現地校で英語の授業をしてみたら
「菜央、明日授業に行けなくなっちゃったんやけど、1人で授業お願いできる?もう任せられるかなって!」
一緒に授業を担当しているパートナーのSanja(仮名)からそんな電話がかかってきたのは授業日前日のこと。笑
「教材とかどうしよう?今から用意した方がいい?」
そう聞く私に、
「急だから大丈夫。内容はそうね…バレンタインとかどうかな?教材送っておくからあとはそれで進められるかな?」
「うん、おっけー!じゃあそれでやってみるよ〜!」
ということで、急遽1人で授業をすることに。いずれ1人で授業をする日はやってくるだろうとは思っていましたが、その日が急にやってくるとは!でも、頼ってもらったらやってみよう!ということで、1日、1人で授業を担当することになりました。
ボランティアに頼らざるを得ないくらいの教員不足
正直なところ、私は初等教育の教職課程は修了していません。オランダで日本の教員免許の書き換えをしましたが、それも中等教育のもの。しかも私はTAである上に、職業上のTAではなくボランティアです。
メインの教員が授業ができないからと言って、私に授業を頼んで良いんかいな…(汗)もちろん、免許があるからと言って全ての教員が"良い授業"をできる訳ではないし、"良い教員"である訳でもないでしょう。でも、やっぱり教師という仕事は専門職だと思います。誰でもかれでもが出来る仕事ではないし、そうであってはいけないと思うのです。しかも、初等教育と中等教育では教職課程で学んできたことも違えば、そもそも私はこの国の認められた教育者ではありません。
頭の中でそんな風に思いましたが、現場では猫の手も借りたいくらいの教員不足なのが現状です。その背景には教員の働き方が柔軟であることが1つの理由として挙げられます。2019年OECDの調査でワークライフバランス世界1位となったオランダですが、どんな人も自分のライフスタイルに応じた働き方が許される社会では、その働き方が教育現場にも現れます。それは悪いことではないとは思いますが、個人的にはオランダのように多くの移民難民を受け入れる国で、この国の政策と教育現場の実態にミスマッチが起き始めているのではないかと思っています。
ただ、これはオランダに限ったことではなく、理由はそれぞれにありますが、先日訪れたフィンランドでも教員不足は深刻だそうです。さらに言えば、アメリカや日本でも同様だと言えます。
一方で、オランダではその状況を放置せず、あれやこれやと教員不足を解消するための政策をどんどん打ち出しているように見えます。…ということで、今回はひとまず「頼られたんだからやってみるか!」そう思って引き受けることにしたのでした。
不安な私を拍手で迎えてくれた子どもたち。笑
最初に訪れたのはgroep6、日本で言うところの小学校4年生のクラスでした。
「みんなおはよう〜!今日の英語の授業は初めて私1人でやります!ちょっと不安だけど、助け合って授業ができると嬉しいです。よろしくね!」
そう言うと、全員で拍手をしてくれました。笑
これって別にオランダの子どもたちだからってことはないと思います。日本の子どもたちだって、高校生だって、十分優しい。私は教員生活の中でたくさん生徒たちに支えられてきました。大切なのは、まず最初に私自身が生徒の前で謙虚でいることだと思います。
「菜央が困ったら、みんなで手伝うから大丈夫だよ〜!」
子どもたちはそうやって言ってくれました。ほんと、優しいね。
バレンタインデーのアクティビティ
今日は授業をした全てのクラスで、導入として前回の日本への一時帰国の写真を紹介しました。回転寿司やレストランでロボットが食事を運んでくる様子を観たり、富士山の写真や社寺仏閣の写真を見せたりして、私の両親や愛する家族が日本にいることを伝えました。世界中にはそれぞれの事情ですぐに会いたくても会えない人たちがいるよね。と伝え、大切な人が近くにいる時はその気持ちをちゃんと伝えるのも大切だね。という導入です。
そして、2月14日はバレンタインデー。みんなで「大切な人」を思い浮かべてメッセージカードを作ろう!というアクティビティにつなげました。
予め用意された瓶の中にハートの紙を貼ります。そこには「大切な人のいいところを3つ英語で」という約束で。それぞれが色を塗ったり、絵を描いたりして思い思いのカードを作り上げていました。英語が難しいと感じた場合は、オランダ語でもOKです。
印象的だったのは、どの学年でも「誰かにとって大切な人」を決して笑ったりしなかったこと。男子生徒が「お母さんに書く!」と言っても、女子生徒が「ペットの猫に書く!」と言っても、誰かが「○○に書く!」と友達の名前を言っても、生徒たちはそれぞれの「大切な人」を尊重しているように見えました。
とにかくうるさくなるのが早すぎる
一方で、オランダの子どもたちはとにかくうるさい!こういったアクティビティは、色を塗ったり絵を描くことでそこまで頭を使わなくてもできるので、口がよく動くようになります。自分の席から立ち歩いて友だちのところにペンや色鉛筆を借りにいくことが常のクラスでは、うろうろする度に友だちとじゃれあったり、ちょっかいを出したり。まぁ、それが一般的な小学生の在り方といえばそうですが、すぐにエスカレートする姿も。
