右手、左手
不覚にも、腕を骨折した。
幸いポキっと折れたのでなくヒビと損傷ではあるが、筋肉も痛めて全治3週間。しかも利き手の右手だったものだから、歯磨きもままならず、箸は持てない、靴下も引っ張り上げられない。
それでも締め切りは迫りくる。温かく延ばしてくださるところは心で手を合わせてお願いし、どうしても動かせなかった仕事は根性の左手、指一本入力で乗り切った。
今、達成感より、費やした果てしない時間と疲労感、何よりも左手の使えなさに呆然としている。
右脳が退化してるんじゃないだろうか?
と不安になるほど、なんにもできない。
朝、仕事へ出かけようにも眉毛が描けない。
知り合いのデザイナー(40代・男性)が、「僕、眉毛描くの得意なんだ」と言って、奥さんの眉毛を描いてあげるという話を思い出した。
当時は「やだー」なんて笑い飛ばしてしまったけれど、今はそんな夫が心底欲しい。
話を戻すと、子どもの頃は、もう少し左手が使えたんじゃないかと思う。
ピアノを習っていたので、両手をフルに活用して弾いていたはず。授業では木琴も褒められたし、棒針の編み物も好んでしていた、はず。
こんなにもできなくなったのは、左手に然るべき仕事を与えなかったからだろうか。
これまた友人に、日頃から左右を意識して均等に鍛えている人がいる。
テニスや卓球などラケットものは左手、野球は右投げ・右打席、ボーリングは左手、サッカーのフリーキックも左足だそうだ。
ややこしい。
でもその甲斐あってか、彼は脳のバランスがとてもいいような気がする。考えに偏りがなく、インドアもアウトドアも好む。もしも左手を鍛えたら、そんな人になれるのだろうか?
自分のバージョンアップのため、この際私も左手を鍛えてみようと思った。
まずはお箸から。
持ち方、指の動かし方を思い出そうにも、左右反転するだけでこんがらがる。時間がかかる。
訓練だからといって、あえて豆を炊いたのが災いしたか、一粒一粒を口に運ぶじれったさ。ただでさえお腹が空いているので、結局スプーンでごそっと食べた。
これはきっと子ども時代の自分より要領が悪いに違いない。
あの小生意気な幼稚園児の私が、大人の私を「ふふん」と嘲笑っているのが見えるようだ。
いやきっと地味な作業だから駄目なんだ、と視点を変えて、その先に楽しいことが待っている作業を探してみた。
ワインのコルク抜き→右手で瓶を押さえられず断念。
料理→包丁が切れすぎて断念。
ネイル→左の指はどうするんだと気づいて断念。
だけど一つだけ、珈琲を淹れることにおいてはミラクルが起きた。
豆を挽くのは家人にお願いするとして、お湯を注ぐのは案外、左手の方が慣れていない分慎重に、優しく注げる。左手の、なんと初々しいことよ。
ふと、右手は、強くならざるを得なかったのかもしれないと思った。
全部自分(右手)を頼るから、がんばらなくちゃいけなくて、つらいことがあっても逃げられない。
いやぁ、ごめんね右手。左手もがんばる。
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