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あなたの人生に大きな影響を与えた大切な人は、誰ですか?


【運命の人】

人生を左右する程、大きな影響を与える人物。

いわば"運命の人"に、人は一生の中で3人出会うらしいです。

個人的に、人生形成や価値観に前向きな影響を与えてくれた人には

有難いことに、多く出会ってきました。

ですが、自分にとってその3人の内少なくとも1人は、確実に、

マイケルジャクソン

だと思っています。

私自身が歌手やダンサーなど、

芸能業界やエンターテイメントに携わっている、訳ではありません。

ふつーに結婚して子育てに従事する、一人の30代主婦です。

それでも、マイケルジャクソン、この人物は、

私の人生の中に現れたその時からとてつもない影響を与え続け、

ぐいっと私の人生の舵を切って大きく方向転換をしました。


【マイケルとの出会い】

中学生に上がる数か月前のことでした。

80年代真っただ中を青春として生きた私の母が、

「当時凄い面白いミュージックビデオを作った外国の歌手が居て、

あんたも今見たらきっと面白いと感じてくれると思う、一度見てみい!」

とVHS(死語?)を借りてきた、そんな些細な始まりでした。

マイケルジャクソン本人がゾンビ姿に扮して踊る、

あの誰もが知っているミュージックビデオです。

わお!なんやこの人、おもしろい!

