。 60歳を過ぎてからギターを弾いてみたのですが、弦を抑える左手の 指が痛くて弾き続けられません。 でも指を使うのは良いことなので、数か月前から毎日5分ほどギターを 弾くことを自分に課してきました。 1ヶ月を過ぎた頃から、弦を抑える左手の指の痛みが和らいで

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          やらなければ始まらない

          何かを思いついた時、考えただけでは実現はしません。 やらなければ始まりません。 頭で考えるだけの人が多いように思います。 以前の会社で、誰かが行動を起こしそれが日の目を見ることになりました。 すると、 「あのアイデアは俺が考えていたもので、あいつはそれを盗んだ」 と言っている人がいました。 だったら、あなたが行動を起こせばよかったのです。 あなたは頭で考えただけで行動を起こさなかったのです。 行動を起こした人は、あなたのアイデアにヒントを得たのかも知れません。 でも、

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          日本の英語学習について

          起業してから、日本での仕事以外に海外でのソフトウェア開発に関するコンサルティングの仕事もしてきました。 それでは英語が堪能なのですね、と言われそうですがそんなことはありません。日常会話程度よりは少しできるとは思っていますが、海外での英語の現場では自信がありませんでした。 ただ、技術系の会話は英語力以上に技術者どうしの阿吽(あうん)の言語があり、それに助けられての仕事だったと思います。 私の中学生の頃、英語学習について「日本人が英語を話せないのは学校での文法中心が原因であ

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          ビジネス提案の挫折(会社員時代)

          20代前半に途上国で2年間生活しました。 その後ITの会社に就職した際に、人件費の安い途上国でソフトウェア開発を してはどうだろうかと常々思っていました。 まだ「オフショー開発」という言葉が無かった頃です。 会社での勤務に限界を感じ始めていた頃、この現状から逃れるために、途上国での開発を提案してみようと思い立ちました。 社員3000人の規模の会社で社長までの距離感は果てしないものがありましたが、ある時、意を決してこの提案を文章にして社長に直接送ってみました。 心臓がクバ

          ビジネス提案の挫折(会社員時代)

          夢を見ればケガをする

          1980年代中頃の日清カップヌードルのCM中のナレーションに 「夢を見ればケガをする  夢を見なけりゃ生きられない」 というのがありました。 オリンピックで金メダルを取った選手が「努力すれば必ず夢はかなう」と言いました。それは私に勇気を与えてくれました。 でも金メダルを取るまでの努力は、皆が皆できるものではないと思います。 少なくとも私は金メダルの夢を持ったとしてもメダルを取るまでの努力は出来なかったと思います。 大学卒業を控えた時期に就職する前に海外を見たいという夢を

          夢を見ればケガをする

          あてのない起業

          前に起業の理由は会社が嫌になったからと書きました。 もう少し書きます。 25歳から会社員として働き始めましたが、30代中頃から先が見えなくなりました。 会社の部門間の対立に嫌気がしていました。営業と開発の対立。開発部門内の人間関係、などなど。お客さんとの気苦労よりも、社内の気遣いのほうに疲れて果てていました。 このまま会社員を続けていって面白い人生だったと言えるだろうか。定年までのあと25年間で自分の精神は正常に保てるだろうか。保てないのではないかと思う日々でした。

          あてのない起業

          夢と使命

          前回、起業の理由は会社が嫌だったからと書きました。 もうひとつ理由があり「自分の会社を持つことが夢」でした。 そしてその夢は実現し、20年以上無借金で継続することができました。 家族を路頭に迷わすことなく、子供2人も無事、本人達の希望どおりの進路に進ませることもできました。 20年以上の会社の継続ですが、地べたを這いつくばって、なんとか継続することが出来た、というのが印象です。 社会の役にたったのか、と問われると、お金をもらって仕事をしていたのだからなんらかの役にたっ

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