インプット>アウトプットの公式
おはようございます。ナカちゃんです。
今朝のnoteで見つけた なるほど!の記事
で、自分事として考えてみました。
「授業をする」ということは、究極のアウトプットであり、それを生身の人間の前で、毎日し続けることだ。目の前の子どもは、みんな違うし、毎日変化し続ける。常に変化し続ける環境で、「最適な」アウトプットをするためには、相当な量のインプットが必要なのだ。
昨年、図書館司書の資格を取るために、久しぶりに「必死に」勉強した。何回もレポートが不合格になったり、テストに失敗したり。「学習する立場」になって、気づいたことがたくさんあった。
その後、「役に立たない資格」と言われつつも、何とか役に立ててやろう!と色々試行錯誤してきたが、今は、こうしてnoteやラジオでアウトプットをさせてもらっている。
毎週7〜8冊の本を読み、毎日音声配信でニュースをチェックし、新聞を読み、、、以前の自分では考えられないくらいの量をインプットしていると思う。でも、自分の中のインプットが、適度にアウトプットされているため、脳みその巡りがすこぶる良くなっているような気がする。「あ、自分授業が巧くなっている(気がする)笑」と感じることもあったりする。
それは、自分がアウトプットする場を得られたことで、「自分の表現」が磨かれていっているからだと思う。「大人の読者」に読んでもらう、聴いてもらう中で、評価され、学んでいけるからこそ、技量が磨かれていくのだ。
子どもたちは、授業を聴くことが「義務」なので(果たしてそうなのかどうか?)、どんな先生の授業でも、だまって聴いている。だから、面白いと思ってくれているのか、本当に分かってくれているのかが、話している本人もわからないことが多い。表情もマスクで隠れてしまっているから、なおさらだ。でも、自分が得た新しい情報を、自分というフィルターを通して、聴いてくれる人に合わせて提供すると、明らかに反応が違ってくる。
「あー、おもしろかった。」という声が聞こえてくれば、万々歳だ。
1のアウトプットをするためには、10以上のインプットが必要だと、私は思う。最良の方法は、読書だ。読書を軸にして、色々な方向にアンテナを張り、自分が「いいな」と思えたことを、自分というフィルターを通して発信する。
教員としての仕事と、週末noter、ラジオ話者として過ごすことを両立することが、今の自分にちょうどいい。「仕事」だけでもない、「家人」だけでもない、「クリエイター」として生きられる場があることが、本当にありがたいのだ。
これからも、忙しくも楽しい「インプット生活」を送りながら、読んでいただける方々に、「楽しいアウトプット」をお送りできるように、がんばります。
今日もまた インプットの旅に出かけて参ります!!
では、今日も素敵な一日を!
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