静かになるのを待つのですが、週1回しか会わない私と深い関係ができている訳でもないので、そりゃすぐに静かになる訳もありません。じゃあ毎度毎度、大声を出して「静かにしなさい!」と叱ればその場は静かになりますが、果たしてそれが本当に適切な指導かと言えばそうではないようにも思います。
そもそも、オランダの先生には「大声を出して子どもを制する」ということを好まない人たちも大勢います。だって、学校は軍隊でもなければ、工場でもないのです。
そこで必要になってくるのが「リスペクト」ですが、そのクラスにリスペクトがあるかどうかは、クラスでどのように「リスペクト」が醸成されてきたかによります。矢印がいつまで経っても自分向きな子どもたちは、自分へのリスペクトには敏感でも人へのリスペクトが足りないことも多いように見えました。つまり、非常に自己中心的に振る舞ってしまうということです。
学校生活において、他人に対する「リスペクト」を体得するとしたら、そのためには条件として何が必要だろうか?そんなことを騒つく教室の端っこで考えていました。
いい関係を作るには「時間」という条件が必要だ
そう考えた時、やはり「時間」というのはとても重要な条件であるように思いました。教師や先生と呼べる人と、ある一定の時間を費やすことで、お互いを知り、関係を築き、リスペクトを醸成させていく…だとすれば、やはり今のオランダの教職員の働き方が「柔軟すぎる状況」なのであれば、子どもたちとの良い関係は築きにくいのではないかと思います。
それはつまり、私やパートナーのSanjaのように週1回来て45分の授業をする人と「良い関係」を築くことはとても難しいということなのかもしれません。そこに至るまでの絶対的な時間が不足していると思うのです。もちろん長ければ良いということでもありませんが、親子関係でも教師と子どもの関係でも「時間」という条件が足りていなければ、何かを生み出すことも、修正することも難しくなります。
また、オランダの小学校は「インクルーシブ」という言葉さえ使いませんが、非常にインクルーシブな状況だと思います。素人の私でさえ、特性があると判断できる生徒がおおよそクラスに1名〜2名はいる状況で、そのような子どもたちを適切に見守り、関係を作っていくには時間の投資も必要です。
…ということで、仮に「柔軟な勤務実態」を今後も維持するのであれば、子どもたちとの関係づくりの部分にはもう少し工夫が必要になってくるように思います。今、オランダの教育が抱える問題点…とまではいかないかもしれませんが、学校で教員が頭を悩ませていることの1つはこういった歪みによる教室の中の問題なのではないかと推測しました。
家庭での教育や躾も大きな役割を担う
全ての授業が終わって、スタッフルームに戻るとそれぞれのクラス担任から「菜央、どうだった〜?楽しかった?」と聞かれました。おおよそは楽しい授業でしたが、1つだけひとことで言うと「カオス!」のクラスがありました。そこにそのクラスの担任はいなかったので、別のクラスの担任にそれを打ち明けると、
「あのクラスで授業が上手くいかないのはあなたのせいではないから大丈夫よ」
と、あっさり言われました。聞くところによると、特性がある子どもたちが多い上に、保護者が子どもを甘やかしすぎている家庭が多いのだと言います。そして、子どもたちがあまりにも自由奔放であること、そして保護者と話が噛み合わないことが学校の悩みの種でもあるそうです。
「親が子どもを愛するのは良いことよ。でも、愛することと甘やかすことは違う。そして、その甘やかしを学校に要求してくることも間違っている。学校はあくまで学校教育の場所だからね」
私を励ますために言ってくれているのかと思いましたが、よくよく話を聞いてみると、私でも「え…?!」と、少々異常だと思うようなことが起きていることがわかりました。
そこで改めて家庭教育の重要性を実感した気がします。家庭教育とは子どもに対する深い愛情であり、子どもが集団の中で尊重され生きていくために必要なものなのかもしれません。それを十分に与えられなかった場合や、甘やかしを家庭教育だと刷り込まれた場合、また厳しい家庭教育で育った時、…いずれかに当てはまっても子どもは集団の中で苦労するのかもしれません。
今日一日、自分で授業を担当し「自分しかいない」という状況を経験してみて、色んな景色が見えた1日でした。授業後にゆっくりと色んな先生と話をして、やっぱり教育って深いし面白いなと感じました。同時に、教育は教育政策のあり方や社会のあり方と深く紐づいていることを再確認できて面白かったです。
もし次回同じようなチャンスがあったら、より改良した授業にして、英語で広がる世界の楽しさを子どもたちと共有できる展開を考えたいと思いました!
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