「自分の頭で考える人」と「他人の頭で考える人」の違い
ここでの
他人の頭で考える人とは「他人が思考した結果で物事を判断する」人を、
自分の頭で考える人とは「自分の思考した結果で物事を判断する」人を
指すこととします。
では、何が「他人の思考」で、何が「自分の思考」なのでしょうか?
まず最初に、人の思考する「材料」について考えてみましょう。
僕は人が思考する材料は2つあると考えています。
1つ目は、「自身の五感を介して直接的に得た情報」
2つ目は、「他人の思考を介して間接的に得た情報」です。
純粋な「自身の五感を介して直接的に得た情報」を僕は「生データ」と呼んでおり、生データ以外は全て「他人の思考」が混じってると思います。
「他人の思考」が混ざれば混ざるほど、「生データ」の純度は落ち、偏見や偽の情報が紛れ込んできます。
「他人の頭で考える人」は、この「純度の低いデータ」を自身のフィルターにかけることなく、純度の低いまま知識の棚にしまい、「自分の思考」を付加することなく再び棚から取り出して、あたかもその知識が自分の思考した結果かのように使います。
この知識には、「他人の思考」のみで、本人の思考が一切付加されてないため、上のプロセスを僕は「他人の頭で考える」と呼んでいます。
では、「自分の頭で考える」ために「自分の思考した結果で物事を判断する」にはどうしたらいいのか?
大切なのは以下の2つを意識することだと思います。
⑴ 情報を自分のフィルターにかける
⑵ 物事を論理的に細分化して考える
⑴ 情報を自分のフィルターにかける
これは「他人の思考を介して間接的に得た知識」から「他人の思考」を解析し、偏見や偽の情報を取り除き、できるだけ純度の高い「生データ」の状態に近づけるプロセスです。
このプロセスを僕は、自分のフィルターにかけると呼んでいます。
自分のフィルターにかけるには、
「その情報は、誰が、どういう背景で得た情報を、どのように思考した結果なのか?」
とバックグラウンドから情報を解析し、「他人の思考」が入る前の「生データ」を予測し、自分の知識の棚に入れること
が必要だと思います。
この「生データ」を予測する作業をしないと、あなたが思考するとき、そもそも思考するための材料が本来のものからかけ離れているため、正確な思考が阻害される結果となり兼ねません。
特に人は心理学的に、権威がある人や、ブランディングのかかった人、多数派の意見を無意識に信じがちなので、常に自分のフィルターのスイッチをいれておく意識づけが大切です。
⑵ 物事を論理的に細分化して考える
「生データ」に近い「純度の高いデータ」が自分の知識の棚にそろったら、やっとあなたの思考を付加するタイミングです。
「他人の思考」を排除した「生データ」に、「自分の思考」を付加して初めて「自分の頭で考える」と呼べると思います。
自身の思考を付加する方法は山のようにあり、思考の仕方は自由ですが、僕が思考するときに絶対はずせないと思うポイントは「物事を論理的に細分化して考える」ことです。
細分化することが大切だと考える理由は以下の2つです。
・本質を見抜くため
・物事をフラットに評価するため
本質を見抜くため
僕は物事を混同して複合的にしか捉えられない状況で、本質を見抜くことは不可能だと思ってます。
なぜなら「本質」とは、複合されたものの中にある一要素でしかないからです。
なので物事を細分化し、必要最小単位まで要素分解することが、本質を捉える上で必須なことだと考えています。
物事をフラットに評価するため
物事または人を評価するときは、その物事を細分化して、要素ごとに評価する必要があると思います。
なぜなら評価には、対象と基準(物事のどの部分を、どんな基準で評価するのか)が必要で、
対象と基準は、細分化された要素ごとに変わってくるためです。
例えば、対象を「個人の年収」とし、基準を「日本人男性の平均より上回るとすごい」と置くと、孫正義は「すごい人」ですが、
対象を「100m走の速さ」とし、基準を「オリンピックに出場できるとすごい」と置くと、孫正義は「すごい人」ではないです。
上の例は極端ですが、「『年収』がすごい孫正義を、『100m走』まですごいと思い込んでしまい、お金の稼ぎ方だけでなく、短距離走のアドバイスまで聞いてしまう」というような、人の能力を細分化できてない状況を、よく見ます。
人はある要素がすごいと、その人の全ての要素がすごいのだと思い込みがちです。
逆に、最初にマイナス評価のレッテルを貼られると、その人の中のプラスの要素に目を向けられにくくなり、
マイナス評価を受けたのは、あくまで一要素でしかないのに、その人全てが否定されるというのもよく見ます。
例えば、TVでニュース討論番組や国会などを見ているとよく目にするのですが、
議論中に、議題に対して意見を出し合っていたはずが、周りに批判される意見を一度発言すると、途中からその人の人格に対して攻撃を開始する人がいます。
意見(議題に対する考え)が批判されてるからって、その人の人格がおかしいとは限りません。
上の孫さんのときと同じく、物事を論理的に細分化できず、複合したまま評価するから、このような結果を招くのだと思います。
最近のベッキーの話題も同じことが言えます。
確かに不倫は世間では悪いと思ってる人が多いでしょうし、被害者を出したのも事実です。
しかしそれとは関係のない人格の部分まで、全面的に攻撃されています。
さらに被害を受けてない第三者達がTVで批判のコメントを残し、ベッキーは世間に対して何も悪いことをしてないのに謝罪させられる。
この件でも全てが複合されすぎだと僕は思います。
複合したまま評価すると、間違った判断をしがちです。
なので物事を評価するときは細分化することが大切だと思います。
終わりに
もしこの文章が、何かしらみなさんのプラスになればとても嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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