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ありがとうを百万回言いたい。普通の新しい朝に。

夜、布団に入って横になった時、ふと、

一日に何回も、
ありがとうと言っていることに気がついた。

人にだけじゃなく、
モノにも。

こんなことを あらためて書くのもおかしい気がするけど、
ありがとうをたくさん言っている事に気づいて、なんだか、ほっこりして

でも、半分は、なぜだろうと思っている。

やわらかく浸み込んでいくこの感情が、
このまま変わらないと思いたいけど、

もしかしたら朝になって気持の温度が変わっているかもしれないから、
枕元のスマホに、暗がりの中でメモをした。
思いだした今日のありがとうのシーンを。
ごくごく日常のことばかりだ。


エレベーターに乗り込むとき、
先をゆずってくれる人に向かって 
ありがとうございます、

降りるときに、
ドアを開けていてくれる人に 
ありがとうございます…。

職場や仕事中の相手に向かって、
些細なことでも、たくさんありがとうを言った。

家では古くなって捨てるしかない、
先っぽが変色した菜箸に、
小さな声で ありがとう さよなら。

靴下のかかとの裏に小さい穴と電線があって、
わたしは縫い物が苦手だから、やっぱり、
ありがとう、と言ってさよならをした。

布団に入って、
体に張りついていた凝っていたものが、
ふぅっと抜けていったあと、
するっと自然にありがとう
って
心でつぶやいている。

これは、宙に向かって
無目的に漂わせたとしか言えない。

いつからこうなったんだろう。
20代のわたしなら、あり得ないこと。
ホント年寄りくさいと思う。

でも、ありがとうって言ったあと、
その言葉が、
わたしの中で、速攻でこだまする。
自分の言葉のこだまの音は、
すぐにリピートされて

わたしの気持ちは落ち着く。


次の日の出勤途中の道でも、
仕事に向かう人混みの列に混ざり、

周囲の人たちの、コートの背中や、
鞄を手に早足で歩く横顔を感じながら、

知っている人なんかは
もちろんいないんだけど、

そういうみんなを大空から朝陽が照らして、
その中を一緒に混ざって歩いている
うちに、

ほんと、バカみたいだと思ったけど、

涙が浮かんできた。

わたしはそこそこ、長く生きている。
仕事場は今、女性が7割。
30歳以上の女子がそれぞれPCと向き合って静かに仕事をしている。
(実はもっと上の年齢の女子の方が多い。わたしもそうだし)

私の斜め後ろの美しい同僚が、こっそり話しかけてきた。

「おりーぶさん。最近、心の声がダダモレですよ」
「ほんと?」
「はい。さっきから、よかったあ、とか、ありがたいわあ、とか言ってました』
「ごめんね。気いつかんかった」
「いえ、全然。むしろおもしろいんで。そのまま、続けていただいても、こちらとしては、いっこうに、なんら、差し障りはありません」

「そう?オッケー?」
「もちろんでこざいます」

それからわたしは彼女に、
この気持ちを話してみた。
こういう話しは照れくさいし、 
うっとうしがられると思っていた。

けれども意外に、
その彼女は、
・・・わかる、それ、って言ってくれた。


彼女も、ありがたいなあって感じること、
いっぱいありますよ、って返してくれた言葉は落ち着いた
音だった。

世の中、ほんとに大変。
その中でわたしも、わたしの周りのひとたちにも、

心が温まる術(すべ)が
自分の何かから、
じわじわ出てきているのかもしれない。

一昨年前まで、心の中には、

あんな失敗をした、こんな失敗をした、
ああだった、こうだった、
どうしよう、ばっかりだった。

その時は何かを責めていた。そして、
ほとんどは自分を責めていた。

そういう頃には感じるはずはない思いなんだろう。

布団の中でも 自分の凹んだ気持ちを、
なんとか頑張って立て直すけど
朝起きて間もなく重い気持ちになることが続いた時もあった。

だから、
こんな変化は信じがたい。

きっと、生きてきた途中で通り抜けた、
いくつもの事柄

無意識の中に埋もれてるうち、いつの間にか、

ありがとうの芽になったのかもしれないし、


こんな今だから、
その芽が出てきて、わたしを変えているのかもしれない。


よい世の中にしていくために自分の人生を費やそうと、マジでエネルギーを注いだり、自分や上に対しての宣誓!みたいなこともやったし。

いろいろやって、今感じるのは、
わたしにはそれが最適ではなかったのかもなということ。

わたしはこれからも
ありがとうを言い、
心の声がダダモレですよと言われても
そうですか、と、心の中をさらけ出しても平気のへっちゃら、

でへへ、と、笑えるわたしでいることが理想になった。
こう考えただけで、すでに笑い顔になっている。

すると口角が上がり見た目にも効果的だ。
なにせ30才代は遥か彼方に越えているし。

わたしはあと死ぬまでに、
ありがとうを100万回言いたい。

無理だろ、と言われても 
ありがとうを 100万回言いたい。

たぶん、そこそこいける。

だって、
大いなる普通の朝をむかえられる現実があるのだし。
こう思うと、気分が軽やかになる。

仮に濁った空気が漂う中を歩いていても

じつは、善意はじぶんの周りに
いっぱい満ちているのが見える。

そして、“ありがとうのバリア“は 
軽やかな異空間を創って

別次元がうまれると、
わたしはそう感じている。


いただいた、あなたのお気持ちは、さらなる活動へのエネルギーとして大切に活かしていくことをお約束いたします。もしもオススメいただけたら幸いです。