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映画を見る場所 - 思い出編

私は日本で一番人口の少ない県で育った。なので見ることができる映画は、とても限られていた。18歳で東京へ。時は情報紙「ぴあ」が唯一、映画や音楽などカルチャー情報を得る方法だった。東京は毎日どこかで何か、上映されている。'ロッキー'みたいなハリウッド映画は友人達5−6人で大盛り上がりだったなぁ。その当時はシネコン(複合映画館っていうのかな?)なんてなかったように思う。まぁ、お金もなかったし新宿や池袋のオールナイト上映や自主上映の小さな映画館に通ったさ。東京ならではで、思い出されるのは’ピンクフラミンゴ’ ’フリークス’ ’バスケットケース’などのB級カルト映画を「ぴあ」で探しては足蹴に通ったこと。先日この記事を書くためにTちゃんと話をして、盛り上がった。心友、Tちゃんとは中学生の頃出会い、20代初めは同じ東京に暮らしていたのだけど、その頃はあまり接点がなかった。此処に来て断然距離が縮じまった人である。その彼女が私に言い放ったのだ。
「そういえば新宿で、セックス・ピストルズの映画/ドキュメンタリーを見に行った後、Nちゃん、道に唾吐きながら帰ってたよネェ」
大笑い!直ぐ影響されちゃう。当時は若かったし吸収力が良かったのさ。だけど、穴があったら入りたいとはこの事。

あの頃の南新宿は、もう無い。私とTちゃんの記憶にあるだけだ。もし近い将来、VRで記憶の場所を体験できるとしたら、もう一度二人でカルトな映画を南新宿で見た後、立ちきゅうでいっぱい引っ掛けながら、笑いこげたいなぁ。

◉「たちきゅう」とは、いわゆる立ち飲みのことで、「立ったまま、きゅうっとやる」ことが語源。

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