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絵画に含まれるプロパガンダ

歴史地理は面白い。
単に古地図や絵画を調べて昔の世界を知るだけでなく、私の大好きな「陰謀論」的なな要素がたっぷり含まれているからだ。

例えば、この論文に描かれている内容の中に、

第5章のヒュー・プリンスの論文で、絵画の土地制度の変化というのがある。

簡単に言えば、18世紀イギリスでの農地に於ける囲い込み運動が活発化し、農業のハイテク化も進み、それに伴い農民が農地を失い溢れ、生活苦を強いられていた事実がある。

しかし、支配層は、こうした現実ではなく、理想化された田園風景を画家たちに描かせていたのだった。

トマス・ゲインズバラ「アンドリュース夫妻の肖像」

この様に、落ち着いた平然とした夫妻と整然として田園風景は、一見平和な夫婦の日常を描いたものに見えるが、実際は農民の生活苦がそこかしこに存在していたことを、あたかも隠す様な絵画となっている。

リチャード・ウィルソン「トゥイッケナムのテムズ川」

こちらも一見、美しい風景画であるが、いかにも美しい理想郷を描いており、背後にある土地の支配を匂わすものは一切ここには描かれていない。

この様に近世イギリスを中心に描かれた作品は、こうした支配層の理想を描いたものが多く存在していた。

ヒュー・プリンスは、庶民の日常的な実態ではなく、支配層の望んだ、豊かで安定した農村の様子が続くことを望んだこれらの作品に対し、

この現象は、画家のパトロンの好みや、地主の懐古趣味に左右されたものであり、農業革命における収益性や効率性といったことにばかり関心を寄せ、その裏に存在している農民の貧困化という大きな問題に目を向けようとしない姿勢が、

これらの絵画から伺い知る事が出来ることを述べている。

近世イギリスでの農地等風景を描いた絵画には、こうした支配層の権力や理想というものが描かれており、あたかも土地を近代的に平和的に整備しているという様なイメージのプロパガンダを行うツールとして利用されていた、と言える。

農民たちの現実が描かれることは殆ど無く、あたかも穏やかにおとなしく平和的に働く存在の様に扱われていたのだ。

それは逆に、土地を奪われ貧困化する農民の労苦を隠すための絵画、と言えるかも知れない。

絵画とはしばしば、こうした支配層の、偏ったイデオロギー、つまり、権力や支配を正当化するという思想に利用されたと考えることが出来るものだと言える。


ここからは私の日々の考察である。

私たちの日々の生活も似た様なものだ。
情報は常に楽しいイベントで溢れ、勿論こうした気晴らしをするのも大切なことなのだが。
しかし、生活の基盤は健康的と言える経済状況であるのか?、働いても働いても多くを税金でむしり取られ、その割には期待した質の福祉を受けることも出来ない。こうした権力者からの貪りの行為を誤魔化す為に、ハロウィンだ、クリスマスだ、挙句はかわいい動物動画をニュースの枠で流し、現実を見ない様に仕向けられている。

つまり、近世と何も変わらず、私たちは農奴と同じ様な扱いを間接的に受けているのだ。
確かに住む場所、着るもの、食べるものに困ってはいないかも知れない。しかし、今は近世ではない。こんなに豊かになった現代に於いても、支配層達は全く労働無くして莫大な給与を得ており、そういった層が実在するのは事実であり、一方、いまだ庶民は必死に働いている。

この時代に於いてもなお、日々一生懸命肉体を駆使して生活費を得、疲れ、ろくに長期のバカンスにも出かけられない、おそらく一生こうした当たり前の様さえも夢が叶わない人も多いという、このハイテク時代なのに、庶民は一生満足することなく、どこか不自由で何かを諦めた生活を送っている。

やれ、AIだの、不労所得だの言った所で、いつになれば労働から解放され、支配層と同じ様に自由に旅行やリトリートを楽しむことが出来るのだろうか?。

庶民は、正直、支配層に贅沢をさせる為の単なる労働力として生きている様なものだ。
それを持続させる為、脳の中をエンタメやゲームで満たして誤魔化され続けてる。麻薬を打たれながら道化を強いられてる動物と同じではないか。

もう税金を支払うのは嫌だ、と、庶民全員が時給自足生活を始めたなら、支配層達は税金を取る事が出来ない。お金が発生しないからだ。

すると、こんなプロパガンダを流すだろう。
「自然に生きることや時給自足は危険である、子供の知能や健康問題に発展する」という様な。

時給自足をする田舎暮らしの家族を取材し、結局そこの子供が大学進学を望むも資金不足でいけない実態や、元々障害を持って生まれた子供を、情報や環境の整備が少ない生活をしているせいで治らないのだ、という様なドキュメンタリーを装ったドラマを流すのである。国が出したがる情報はどれも国民の為でも何でもなく、日本を背負っているフリをした政治家と言う名のたかり達の為に存在していると言える。

都会に出て、病気ギリギリまで働かせて税金をむしり取られる人達、または、逆に病気にさせて医療費を支払わせ医療界を発展させ潤してくれる人達をバランス良く配置して、その上澄みをごっそり取って行くのが彼らのやり方だ。ヤクザより怖い人達、いや、仁義のあるヤクザの方が余程立派である。

そんな仕組みは何一つ、昔も今も変わらないのだ。

支配層に生まれなかった庶民は、例え小金持ちであったとしても、小金持ちの奴隷であることは変わらない。偉そうにウンチクや屁理屈を並べてるYouTuberは一見華やかに見えているかも知れない。しかし、稼いでは税金をむしり取られているという意味では、彼らもまた支配層の奴隷に過ぎないのである。

私たちは、奴隷だと気付いていない、とても便利な奴隷なのである。


(2024.12.7)

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