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過去の振り返り方(2)

「私、どうしても前に進めなくて、過去ばかり振り返ってしまうんです。あの時のことを思い出しては、悲しくなったり寂しくなったり。」「今」が充実していないと感じる彼女は、「よかった昔」に何度も戻ります。

 ノスタルジアについての記事でもお話したように、こういう風に過去に戻る時は、「頭で考え、フィルターを通して」戻るので、実際に起こったことを見ているのではなく、幻想を見てしまいます。こんな時、「今にいなさい!」というのは簡単ですが、癖を変えるのはなかなか難しいです。

今日は、演劇の観点から過去を振り返ることについて考察してみたいと思います。

演劇のキャラクター作りには、色々なメソッドがありますが、ひと昔流行(はや)った「メソッド演技」というものでは、その人物になりきることに焦点を当てます。その人物の過去の人間関係、出来事、その人物の考え方の癖、行動パターン、価値観などを研究しますが、もちろん、台本にはそういうことは書いていないわけですから、想像上です。

人によっては、その役の職業を体験するために、フィールドワークに行ったりします。例えば、戦争から帰ってきた兵士の役だったら、退役軍人に話を聞きに行ったり、戦いの場所を訪れてみたり、歴史を学んだり。漁師の役だったら、毎日海まで行って、網を投げてみたり、ボクサーの役だったら実際にボクシングジムに行って体を鍛えたり、リングに出たりして、その人物の過去や今の身体の状態、心理に近づこうとするのです。この方法は、身体的な体験を身につけるという意味ではまだしも、心の面では、過去のトラウマなどを繰り返し舞台上で思い起こすことは、問題があるのではないかと懸念されています。研究して作り上げた、過去のトラウマに基づいた心理パターンを舞台上で実践しようとすると、頭で意識して考えなければなりません。何度も何度もトラウマを思い出さなければならないので、心理的にその苦痛に苦しむ人もいます。また、舞台の「今」に立ち、過去を頭で回帰することは、その瞬間の自分の感覚や衝動を消してしまうことになります。「自分の心身にその人物の過去を染みつかせて、その心理状態に入り込む」と、芝居やドラマが終わっても、なかなかそこから出てこれなくなる可能性もあるのです。 

「今」の重要性を伝えるために、演劇やダンスなどのライブ身体表現芸術があると言っても過言ではなく、それほど、「過去」に「今」を形作らせる行為は、意味をなさないように思います。既にもう自分の中には何人もの違う人物が住んでいるのです。役になりきって、自分を消すのではなく、自分が役を通して表に現れてくることに気づきましょう。戯曲に出てくる人物の過去から今までを作り上げていく外付けの行為よりも、自分の中にあるものを研究して、役を通して自分がいかに現れてくるかを研究した方が、真実味のあるキャラクター作りができます。そして、近年ではこうした演技法に関心が集まってきています。 

さて、「過去を振り返ってしまう」彼女の話に戻りましょう。

まず、過去そのものには、意味がありません。とは言っても、過去に達成して来た業績に意味がないのではありません。自分=自分の過去ではないというだけです。又、局部的に「過去の失敗を肝に命じて」とか言っても、それは、「あの時のあの失敗」であって、そこだけに対応しようとしても、次は何がくるかわからない。こうして「過去」に執着していては、来ているものも見えませんし、対応の仕方も限られてきます。

 方向性が違うのです。「過去から今をみる」のではなく、「自分を通して「今から過去をみる」のです。「あんなことをして、本当に申し訳ない。ダメな私。」と過去を振り返って後悔する時、時間は止まります。「あの時はよかったね」と過去に浸る時、時間は止まります。そこで起こったと思っていることは、何度も言いますが、幻想です。

過去は、あくまでも資料として使う。「あの時、私は何をしていたのか、なぜあれが起こって来たのか」、処理できていないこと、避けて来たことは、何度も戻って研究する。処理して来ていないことは、何度でも巡って来ますから。ただの回帰ではない過去の振り返り方ができるようになると、足が地について来ます。周りがよく見えて来ます。自分の存在が深まります。中から外を見る視点を持って、過去を振り返れば、自ずと必要なものは違う形で巡って来ますし、必要ではないものは消えていきます。 

「今」に生きるとは、「今の自分」を感じること。生命体は変化を繰り返し、細胞は常にリニューアルされています。自分という生命体をどこまで生きられるか。それがこれからの時代のサバイバルなのでしょう。

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