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孤独=現象

孤独=淋しい、って刷り込まれてはいないか?だな。私は意識していなかったら、ふと孤独を感じた時淋しいという情動が、間髪を容れずに動く瞬間がある。その感情がみるみる膨らんでいくのよぅ。あっという間だぞ。
仏教では、「苦を断ち切るには執着を捨てる。執着は間違った認識からくるもの。」と、説いている。そして、心が騒いでいる状態(英語では Monky Mindと表現されてる。)から解脱して迷いのない状態にある事を「寂静」というのだそうだ。英語だと、Nature of Mind もしくわClear Mindの事だと思う。
私が経験しているこの底なし沼のよう感情の穴は「淋しい」であり「寂しい」では無いようだ。

*オンライン辞書によると「寂しい」は状態を表すときに使い、「淋しい」は心情を表す時に使う。とある。


日本語の響きが好き。「ひとり」と「ひとりぽっち」/「ひとりぼっち」ニュアンスが少し違って感じるなぁ。「ぼっち飯」っていう使い方も当たり前に使われているんだね。(日本にいた90年代はそんな言葉なかったぞ。)私はぽっちの方が好き。なんだか、空中をふわふわ浮かぶシャボン玉みたく軽く響く。POTTI :「ぽっち」を日本式ローマ字表記にするとなんだかイタリアの空気感があるねぇ。

淋しい」が湧き上がってきたら、その感情を俯瞰してみるぞ。さすればその感情が「寂しい」状態/現象となる。頭で理解したからといって、すぐには出来ないだろうな。コロ(補助輪)なしの自転車に乗れるようになった時みたいだわ。
ぽっち

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