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フィジカルがマインドを抑圧する

みなさま、湿気の多い毎日お元気でお過ごしでしょうか?
今日は体と心のつながりについてです。

皆さんは、ひょんな時に心にもないことを言ってしまったり、思ってもみなかった行動に出てしまって、何故そうなったのかさっぱりわからないなんてこと、ありませんか?体と心は直結しているので、無意識のうちに互いに影響し合います。
2020年にニューヨークで暮らしていた時、フィジカルがマインドを抑圧するのを肌で感じた出来事がありました。

 例年アメリカでは、クリスマス前から師走にかけて、郵便局が大変混み合います。その年は特に、コロナの影響で郵便局員は大変でした。郵便局では通常プラスチックの仕切りの後ろに局員がいて、こちら側に荷物を送る人がいる設定になっていますが、それに加えてマスクとソーシャルディスタンスがあるので、なかなか仕事が前に進まず、イライラの度合いが高くなっているのがわかります。 そんな郵便局である光景が目につきました。

一人の男性がエクスプレスの郵便を送るのに、適切な封筒を持ってきておらず、局員に郵便局の棚の中にある封筒を使うように言われていました。マスクのせいもあってか、局員の言っている言葉が聞こえにくく、老人はあっちへ行ったりこっちへ行ったり、なかなか肝心の封筒にたどり着くことができません。 局員の口調はだんだん荒くなります。『あー、左じゃなくて右、右。左へ行っちゃダメだってば。そうそう。あ、左じゃなくて右だってば。聞こえてるんですか?他の音を聞かずに私の声を聞きなさい!右の棚にある白い封筒ですよ。それは赤い線が入ってるでしょ。それじゃない。白いの!白いの!』彼女の声の音量は、ましに大きくなって行き、命令調のトーンになっていきます。見ると、彼女はプラスチックの仕切りの板の後ろで立ち上がり、胸を張り、手をあげて男性に向かって叫んでいます。「そんなこともわからないの?余計な手間をとらせないで。」という心中の声が聞こえて来るようです。その間、一列に並んでじっと待っている人達は、あまりの勢いに圧倒されて縮こまり、「あんな風に罵倒されないように、なるべく局員をイライラさせないようにしよう」と思っているのがわかります。ほんの三十秒前後の間に起こった出来事ですが、郵便局の中は、あっという間に、抑圧的な空気に満ちてしまいました。

他の局員達も、その男性だけでなく、他の人にも命令口調です。「はい、次の人。つーぎーのーひーと!」と一秒遅れてもせっつきます。また、別に列に割り込もうとしていない人に向かって、大きな声で、「割り込みやめてくださいね~。並んでください。みんな並んでるんだから!」と叱る。私も、送ろうとしているものが、封筒かパッケージかですったもんだし、局員の彼女の方が間違っていたのに、なぜか知らないけど怒られました。おいそれと質問もできない雰囲気なのです。 普段はもう少し親切な郵便局員が、いつになく人が変わったようになっている。上からの命令口調で、異常に厳しく取り締まろうとする。おかしい。よーく身体的状況や空間を観察してみると。。。 

まず、一列に、6フィートの印の上に並ばなければならないルールは、仕方がないとはいえ、私達をある心理状態にさせます。それから、マスク。誰かと喋っても、言ってることがよくわからないですね。人の言ってることも、よく聞こえませんし。自分の思っていることが伝えられない。相手の言っていることがわからないという、無理な状況でコミュニケーションを計らないといけない状況は、私達をある心理状態にさせます。それから、マスクをして一列にマークの上に並んでいる人達に、二重のプラスチックの板の後ろからやはりマスクで話しかけないといけない状況。しかも、ちょっとでも板に近づくと、「下がって!下がって!」と否される。この物理的状況では、対等な、人間らしい会話、接触をするのはかなり難しいです。こういうところに追い込まれると、余裕がなくなり、一人一人の人間が見えなくなりがちです。一派一絡げになってしまい、「並んでサービスを受ける人々」と「サービスを与える人々」だけの関係になってしまうんです。規則があると、それを取り締まる人が必要になってくる。望んでいないのに、「取り締まる人」、「取り締まられる人」に、ならざるを得ない状況。そして、取り締まる人と、取り締まられる人の間に上下関係ができる。取り締まる姿勢が、さらなるコントロールへの衝動へと人を駆り立てる。取り締まられる姿勢が、さらなる無力化へと人を引き込んでいく。体が置かれている状況は、私達の心理に多大な影響を与えます。体をコントロールすることで、感覚やマインドがコントロールされてしまう可能性があるのです。

 ブラジルの演出家、アクティビストで知られる,アウグスト・ボアル氏の「被抑圧者の演劇」は、体と心理の関係を使って、社会的・政治的な問題を改善していきました。彼の演劇の手法では、話題を参加者から募り、ドラマ化して上演し、その際、観客は傍観者ではなく、実際に行動する行為者という役割を与えられます。
 
観客が誰でも、進行中のドラマを止めて、役者に自分が思う筋書きをやってみてもらったり、自分が役者に変わって、違う筋書きを演じることができるのです。受動的存在である民衆を、自分の心身で実際に体験する行為者へと変容させ、行動することで変化を起こすのは可能なのだと、観客に体験してもらうためでした。 
この「被抑圧者の演劇」の中に、体と心理の関係を如実に物語るエクササイズがあります。 

ペアを組み、「抑圧者と被抑圧者(加害者と被害者)」の体になってみます。一人が「抑圧者」の体の形をとり、もう一人が、その人に抑圧されている「被抑圧者」の体になります。 私はしばらく前にこのエクササイズを体験したのですが、「被抑圧者(被害者)」の体になると、自分が小さくなり、無力で何もできなく思えてきます。体が硬くなり、自分の皮膚の外にある者全てからブロックされていると感じ、「防御」することにしか関心がなくなり、「抑圧者(加害者)」の体になると、途端に力に満ちて、全ては自分のコントロール下にあると感じ、「攻撃」することによって、さらにコントロールしたい衝動に駆られました。 どちらのパートの体になっても、世界が急に狭くなり、「攻撃」か「防御」かという一つのことにだけ自分の感覚、関心の全てが集中してしまいます。 

このエクササイズの二番目のステップでは、抑圧者(加害者)は非抑圧者(被害者)の体に、非抑圧者(被害者)は抑圧者(加害者)の体に、ゆっくりと変形していき、その時に起こってくる心理の変化を観察します。そうすると、不思議なことが起こりました。時間をかけて体の形を変えていくことで、被害者は徐々に力を取り戻し、加害者は想像もつかなかった被害者の気持ちを、体で感じられるようになったのです。このエクササイズを何度かやってみて、違う体の形をいくつも通っていくと、善悪を超えたところの人間の心理がわかるようになってきます。加害者も被害者も苦しい、そして、「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」というように、私達にはどちらの側にもはまる可能性があることもわかります。 

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