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車椅子のたいちゃんと一緒にオランダを巡ったら

こんにちは!秋も深まるこの季節、Facebookから流れてくる京都(私の生まれ故郷)の紅葉を見る度に「京都に帰りてぇえぇえぇ〜!」と叫んでいる私です。笑

やっぱり、日本って最高ですよね…自分の心のふるさとは日本にある…!!

さて、約2週間前、日本からオランダにゲストがやってきました。
その名も「たいちゃん」、高橋平さんです。このたいちゃんの野望である「オランダで障がい者スポーツを見て、日本の障がい者スポーツに貢献したい!」というのを全力でサポートされたのが、オランダ(しかもご近所)にお住まいのサッカーコーチのコーチである、倉本さん

たいちゃんは、ご自身の経験を日本の障がい者スポーツに活かしたい!とクラファンを決行し、見事にその目標額を達成した後、オランダに来られました。


オランダの初等教育を一緒に視察

今回は、たいちゃんと倉本さん、そして撮影隊であるオランダにお住まいのさよさんと一緒に、一般的な小学校を2校、特別支援学級を持つ小学校を1校、合計3校巡りました。

どの学校でも、たいちゃんは全身全霊をかけて学んでいるように見えました。オランダの学校、教室をとても興味深そうに観察していました。

オランダの小学校は学校ごとにカラーが異なります。それは単なる「良し悪し」ではなく、「学校の特徴」「個性」として扱われます。そういった、制度上「選べる」という自由がたくさんある一方で、ホームスクールを原則許可しないという「制限」もあります。それはまさに「学校こそ異なる子どもたちが集うところ」だと考えているからではないでしょうか。初等教育では特に市民教育や性教育を大切にし「ちがい」を認識しながらも、「一緒に生きる社会の市民」を育てます。

残念ながら、オランダは深刻な教員不足に陥っていることもあって、教育現場は常に人手不足に悩まされています。それが引き起こされている原因は教育だけにある訳ではなく、経済との関わりによって生まれた歪みの影響が教育に出ていると言えます。

そして、それは特性を持った子どもたちの教育や、特別支援教育にも同様に辛い影響を与えています。ただ、政府もその状態を放ったらかしにするのではなく、この夏から初等教育教員の給与水準を中等教育教員と同等にするなどして、何とか教職という仕事を魅力化することで人員を確保したいと動いています。

障がい者スポーツへの取り組みにも同行させてもらったら…

ある小学校の視察帰り、倉本さんに「この後予定がないのであれば、菜央さんも是非!」と誘っていただき、デン・ハーグにあるAdd Den Haagというサッカーチームのスタジアムに同行させてもらいました。

生粋の吹奏楽人間の私にとってスポーツは全く異なるフィールド。スポーツとは無縁の世界で生きてきた私にとって、サッカーを通して知るオランダはとてつもなく新鮮なものでした。

そして、スタジアム視察に関わった、たいちゃん、倉本さん、そしてオランダで同じくサッカー関係のお仕事をされている金子さんたちの表情と言ったら、まるで少年でした。笑

「あぁ、サッカーの魅力ってこういうところにあるんだ!」

ADO Den Haagの担当者の話を聞きながら、そして目をキラキラさせて話に耳を傾ける男性3人を見ながら(笑)、オランダという国をサッカーを通して見てみると、そこには教育に通づる部分がたくさんありました。

たいちゃんが今日本で活動するなかで感じる「障がい者スポーツ」を普及するのに立ちはだかる壁の話をし、それがオランダにもあるのか、ないのか、あるとするならどうやって乗り越えているのか…そういったことをチーム運営側の方に問いかけていました。そして、担当者の2人はそれに熱心に耳を傾け、これはどうか、あれはどうかとアドバイスを与えてくれていました。

オランダでは障がい者スポーツは"g-sport"と呼ばれ、特性や難しさ、障がいのある人たちもスポーツを楽しもうぜ!という動きが盛んです。この日観せてもらったのは、ADO Den Haagが主催したg-sportのイベントのトレーラー映像でした。

