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自分を壊すってどういうこと?

こんにちは。そろそろ梅雨の気配ですが、元気でお過ごしでしょうか。

自分を壊す、と簡単には言っても、なかなか至難の技です。今日は自己懐疑を乗り越えて、自分のセルフイメージを壊し、想像もしなかった自分に出会ったJ君のお話です。

何年か前、『令嬢ジュリー』というアウグスト・ストリンドベリというスエーデンの作家の芝居の主役に、演技の経験がほぼゼロのJ君をキャストしたことがあります。J君は、表面は静かでおとなしいのですが、時折刃(やいば)のような鋭さを見せ、その存在感、豊かな想像力、自由さには目を見張るものがありました。同じ年のクラスメートとはかけ離れた何かを内に秘めていましたが、普段の彼はオドケ役で、体をふにゃふにゃさせて人に愛想を振りまき、生来持ち合わせたルックスや気質を隠そうとしているかのようでした。道化の彼は、周りの人にシリアスにとってもらえない存在でしたし、舞台にも出たことはなかったので、彼がこの大役にキャストされた時は、本人も含めて、他の先生や生徒達も、「なぜ彼が?」という感じでした。

J 君の演じた「下男ジャン」の役は、下層階級の生まれで、上昇志向が高く、たくましく自分の将来の夢に向かって生きていこうとする男性。自分の使える上層階級の令嬢と男女の仲になり、駆け落ちに走ろうとする。。と、劇の内容も凄まじいながら、登場人物も凄まじい。そして、J君は気づいていないのですが、この役は彼そのものでした。自信がないので、オドケの中に自分の本質を隠して、「そこに自分がいない」かのように振る舞ってしまうJ君。彼の中にある野性や気品、キラっと光る脆さ 、テクニックを超えた人間としての魅力、豊かな世界観は、舞台で自分を晒すことで輝き始める、私にはその確信がありました。

 五週間で人前に出せる芝居を仕上げるのは、経験のないJ君にとっては大変です。主役がこけると芝居が潰れてしまいますので、死に物狂いで役に取り組みます。でも、一生懸命頑張っているのに、彼が中に秘めているものがなかなか出てきません。上手に演じようとすればするほど、「これをやっちゃいけない」とか「正しいことをしているのだろうか」とか「自分には才能がないのではないか」とか、様々な声が聞こえてきて、自然な演技ができなくなってしまうんです。迷いや恐れが、彼の本当の能力を封じ込めてしまっている。「初めてだから」とか、「難しいから」などの様々な言い訳もあり、考えられないことですが、ゲネプロ(幕開けの前段階の仮公演)の前日にお酒を飲みすぎて遅れてくるなど、舞台に対して相当なプレッシャーがかかっていることがわかります。

J君の頭の中でぐるぐると回っていたのは、果たして自分にできるのだろうかという、自分に対する深い疑いの念です。ごく普通の家庭から出てきて、ごく平凡な目立つことのない人生を生きてきた自分に、この栄誉ある大役が務まるのか?下男ジャンになりきれるのか?彼にとって、この役を舞台で演じる自分は、自分のセルフイメージを遥かに超えたことだったんですね。

 恐くても、自分が嫌でも、公演の日は迫ってきます。自分の弱さに向かい、毎日毎夜頑張り続けた末、舞台一週間ほど前から、ふにゃふにゃとしていた体も態度も代わり、シャンと中心軸に立てるようになってきました。役作りの為に髪をカットした頃から、彼のセルフイメージはどんどん変わって行きました。そして、当日。自分が使う舞台の小道具を並べたり、衣装を整えたりと静かに準備する彼。 舞台が始まると彼は豹変し、もうみんなが知っているJ君だとは思えません。獣のような動き、セクシーな肢体を使いこなし、彼はミュージシャンでもあったので、音楽性に富んだ、スリリングで切れが良い舞台を見せてくれました。見にきていた彼の両親は驚いて、自分の息子が全く誰だかわからなかったぐらいです。

この舞台体験を通して、J君は自分が自分に対して持っていたイメージを壊し、脱皮しました。自分を追い込んで圧をかけ、どん底に落ち込み、弱い自分を嫌ほどみて、新しい自分を生きる第一歩を踏み出したのです。彼はその後も演技を続け、今でも素晴らしい役者として活躍しています。





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