見出し画像

夢とか、やりたいこととか。


小さな種を育てた先に

前回、『シェフたちのコロナ禍』トリセツです。の最後に、「コート・ドール」斉須政雄シェフの言葉を記しました。

だって、ずっと夢だった仕事なんですよ。
だから今、実現していることがたまらなくうれしい。お客さんのために、毎日料理を作ることができている自分が、うれしいんですよ。それが僕の「やりたいこと」だったんですよね。


斉須シェフの顔が少年のように見えた、とも書いていますが、同時に、こうして真っ直ぐに「夢」と口にする少年少女のような人たちを何人も見てきたなぁと思い出していました。

レストランを取材していると、「夢だった」「憧れていた」といった言葉を聞くのは決して珍しいことではありません。それはすごいことですよ。だって今の日本で、「夢」や「憧れ」と言われる職業がどれだけあるのか?

小さい頃に褒めてもらったうれしさ、家族と行ったレストランの情景、コックコートのパリッとしたカッコよさ、『料理の鉄人』の華やかさ。
海外の芸術やスポーツやファッションを含めた、文化そのものに憧れた人もいます。夢は、そんな小さな種から育っていました。

もちろん「選択肢なんかなかった」時代も日本にはあります。
就職できることがまず先で、それが行ったこともないレストランなる店で、食べたこともないフランス料理だった、とか。

最初は叱られたくないからがんばって、でも一つ仕事ができるとうれしくなって、やがて本場フランスを見てみたくなる。
もっと高みに行きたい、シェフになりたい、お店を持ちたい。
夢という言葉は大きいですけど、つまりは一つひとつ「やりたいこと」を見つけていったら、いつの間にかそれが夢になっていた


「やりたいこと」がはっきりとわかっている人たち

私には、取材先のそんな人々が眩しく見えました。自分にはないものだから。自分が二十代の頃は、夢とか、やりたいことという言葉がむしろ不得意だったのです。

私自身のことを話すと、十代の頃は映画が好きで、それに関われる何かができたらいいなと漠然と思っていました。でも、その分野の何に向かっていけばいいのかわからず、それを理由にがんばることもできない。

自分なりにもがいてはいましたが、関係なく月日を見送って、十分すぎるほど大人になっても「自分が何をしたいのかわからない」なんて焦っていた一人です。
会社を辞めたのも、アルバイト生活も、広告の文章を書いていたのも全部が自分の意思なのに、やりたいことってなんだろう?といつも探していました。

料理人という、やりたいことがはっきりとわかっている人たちに私が出会ったのは、そんなもやもや期でした。
北イタリアの小さな町にある、たまたま入ったトラットリアで日本人コックが働いていたのです。町では日本人など一人も見なかったのに、彼は笑って言いました。

「厨房のドアを開けると日本人コックがうじゃうじゃいるよ」

なんですかね、頭か胸かお腹かわからないけど、身体のどこかがザワザワして止まらなくなったんです。
彼らは、「イタリア料理人になりたい」って気持ち一つで、ポンと国境を飛び越えてしまった人たち。やりたいことがある、したくてしている、夢があると真っ直ぐに言える。
自分とはまるで違う、そういう人たちの話を聞けば、自分の中のぽんこつな部品が入れ替わるんじゃないか?と思いました。


『シェフたちのコロナ禍』につながる2つの本


そうしてイタリアで修業する日本人コックとサービス24人を取材し、2003年に発表した本が『イタリアに行ってコックになる』(柴田書店)

それからおよそ10年。
何者でもなかった彼らがシェフとなって「やりたかった仕事」をつづけている15人を追ったノンフィクションが、『シェフを「つづける」ということ』(ミシマ社)です。

この『シェフを「つづける」ということ』の書評をさまざまな場所で書いてくださったのが、ブックディレクターの幅 允孝さんでした。
下記のコラムでは、「つづける」ということは「好きなものにしがみついて何とか生きる」ことじゃないか?と語ってくださっています。


歩き出せば風が吹く

何かを「つづける」ことはしんどいです。
やめたくなるほどつらいこともあれば、逆に、つづけたいのにつづけられないつらさもある。それでも私たちは「つづける」ことを望まずにいられない。つづけたい。

コロナ禍のシェフや店主たちは、まさにそんな苦しさの中にいました。
5月13日に発売した『シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録』(文藝春秋)は、昨春の第一波、リアルタイムに取材した記録です。

よかれと信じていたことさえもNOになる状況とは、天動説が地動説に変わったくらいの、まさに天地がひっくり返る混乱です。先が見えないだけでなく、「自分は本当に間違っていないのか?」と、どんどん自分を疑ってしまいます。

本書に登場してくれた34人は、三度目の緊急事態宣言下となる今なお「つづける」ことをあきらめていません。夜の営業時間が短くなった分、お昼も開けよう。お酒が禁止というなら、店の形態を変えてでも。
期間限定でフランス料理人がカレーを作り、ビール屋は定食屋、ワインスタンドはコーヒースタンドに。しがみついたと言われても上等。そんなことよりまずは生きのびる、腹をくくっていました。
「だって、ずっと夢だった仕事」だから。

なんて書いている私には相変わらず夢がありませんけど、それがたぶん私の歩き方なんですね。

思えば『イタリアに行ってコックになる』の時も、「本を出したい」とか「ライターになりたい」じゃなく、私を動かしたのは「話を聞きたい」気持ちでした。
聞かせてもらった以上、責任を果たしたい。そうでなければ彼らの言葉が自分で止まってしまうという、罪悪感に近い使命感。
今までずっとそんなような衝動と責任の繰り返しです。

で、気づいたわけです。
私にとって、書く仕事は夢というより、たぶん渇望。書かない私は孤独だけれど、書けば世の中の人々に話しかけることができる。
自分の外で巡っている世界の、仲間に入れてもらうことができるから。

『シェフたちのコロナ禍』に収録した追加取材で、「マンナ」の原 優子シェフは心の奥のほうから、こんな言葉をそっと取り出してくれています。

一人が好きで、一人になっちゃうけど、でも一人じゃいられない。


ああ同じだ、と思いました。本人には言わなかったけれど、私もまた一人が好きで一人になっちゃうけど一人じゃいられない。
だから一生懸命、世の中に話しかけて、しがみついているのです。



サポートありがとうございます!取材、執筆のために使わせていただきます。