少女☆歌劇レヴュースタァライトをほぼ初見で見てきたヅカヲタ歌舞伎ヲタ元子役のうめき

先日少女☆歌劇レヴュースタァライト劇場版を池袋で見てきた。見た友人がうつろな顔で繰り返し劇場に通っていたので半ば付き添い。テレビアニメ3話くらいで「なぜかれんはすぐに適合するんだ」と置いて行かれてしまったため、キャラくらいしか把握しないままふらりと。

大丈夫じゃなかったスタァライト

そもそもヅカヲタなので、スタァライトが宝塚にインスパイアされていると言うことでどっちかというと不安を抱えながら席に座った。ヅカヲタにとって宝塚は聖域。女だけの花園、そして「すみれコード」と呼ばれる絶対的な規則がある。

年齢すらさらしてはいけない未婚の女性集団、内部に何があろうと表には出さない、それが鉄則。オタクだってそれをわかって応援する、だからこそ内部を描かれることに不安があった。かげきしょうじょ!はまた別物であるからして……。

ヅカヲタの人格から始めてしまったが、軽く自己紹介しておこう。元子役として7歳から舞台の上で遊んでいて、テレビドラマに12年くらい出ていた、今は主にライターをやっている身の上である。私にとって、富田麻帆さんとはアニーだか劇団四季だかココだかで見かけたお名前である。ヅカ観劇歴が15年くらい、歌舞伎が5年目くらい。歌舞伎はnoteでもライターとしても延々記事を書いているので、みんな見ださい。 

https://intojapanwaraku.com/culture/164309/

そんなわけで、私が見て大丈夫なんか、と思いながら映画館の椅子に座った。

結論としては大丈夫じゃなかった。 いろんな意味で横殴りされてしまって、呆然としながらエスカレーターを降り、アワワと泡を噴いていた。(ちなみに羅小黒戦記も同じことが起きていた。その時も同じ人だったので同行者は特に動じなかった)

歌舞伎を感じる「口上」が気持ちよすぎる

まずレビューの豪華さがすごかった。アクション、戦い、それぞれの意地のぶつかり合い。ユニゾンではあるんだけど、確かにデュエットってぶつかり合う側面はあるよなあ、と噛み締めながらどのレビューにも目を奪われた。

あと、 口上の気持ちよさ。これはもう河竹黙阿弥のせりふそのものというか、言葉を音、拍子で割る、歌舞伎の台詞そのままだ。特に双葉、香子、それから純那あたりが特にリズミカルだった記憶が。まひるの口上はめちゃくちゃ宝塚だったけど……清く、正しく、美しく。 

歌舞伎の特徴として、音が音楽と同時に、拍子でもあり、役者は非常にリズムと共に舞台にある。これを形式的だとしてリアリズム演劇を取り入れていく演劇運動があるんだけど……詳しくは早稲田大学演劇博物館あたりで調べてくれい。

盆踊りやソーラン節のイントロで体が動いた経験はないだろうか。リズムとはビートであり、ビートは鼓動である。日本の伝統芸能には、この日本人が骨の髄まで馴染んだ鼓動を織り込んだものが非常に多い。

せりふであり、メロディであり、音であり、同時にリズムたりえたものが黙阿弥がこしらえた五七調のせりふではないかと思う。

ちなみに黙阿弥のせりふの一部はここでも見れます。

まあこのあたりは「白浪五人男」「三人吉三」を見ていただくとして

(テレビで見るあのおじさんたちは舞台だとかっこいいんだぞみんな!)