たいちゃんはこれを観ながら、「こういうのがしたいんだよな…」と声を漏らしていました。確かに参加者はとても楽しそうで、キラキラしています。

この映像を観せてもらって、私も「素敵だな〜!」と思ったと同時に、社会に多様性をもたらすためにはある程度「戦略的に」何かを行うことが求められるのだと認識しました。

特性も、障がいも、言語も、全部ひっくるめて「ちがい」

視察した1つの小学校は、実は私がTAを務めている学校でした。私が校長のRachel(仮名)にお願いした時、彼女は快く受け入れてくれました。

「誰もみんなユニークで、どの言語も大切」

もちろん、その人の特性や障がいのレベルによって必要な支援は異なります。でも、彼女は基本的にそれは「言語にも同じ」だと言います。そもそも人はみんなちがうからこそ「じゃあどうしていく?」が大切なのです。そんなスタンスの彼女なら、たいちゃんの訪問を喜んで受け入れてくれると思っていました。

そんなRachelや、体育の先生などの話を聞いて、たいちゃんはまた心を震わせていました。教室には特性のある子どもたちが溶け込んで存在し、時には衝突もしながら、お互いを認め合って学校生活を送っています。オランダでもそこにまだまだ課題はありますが、「みんなで生きていく」という様子にたいちゃんは感動していました。

その後、私の大切な友人家族の隆が体育教師として働いている小学生にも訪問させてもらい、隆の授業を見せてもらったり、3人で話をしたりして、これから私たちは一緒に何ができるかな?という話をしました。

「人と目が合うのが嬉しい」とたいちゃん

オランダは決してバリアフリーが進んだ国だとは言えません。道路は石畳が多く、スーツケースを引っ張るのもやっとです。段差は多いし、エレベーターがついていないお店があったり、駅でもエレベーターを探すのに苦労することもあります。最初、倉本さんからたいちゃんの話を聞いた時「この国は全然バリアフリーじゃないけど大丈夫かな…」と不安に思いました。

「施設はお世辞にもバリアフリーとは言えないけれど、人と目が合う。"あなたに興味あるよ"って言ってくれている気がする。何か困っていたら、すぐに人が集まってきて助けてくれる。やっぱり人って良いなぁ」

たいちゃんはしみじみとそう言っていました。「あぁ、そうなんだ。そんな風に感じているんだ。それがたいちゃんから見えている景色なんだな」そんなことを強く感じました。どれだけ施設が整っていても、やはり人の優しさに敵うものはないんだと気付かされました。

そんなことをFacebookで共有したら、知り合いの方が乙武さんのYoutubeを紹介してくれました。

私たちは補い合って生きていく

その1週間、たいちゃんはオランダの景色にすごく馴染んでいたように見えました。それはたいちゃんの生き方や考え方がその背中に現れているからかもしれません。心が折れそうになったこともきっと何回もあっただろうけれど、とても前向きな姿勢がこの国に馴染んでいるように見えたのです。

たいちゃんと出会ったオランダの人たちは、たいちゃんの気持ちを受け止め「こんなことをしてはどう?」などと言って、オランダの例を紹介したりして「私たちはあなたのそばにいるよ」という目線で話しかけてくれていたように思います。そして、たいちゃんはその心に触れる度に涙していました。

「前向きに頑張る姿を応援しています。でも、あなた自身を大切にすることも忘れないでね。1人で背負いすぎないで」

Rachelはそんな風に声をかけていました。誰も1人で生きていけないからこそ、たくさん助けを求めて良いのです。大きな夢を抱くたいちゃんが消耗してしまわないようにしないと、その夢さえ叶わないのだから。そんな風に聞こえました。

たいちゃんが帰国後に学校に行った時、

「彼は車椅子に乗って生きるだけでたくさんのパワーを使っていると思うの。そんな人が自分が壊れるまで頑張らないといけないわけがないでしょう?彼にはたくさんの人の助けが必要よ。もっとたくさんの!」

そんな風に声をかけてくれた先生がいました。

私たちはそもそもデコボコです。その溝の深さは実際には均一ではないけれど、「これくらいならOK」という基準を勝手に設けて「基準内の人」と「そうでない人」を分けてしまっているんじゃないかと思ったりします。

何かが極端にできなくても、それを得意とする人に助けてもらって。その人にお返しが出来なくても、自分の得意とするところで誰かを助けて挙げられたらいいし、そうやって「助けてくれる?」「いいよ」をセットに。「ありがとう」「どういたしまして」をセットにして社会を循環させられたら、みんな満たされていくんじゃないか。そんな風に感じました。

私には見えていなかった世界を見せてくれた、たいちゃん。
たいちゃんがオランダに来てくれたことは、私にとって生涯忘れない学びになりました。そして、たいちゃんが叶えたい夢を、私ができることで補えるなら、一緒に叶えたい。そんな風に考えています。

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