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勉強できないとだめですか

塾に行かなかった経緯

娘のクラスでは、中2の春の時点で9割近くの人がどこかしらの塾に入っていたようでした。
私もどこか塾にそろそろ入れて、と思っていました。特に何も考えずに流されていました。周囲のママ友的な人たちは「学校の個人面談で、塾ではどう言われていますか?と聞かれるらしいよ」などと教えてくれました。
一方主人は、友人に学習塾経営者がいてその話を聞いていたりして、かねがね自分で勉強できるし、そのほうがいいという意見でした。主人は都立高校から在京国立大学へ進学しました。一浪したそうですがそれも宅浪だったそうです。実家の父は、サラリーマンで、特に貧乏ということでもありません。結局夫の性格と彼自身の信条としての在野の精神という感じです。
この話をきいてたいていの人が思うのは「でも時代が違う」ということでしょう。
娘もクラスで自分だけが塾に行けないと、泣いたり私に訴えたりしょんぼりしていました。
私はというと、改めてここで我に返って考えました。
私自身、教育熱心な親に育てられ、成績に対するプレッシャーは大きいものでした。そして学校っていうところは、「勉強ができることが絶対の正義」というところがあります。それは仕方ないことかもしれないけれど、勉強で学んだ知識自体は、大学受験以降社会人になるとつかわないものがほとんどでした。でも当時は学歴社会であり、優位に立つには、勉強するしかなかった時代でした。

学歴社会ではもうないのでは


これからの時代、学歴はどんどん意味のないものになっていくようです。
むしろ何も考えず流されて勉強をそこそこやって漫然と進学してきた人は、社会に出るといろいろな壁が待っているようにも思います。
学生の間は勉強を頑張っているだけで優等生とされリスペクトされ、精神的には生きやすい、ある意味楽な面があります。女子の優等生は、そこを見越してさっさとやるべきことをやって要領よく生きている子が今も昔も多いようです。
学歴で優位にたてると約束されているならそれもよかったでしょうが、今、社会で活躍している若い人たちを見ているとそうではなくなっているのが見て取れます。自分が何に価値を見いだし、何をしているとき努力をいとわず向かっていけるのかを、自分と向き合う時間のなかで見いだしていることが大切に思えます。

そんな時代の潮目が来ているときに、塾に入れて結構な経済負担をして進学させるのって、経済的にも体力的にもコスパに見合ってないんじゃないかと思いました。
医者や弁護士や検事に必ずなってもらわなくてはという家庭などは別として。

まず志望校を決めました

娘とも相談して、我が家は県立の進学校を第一志望にきめました。大学まで行きたい本人の意志を考慮して、環境としてほぼ全員が4年生大学に進学する環境に身をおけるところという条件です。そしてそれが決まると、定期試験で点数をとって内申点を上げていくということが公立中学では最優先の課題となりました。

そこで親子でそれをやっていこうとなりました。

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親には経済的負担、本人には学校との両立で体力的負担が大きくかかる進学のための塾・予備校通いについて、できればそれらを軽減したいと考えていらっしゃる親御さんに回覧板的に書き留めておきます。

娘の高校、大学進学は塾、予備校に行かずに家庭内で準備して進めました。その顛末をここに書き留めておきます。その日々が我が家にもたらしたものは…

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