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英語講師としての正式採用、"1番重要な書類"は?

こんにちは!太陽がキラキラと輝き始めたオランダの5月。5月は1年の中で最もまとまった休みが多い月だと言えそうです。

そんな中、先日、オランダの現地小学校と正式に雇用契約を結びました。これまでTAとして授業に入り、ボランティアとはいえ少しばかりの報酬をいただいていたのですが、校長に「産休代替としてTAではなく講師として1人で授業をもってみないか?」と言われ、「ひとまず年度末(7月初旬)までなら」という約束で雇用してもらうことになったのでした。


授業開始日の前日に雇用契約。笑

「あなたが来てくれるなら、英語の授業は何曜日にでも変えるわ!」と、鼻息荒くメッセージをくれた校長。これまでは毎週水曜日(午前中授業の日)に行っていたのですが、同様に娘の小学校も午前中授業の水曜日に授業を終えてお迎えに行くのはなかなかのハードスケジュールでした。

…ということで、授業日を火曜に変更してもらうことに。そうすることで、私は朝(8:30)から14時過ぎの間に全てのクラス(小1〜小6)を訪れ、英語の授業を行えるようになりました。授業が終了したら娘のお迎えに全力ダッシュで向かわないといけないことには変わりないのですが(笑)、それでも全ての学年を教えられることで見えてくるものがあると思っています。

校長との話し合いの結果、22日(火)に1人授業初日を迎えることになったのですが、そのために設定された雇用契約の日が前日の21日(月)。爆 もちろんその前の週は木曜日から4連休だったので仕方はないとはいえ、急やな!!!←

私が勤務する小学校の学校団体は、その管轄下に6校の学校を持っています。月曜日にはメインの校舎に招かれ、人事担当(HR)と雇用契約に必要な書類の手続きを行なったのでした。

「この書類がないと明日から授業がしてもらえません」

人事担当とのやりとりの中で最も強調された書類がありました。それが日本語で言うところの「無犯罪証明書」です。無犯罪証明書という言葉はひょっとして聞きなれない言葉かもしれませんが、日本では「犯罪経歴証明書」とも言われるそうです。日本では履歴書に「賞罰」を書く欄が設けられていることが多いですが、提出先の企業や団体が個人についてどこまで調べるかは未知数だという場合、虚偽の申請はできるようです。

一方で、オランダでは「子どもに関わる仕事」に従事する場合、必ずこの「無犯罪証明書」を提出しなければいけない義務があります。調べてみると、学校はもちろんのこと、放課後の水泳教室や体操教室など多岐に渡る「子どもに関わる仕事」でこの書類の提出が求められることがわかりました。

「金銭的なことにまつわる事務処理は後でも大丈夫。でも、子どもたちの前に立って授業をするに際して、この書類がないと明日から学校には行ってもらえないんです。子どもたちを守るためにとても大切なことですから」

人事担当の方はそう言いました。

オランダではこの書類は"VOG"と呼ばれていて、政府のサイトにもその説明がなされています。これを発行できるのは「司法安全省」に限られており、BSNナンバーと呼ばれる個人に割り当てられた番号から個人の犯罪歴に照らし合わせてその発行が可能か否かが判断されます。

日本では「DBS」と呼ばれ、導入が検討されている

2019年に教員を辞めた私ですが、これまで生徒に対する猥褻行為などで懲戒免職になった教員を少なくとも5名は知っています。個人的にはこれは驚異的な数字(多いという意味で)だと思うのですが、私の周囲ではその懲罰自体が甘く、また学校現場に戻った人もいれば、懲戒免職後であっても教育畑(塾や習い事)で働き続けている人がいることも事実です。

日本での導入はどうかと調べてみると、こんな記事を発見しました。

教員や保育士などの性犯罪歴をチェックする「DBS」とは? 小児性犯罪を防ぐため、こども家庭庁が導入へ

ここにオランダの例はありませんが、諸外国(特に英国)での例が提示されています。

「やりなおしがきく社会」VS「子どもが真ん中の社会」

この記事でも語られている通り、憲法でいうところの「職業選択の自由」に触れることも事実です。だとしても、これは「言論の自由」と同じで「自由があれば何でもできる」とは違うということだと私は思います。

記事の中にあるように「性犯罪前科2犯以上あった人の特徴」では、同型性犯罪の前科がある人の方がやはり再犯率が高いこともわかっています。そして、このデータはおそらく日本だけのものではないでしょう。…だとしたら、これは「職業選択の自由」を行使することで守られる権利よりも、「子ども」という、「社会において力を持たされないことで最も片隅に追いやられる確率が高い存在の尊厳」を守ることの方が優先されるべきだと思うのです。

一度のショッキングな経験を通して子どもたちが一生の傷を負うかもしれないことを考えた時、「子どもと関わらない仕事」の選択肢がある社会がそこにあるのであれば、再犯を防ぐためにも大人たちはそちらの選択をすべき…というか、そのような選択肢が社会に残されていることが求められます。

それはつまり「子どもが真ん中」であるということだと思うのです。そして、そのように社会をかたちづくれるかどうかは、社会が「子ども」という存在に対してどのような眼差しを送っているかを現すのではないかと思います。

受験の日を狙った痴漢、子どもの混浴風呂を狙う小児愛者

とても悲しいことではありますが、未就学児から高校生を狙った性犯罪はとても身近にあるように感じます。私は高校教員として、生徒たちにとってとても大切な日である「受験日」に、どうか彼らの人生を狂わせてしまうようなことがないように…と祈っていました。生徒に話を聞くと、そのような会話がtwitter上にある。と聞いていたからです。

また、日本の公衆浴場でも未就学児〜小学生低学年の子どもたちが親に連れられていく姿を狙う人たちがいると聞きます。子どもを持つ親にとってはとても怖いことです。

このような事象に対して防犯策を考えることも大切ですが、もっと根本的なこと。「何故そのような人たちが生まれるのか」という背景に目を向けることも大切です。対処療法的に性犯罪を捉えるのではなく、根本的治療について考えることも重要だと思うのです。

それは、社会がLGBTQ+についてもっと開眼することかもしれません、そもそも「人はみんな違う」ということを大人が正しく理解することかもしれません、そしてそれを学校や家庭で子どもたちに伝えること、学校で正しい知識を伴った性教育が行われること…私には全て繋がっているように見えます。

今回の出来事を通して、オランダだけでなく世界各国で「子どもたちを真ん中」にするための仕組みがあるということを知りました。人の権利と紐づいて「性」が悪用されやすい日本において、力を持たされない人たちがその魔の手に屈するしかない社会から立ち上がり、しっかりとその尊厳が守られる社会になるために必要なことを考えさせられました。


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