見出し画像

潔癖じゃない私でもいい

コロナ=マスク生活も3年になりますが、若い人の「人付き合い」も変わってしまったと実感しています。

 毎日中学生と接していると、ふと考えさせられる瞬間も多いのです。

マスクの下の表情をうかがいつつ、人付き合いも慎重に。
たくさんの人と関わるのはリスクだから、
「イツメン」でひっそりと・・・

コロナは「人との関わり方」を大きく変えました。
身体的接触が徹底的に排除され、アクリル板ごしの会話、マスクで顔の半分が覆われる生活が続きました。

SNSでの交流は活発化したような気もしますが、実態が伴わない関係に不安を覚える子も多いように思います。

 ただでさえも繊細で、人付き合いが苦手な女の子。
 コロナの制約は、彼女にとってはメリットとなりました。
 
 自信の無い自分をマスクで隠すことができます。
 できるだけ会話をしないこと、人の近くによらないこと。
 自分の世界に閉じこもっていても、何も咎められないなんてなんて居心地が良いのだろう。
 自分の気が合う人、好きな人だけと、狭い交流をひっそりと行えばいいなんて気が楽!

 そう思って過ごしてきた2年間。
 彼女は、気楽なソロ生活を送る一方で、不安も抱えていました。
 「他の人にどう見られているのか?」
 これが気になって仕方が無いのです。

 通常通りの日常へ、出口が見え始めた今年
 彼女は作文にこう書いてきました。

 クラスで人付き合いの中心にいる男子が、私に話しかけてくるようになりました。誰にでも話しかける人なのですが、なんで私に構ってくるのかわかりませんでした。
 最初は「どう思われているか」とても気になり、話しかけるのも苦手でしたが、最近は、「まあ、いいや」と思えるようになりました。
 私は「自分がどう思われているか」を気にしすぎていたから、人付き合いが苦手だったんだと思います。
 少しくらい、適当でもいいから、人付き合いを楽しいと思える自分になりたいです。

 彼女は、自分自身の「人付き合いのルール」も、とても清潔な人だったんだな。潔癖とも言えるくらい、関わる相手を選び、慎重に慎重に、周りと関わっていたのね。
 
もしかしたら、私たちの身の回りのことで
「まあ、いいや」
 と思えるような余白が、どんどん無くなってしまっているのかもしれません。

ちょっとくらい汚れてても、ちょっとくらいサボっても、
ちょっとくらい~ でも、という意識が許されなくなっているような気がします。

 「清潔」であることに越したことはありません。
 「清潔」「安心」「安全」は、この数年、どの業界でも強く叫ばれてきたことです。
 人付き合いもしかりで、
 「失敗は許されない」、「仲違いは許されない」、「常に安定の人間関係」を私たちは無意識に求めているのかもしれません。

 人間の心理的距離というものは、常に変化し続けているのが普通です。
 常に清潔でいられない、清潔でなくてもいいという余白が
 精神性の豊かさを育んでいく土壌なのだろうと思うのです。

 真っ白で潔癖な自分じゃなくていいや、と思えた彼女は、
 これからどんな風に成長していくのだろう。
 自分なりに人付き合いの「マイルール」をつくっていきながら、
カラフルな人生を歩んでいって欲しい。

 あなたのその美しさを際立たせるのが、
 「清潔さ」だということも、忘れないでいてね。
 

 

 

#清潔のマイルール

サポートありがとうございます。頂いたサポートは、地元の小さな本屋さんや、そこを応援する地元のお店をサポートするために、活用させていただきます!