正直、最初はそんな感想しか持ちませんでした。

が、じわじわと、熱に浮かされるようにはまっていき

様々な音源やら映像を集めていく私。

ある時ライブ映像を入手し、一曲で珠玉のパフォーマンスを目にした瞬間

どかん、と胸を撃ち抜かれたような衝撃を受けました。

そこからスイッチが入り、気が付けばもう、完全に完璧に

マイケルジャクソンの虜になっていた自分が居ました。

好きすぎて、一日の内に、朝起きて登校する前に一度、帰宅してから、

寝る前にもう一度、等、何度も映像や音楽をエンドレスリピート。

その内、そんなマイケルの全てが大好きすぎる思いは膨らみすぎて、

じっとしていられなくなりました。

じっとしていられなくなった、その結果。

ひたすら英語を勉強するようになりました。


【マイケルに、会いたくて】

彼の話している言葉を理解したい。

国内版のCDを購入すれば、オリジナルの歌詞カードと共に

和訳だって当然のように記載されています。

だけど、自分の頭で完全に理解できるようになりたい。

そんな思いから、当時は電子辞書より更に前、紙辞書の時代でしたが、

延々とめくりながら一語ずつ、英語歌詞カードを片手に

チェックしたものでした。

「本人に、いつか会って自分の思いを自分の言葉で伝えてみせる。」

恐らく、あの頃に最も自分を突き動かしていたのは、この気持ちでした。

短く、拙いながら英語でファンレターも書きました。何通も何通も。

2006年にVMAアワード受賞に伴い本人が来日した時には

福岡から東京まで一目見に行きました。高校生でした。

ほぼ丸一日近く会場前で出待ちした後、もうだめかと思った時、

マイケルが車で通り過ぎると確証の高い情報が入ってきました。

ずっと門前で張っていた為、その直前に詰めかけるファンの波の大きさに

比例して警備人が次々と増えてゆく程大事になっていきましたが

最前列は何とかキープすることが出来ました。

マイケルが乗っているとされる車が、ついに、姿を現して

通り過ぎようとした、その瞬間。

ショッキングピンクのマイケルTシャツ姿で雨に打たれ泣き叫ぶ小娘(私)は、

マイケルにはどんな風に映っていたのだろう。

実際目に留まっていたのかすら、結局定かではありません。

けれど、とにかく車は自分の殆ど前で止まってくれました。

奇跡にも窓は開き、大きな満面の笑みでマイケルは手を振って、

力強いピースサインを雨の中、窓の外に乗り出すように向けてくれました。

あの瞬間は、一生忘れません。

夢が叶った1つの時間として、大切な宝物のように、

最期にもきっと思い出すんだと思います。

ほんの数秒間の出来事でしたが、何分も、数十分ものように、

ただただ時間が止まったように感じて、頭の中は真っ白でした。


【想いのベクトルはアメリカへ】

その後もマイケル大好き熱は収まること無く、どころかより強くなり、

彼が生まれた国、アメリカに少しでも近付きたいと

高校で交換留学をし、何とか簡単な意思疎通、日常会話が出来る状態から、

一年間の留学期間を終える頃には、何とかコミュニケーションが

英語で円滑に取れるようになりました。

そこで些細なきっかけから演劇プロダクションに携わり、

今度は演劇の世界にどはまりしてゆきます。

帰国し、高校卒業を目前に控え進路を決めようという時、もはや頭の中は

「アメリカで、演劇がしたい。」でいっぱいでした。

アメリカというエンターテイメント大国において、

演劇という部門に足を突っ込み、なおさらそれを大学の専攻にチョイスする

という無謀さ。

だけど若さと情熱、そしてマイケルへの愛でいっぱいだった私にとって、

それ以外の選択肢は何も考えられませんでした。

高校を卒業する最後まで、父親からついに賛同は得られず。

じゃあ勝手にしろ!という父に対し、

諦めて国内の大学に進学するつもりなんて毛頭無かった私は

これは説得&資金を僅かでも自分でも貯める期間だと開き直って

卒業後ひたすらバイトを始めます。

そんなこんなで丁度一年経つ程の時期、海外大学進学希望者向けの

奨学金制度に出会え、奇跡の様にそこから順調に物事が運び、

オハイオ州の大学に進学できることになりました。

「どんな形であれBIGになって、いつかマイケルと会って話すんだ。

こんなに大好きだって直接話して、伝えるんだ。」

いつだって踏ん張りの根底にはその思いがありました。

入学のため渡米する準備を、期待で胸いっぱいに進める、2009年の初夏。

マイケルジャクソンが急逝しました。

今から、これからだったのに。

やっと、ちょっとでもあなたに近づける、そう思って第一歩を踏み出した、そんな時に。結局、なんにも伝えられなかった・・・

悲しさと戸惑い、混乱と寂しさと、ただ信じられない気持ちと、

沢山の気持ちが入り混じって、だけど人生は進みます。


【先進国ど真ん中アメリカ、そして"途上国"へ】

入学後は楽しくも全てに慣れることに精いっぱいで一年が瞬く間に過ぎ、

2年目からは演劇の講師陣に定評のあるイリノイ州の大学に編入しました。

そこは本当に国際色豊かな留学生に恵まれたキャンパスで、

演劇やダンスの授業以上に、主に留学生たち自身が運営するサークルにて

自分の居場所を見出しました。

ありとあらゆる数えきれない学びや思い出、出会いを経て、

4年後、あっさり帰国。

