瞑想は、人間が享受できる、最高の、贅沢な 戯れ言。


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2020年の パンデミックが起こってから、人生が 強制的に リセットさせられることが 起こっている。 これは、幸いかな、富める者も 貧する者も、平等に起こっているということが 興味深い。

ファーストクラスしか 乗らない人も、コーチクラスも、飛行機が 飛ばないという現実は、全ての人をある意味、平等にした。

行動が、強制的に制限され、旅行にいけないなら、あとは、もう、心を内観していくことで、 心の領域を旅する、時空を超えた、壮大な宇宙の旅に 出るしか 楽しみはない。

私もお客様が 来れなくなって、強制リセットが起こり、それ以来、こんなに瞑想をしたことがないくらい、瞑想の日々を続けてきた。 贅沢で、ありがたい、時間ともいえる。朝夕、1時間づつ、 これは、21 レッスンズ 歴史学者の ユヴァルノアハラリ氏 並である。

それが、自分の日常になってしまって、この、自分の心の旅に出ることの 醍醐味を覚えてしまった今、飛行機に乗って、いろいろなところに行くことの方が 色褪せて見え始める。

北米、南米、中米、アジア、ヨーロッパの各地、アフリカ、 いろいろなところに 旅してきたし、その土地でしか味わえない、人々との会話、料理、ワイン、その楽しみも充分 経験してきたし、その楽しみも知っている。

でも、その3次元の経験より、心の領域の旅、という、5次元的な 意識が広がる感覚の方が、 今の私には エキサイティングなのだ。

瞑想の中で、過去の記憶、その点が どんどん繋がってくる。 瞑想とは、すべての出来事を フラットに、客観視する 作業であり、出来事とともに、記憶に刻んだ その感情を、切り離す、過程であるとも言える。

僧侶の修行で、極限まで、自我を超えて行く先に、覚醒があるとすれば、座禅や瞑想は、 自我を超えて行く、最も、科学的で必須の修行方法であろう。

過去の自分の感情や、記憶といった、点が 客観的に 繋がってくると、自分という人間 が どういうことに、惹かれ、行動してきたのか、それを線、経路のように、見ることができる。 自分という人間を、興味深く眺められる。自分が 何を好きだったのか、がわかってくると、これからの人生も そこの価値観でいけば、シンプルに 生きやすくなる。

もはや、瞑想は、いろんな学者、科学者も実践している時代であり、そこから、生まれてきている、発明も数しれない。

心の領域の探求こそ、人間に与えられた、至極の快楽 であり、贅沢なお遊び、であるのかもしれない。 


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