スタァライトの音楽が徹底して作り込まれているのは、音感のない私でもよくわかる。それに徹底して台詞のリズムが整えられているように思ったのだ。


大場ななと星見純那

さて、最初からクライマックスだと思ったのがこの二人。アニメ初期だけ見ていたので、ばななが演出側に回ること、純那の性格は把握していたが、おい、なんだこれは。ばなながメッチャクチャカッコイイと同時に胃が痛すぎたぞ。 

芝居をやっていると、やめることは常につきまとう。開店休業状態で役者と名乗れるのか?という自問自答は、まるでキャッシングローンの利子のように毎日心の中をむしばんでいく。ばななの葛藤に関してまだアニメを見ていない私にはわからないけど、純那の気持ちも、ばななの気持ちも経験したことがありすぎてマジで映画館で吐くかと思った。余談だが私は「生き恥」大学卒業です。

彼女が選んだ道を介錯してやろうとするというのは、「あなたはもっとやれるはず、あなたは特別」と言う自分の応援している人に対するもどかしさなのか、それとも「お前のようなものは嫌い」だと言う舞台人としての切り捨てなのか。

こういうことは、大なり小なり、よくある。それを正面切って描いたエグさに、私は泣いた。あと、自分の言葉じゃなく引用で喋る役者は嫌われる。これはガチ。しらんけど。

真矢とクロディーヌ

いや~~ファウスト!!!私はデビューがオペラの子役で、母親の家系が音大一族なので馴染みあり、どっかで見たことあるな~~アッ!!ってなりました。ぶいぶい。役者が映画を見た時に、真矢とクロディーヌにめちゃくちゃあこがれるんじゃないかな。

お互いに実力があり、華があり、主役になるべくして生まれたようなふたりが、お互い高いレベルを目指して切磋琢磨している。見ていて気持ちいい。しかし他の面々の絶望もわかるっちゃわかる。だってあまりにも輝かしすぎるではないか。

99期生には未経験者もいるとのことだったが、追いつけると思う方が正直……。もちろん追いつけ追い越さねばならないのだが、ダンス、特にバレエは、バレエを踊れる筋肉と体格とつけないといけない。それに加えて幼少期からは「バレエを踊れる骨格」を目指すのである。(まあめざしてなれるもんでもないんだけど、バレエ歴そこそこ長いO脚より)

ユースグランプリ、ドイツのバレエスクールのクラスレッスン。これの4分11秒あたり、人類としてありえない動きをしている。でもこれ、ハイレベルだと「よくある」バーレッスンのパ(動き)。

日々柔軟をかかさず、プリエだのタンデュだとピルエットだの、およそ普通に生きていればほとんど使用機会のない動作を繰り返し繰り返し練習し積み重ね、そうして人類としてありえないつま先立ちで踊り続けるという領域に達するのだ。

その中には友達と遊ぶとか、ミスドの食べ放題に行くとか、深夜にポテチ食べながら映画を見て夜ふかしをするとか、足を組み替えて警察を誘惑するとかは含まれない。(シャロン・ストーン)足を組むと体がゆがむからね。

それをいきいきといとわずにやり続けている真矢さんとクロディーヌを、私は非常にうつくしいと思う。他の葛藤なんて知ったこっちゃない、絶え間ない自己研鑽の求道者である。いわばお蝶夫人同士の戦い、それが真矢vsクロディーヌ。亜弓さんとお蝶夫人大好きな身としては最高であった。 

ひかりと華恋、それからまひる

まひるは最後に勝利をつかむタイプな気がした。共演者のために演じられる役者は美しい。好かれる。愛される。孤独にならないということは、幸せな人生と非常にニアイコールである。

しかして、キッチュポップカジュアルな、まひるの一連のレビューはとても哀しみを含んでいる。アニメ見れば視線が変わるかもしれないが(このレビュー書いてから一気見しようと思ってたもんで……)、自分が愛した人が選んだ人が、愛した人のもとへ向かうために背中を押すなんてのは、普通やれるもんじゃないんだ。無理なんだよぉ!!!