卒業するころには、もはや演劇の世界で生きていく!なんて思いは

すっかりすたれてしまっていました。

後ろ向きな表現だと完全に敗北心と諦めがついていて、

前向きに表現すると、今度は違う世界に足を踏み入れたくなっていました。

むしろ、そんなかっこいいもんでなく、率直に言うのであれば、

単に疲れきっていて日本でリセットしたかったんだと思います。

全てを白紙に戻して、一応就活なんてものをしながらも順調に落ち続けて

何が人生でほしいかなんてさっぱり分からずに淡々と生きていたある日、

ふとJICA青年海外協力隊のポスターを目にしました。

そこで心にふと浮かんだのは、やはりマイケルでした。

最後の最後まで、音楽活動以上に常に子供たちや困った人たち等、

社会的弱者が抱える問題や環境活動、慈善活動にも熱心に従事していたMJ。

これまでアメリカという、いわば先進国で生活していたけれど、

今度は発展途上国に飛び込んで、自分のできることを見つけてみたい。

マイケルがより良い世界の為、子供たちの為に動こうとしていたように。

そんな思いで応募。

なんとなくケニアに行きたい。なぜなら協力隊ぽいから。

合格するも、そんな私の適当な思いとは裏腹にスリランカに派遣。

2年間スリランカの山奥の地域で環境教育隊員として活動し、

いかに自分が無力で、思いあがっていて、

まだまだ学ぶべきことが多き人間かを痛感して帰国。

だけど、やっぱりそこでも大切な出会いには沢山恵まれました。

更に国際協力の分野に対する思いは強まり、

帰国後、今度は難民支援のお仕事に携わります。

ただその時、協力隊派遣中に出会いお付き合いしていた、

スリランカ人男性への想いと繋がりが断ち切れず、

二年も経たない内にスリランカへ戻って結婚します。


【結婚して、今】

スリランカではスリランカ人エンジニアを日本の企業さんに紹介する

お仕事をお手伝い。

そして妊娠をきっかけに再度帰国、今は子育ての傍ら家で出来るお仕事、

即ち英語の添削や電話通訳に携わり、今に至ります。

アメリカそしてスリランカで出会った多様な世界を見てきた今、

世界各地と日本を繋いで、なにか面白く、そして意義のあることをしたい、

そう思っています。

日本は平和な国です。

あらゆる国で起きている深刻な紛争や飢餓とはまるで無縁な世界ですが、

そういったことに関する認知度を高めて、

皆でアクションを気軽に起こしていく。

子供を産んだ今、
より良い世界を残していくためにはどうすべきか。
について益々考えるようになりました。

そして考えるばかりに留まらず、実際に皆でアクションを起こして小さい良き変革をいっぱい起こしていく、
そんなプラットフォームを作りたいな、

なんて思っています。


【後世に伝えていきたいメッセージ】

こうやって今振り返ると、特に若かりし頃、

人生の起点で進路を決めるに置いて何かしら大きな決断をする時。

いつだってマイケルの存在がありました。

沢山のメッセージを、世界に遺してくれたマイケル。

「自分はどうやって生きていきたいのか。」

「なにを大切にしたいのか。」

そうやって私が悩む時には、彼のちょっとした歌や言葉に耳を傾けるだけで

進むべき道を照らして、何が大事なのか、どう考えるべきか、

ヒントを貰えました。

数多くありますが、私が彼の言葉の中でもいつも心の片隅に大切に

置いている言葉があります。

「If you want to make the world a better place,

take a look at yourself, then make a change.」

「もし世界をより良くしたいのであれば、

まずは君自身をよく見つめ直すことだ、そして変わるんだ。」

殆ど誰もが今の情勢に何らかの不満を抱えている事かと思います。

世界が平和になったらいいのに、こういう風になったらいいのに、

なんて思いは、誰もが考えている事でしょう。

世界、というと何だか話が壮大に感じるので、あくまで

「自分を取り巻く世界」と考えると分かり易いかもしれません。

理想と現実が違う、それは自分以外の誰かのせい。

政府のせい、上司のせい、学校の制度のせい、両親のせい、

はたまたそんな両親を育てた祖父母のせいかもしれない。

そう考えるといつまでも悪循環から抜け出せず、卑屈になってゆくばかり。

だからまずは全部忘れて、自分の中から変化を起こしてみたら?

「Man in the mirror」-鏡の中の自分から、というタイトルの曲です。

私自身も上述した通り、偉そうに世界をより良くしたい、だなんて

想いを語っていますが、この言葉を胸に、常に自分自身も振り返りながら、

自分の行動範囲で変えれることは何か?と問うようにしています。


【最後に】

他にもマイケルは大事なことを沢山教えてくれ、アメリカに出た後も、

もっと広い世界があって、知るべき学ぶべきことは沢山あると

導いてくれたのはマイケルのような気がしています。

長い人生、これからも悩んだり苦しくなったりすることが訪れるでしょう。

だけどそんな時にも人生の指針にまっすぐに、大切な言葉や思い出を胸に、

歩いていきたいと思います。

With Love.

愛をもって。





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