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楽しむの先の、楽しむへ

すごく心のから楽しみたい!
と思っている自分がいる反面


楽しんではいけない。
と思っている自分がいて


心の底から楽しむことに恐れがある、
自分がいることに最近気づきます。


生活を楽しんで、その瞬間を没頭していることが少しづつ増えていっている反面


ふと、その没頭の世界から
ハッ、と戻ってきて


『楽しんでいいのだろうか?』
と不安になっているんです。


それは長年の人への
『依存』
からの代償であることに気づきました。


私の人生を、自分で責任を取りたくがない故に
私の場合は、長年母に依存し
それに気づいた時、
依存させた、母を恨んでいる自分がいました。
勝手に依存したのは私なのに。

自分への自信のなさから依存し、
責任を取りたくがない故に、母を悪者にした上に責任転嫁までしている自分がいました。


だって、
母は私にとって頼れる存在だったから。

ついていけば間違いない。


そう確信し、
自分で感じることをやめ、
考えることをやめ

長年そうやって生きていきました。


母が近くにいない時には、
母に似たような頼れそうな存在を見つけては、また依存し、依存対象を変えてはまた依存し
そうやってくりかえてしてたように思います。


『自立した生き方』

というのは、思っているよりも難しく


知らぬ間に誰かに依存していたりします。

頼りになる存在は
とても生きる上で前向きにさせてくれる、人生を楽しくさせてくれる反面


その人と同じであることが嬉しく、
知らぬ間に、同じになるように無理して寄せていることも多くあると思います。


だからこそ、
自分はどうなのか?
という感覚と気持ちを常に感じ取って

1人でも大丈夫!
1人でも楽しく生きれる!


そんな自分を、
自分軸を確立していけば

大切な存在がいたとしても
依存するのではなく


お互いの、個々の選択を尊重した

共存した生き方ができるのではないか?
と思います。


私の、ふとでる
『こんなに楽しんでいいのだろうか?』
という思いは


誰かに意見を合わせたりしなくてはいけないのではないか?


誰かに合わせないと、
赦されないのではないか?


自分を尊重しすぎるたら1人になるのではないか?


という不安であり

自分自身への自信のなさなのかもしれません。


少しづつでいいから、
私なりのペースで楽しんでいいんだ!という、
自分で楽しみを許容できる器を大きくして、


もっともっと人生楽しんで生きていきたいなと思うのでした。


それが結局、
世界をも幸せにする方法だと思うから。


まずは私から幸せを発信し、

自分軸を確立し、楽しむ自分をどんどん許可して生きていこうと思います。

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