最後、私が応援上映参加していたら「今だ!!仕留められるぞ!!!」って言っていた気がする。(物騒)

でもまひるちゃんはそうしない。その強さはとても美しく、最後に茶目っ気を持って微笑む、勝利の女神だけが持てる強さだと思う。 

で、この主人公のふたり、絶対運命黙示録、潔くカッコよく生きていって舞台の上で再会しようと思ってたふたりだが、そもそも役者としての相性が良いか悪いかっていうと、悪いと思う……。

ポジションゼロに立てるのはたった一人。だから、華恋ちゃんが本当に舞台上で幸せになれるパートナーを選ぶとしたらまひるちゃんなのだ。献身と理解と情愛とコミュニケーションの受け手。

平行線なのに交わろうとしちゃったって言えばいいのかな。真矢&クロちゃんは平行線のまま突き進んでいくので問題ないけど、二人は一回向き合う必要があって、それが映画の後半だったのであろう。多分。U-NEXT契約してるのであとで見ます。ハイ。

ハコから飛び出す二人

少女漫画において、東京タワーは運命が交錯するモチーフである。セーラームーンのオープニングにレイアース、カードキャプターさくらの予知夢、ただ「場所」でも「モチーフ」でもなく「モノ」とし捉えた作品は初めてな気がした……。なんで刺さる?

ふたりのレビューで、四角い断面が落ちてくるシーン。手紙だったかな?これプロレスリングだなぁと思った。彼女たちは「再会する舞台」というおもちゃの箱の中で遊んでいただけであって、その結論は実は決まりきっていて。それから飛び出したから舞台の上にスターは1人とひかりが名乗ることができたとも考えられるんじゃないだろうか。

舞台や劇場は「ハコ」とも呼ばれる。ハコから飛び出した人間がどこへ向かうかを、劇場と観客は知らないのだ。

ここまでで長いのでつまんでいくけど京都好きから見た例の二人 

双葉と香子のレビューは歌舞練場と南座、円山公園に清水寺、と完全に四条河原から清水まで徒歩移動するコースで、こやつら、足腰強いと思いながら見ていた。私は「鬼龍院花子の生涯」を思い出したけどモチーフとしては鈴木清順監督だそうで。あと、めちゃくちゃ「夫婦善哉」思い出した。前にワークショップで演じたことがあるワンシーンに、「お前と生きるためにこっちは必死なんじゃ」って詰め寄るシーンがあった作品。とにかく、昭和の愁嘆場すぎて懐かしかった。

世界遺産をデコトラで踏み壊していくの、世界を敵にしてもお前だけは手に入れてやるからなってことで合ってますかね(多分違う) 

繰り返して繰り返して少しずつ進んでいく

それにしても、セリフの反復が多い作品。これ絶対脚本教室だと怒られるタイプの脚本じゃないか。ただ、これはおそらく舞台少女だからだと思う。声優やドラマの人間と違って舞台の人間と違って舞台はひたすら繰り返す。舞台公演が60公演あれば60回同じことを同じセリフを言う。その前には約1月の稽古があることだってザラ。通しだってたった1回通すだけじゃない何回も何回も繰り返す。そう考えると作中のセリフの反復なんかまだかわいいもんかもしれない。

ばななの「強いお酒……」とか電車とか、どうもテネシー・ウィリアムズという作家を思い出してしょうがない。「欲望という名の電車」と「ガラスの動物園」っていう作品があるんですワ。彼女たちは、それぞれの「欲望」を見つけて、次の目的地に進んでいく。再び会うのは、きっと、「板の上」だけだ。たとえどれだけプライベートで仲が良くても。


舞台は「板の上」と呼ばれている。板。それは大変薄くて、もろくて、すぐ落ちてしまうような儚いもの。その上に立ち続ける人々に、人は歓喜し狂気し、人生さえも変えてしまう。(その人生を変えてしまう側の人も、かつては変えられた側である)


ところで、最後に個人的なちょっとしたお願いがある。スタァライトにはさまざまな作品へのリスペクトが込められている。

できれば、コロナ禍が落ち着いてからでいい。さまざまな舞台に足を運んでみてほしい。

そこには舞台少女はいないかもしれないが、舞台人間が必死に毎日、演じている。

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