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普通の幸せを手に入れるまで

私の家族は4つ上の夫と16才になるミニチュアダックスの未希。周りは子供が2人いる友人が多いが、私にはいない。夫とは20年前に再婚した。ここまで来るには時間はかかったし、まだ病気が完治したわけではないが、今は何とか普通の幸せな生活が送れている。

亡くなった父はT大法学部の卒業、大手商社にずっと勤めて、オランダ、イラン、タイに赴任して、最後はメーカーの取締役になって定年を迎えた。亡くなった母は短大英文科の卒業、料理好きでおしゃれが大好きで、今は死語になってしまったが良妻賢母として父を支え家族をまとめていた。

子供の頃から親にレールを敷かれて育った。それは母のように出世志向の人と結婚して子供を産み育て家庭を守ることだった。父には勉強をすること、女らしくすること、24才までに結婚することと耳にタコができるほど言われた。母は芯が弱く、仕事で忙しくうちにあまりいない父の代わりに兄と私に依存しながら私達を育てた。

高校2年の時に両親の育て方に不満を持っていた私は朝日新聞の声の欄に投稿して、将来は仕事をもち自立したいと書いた。法学部政治学科を卒業後、数字に弱いくせに外資系銀行に入社し、毎日のように仕事のミスを咎められるような日々を送った。

当時バブルの頃に丸の内OLだったので、毎月洋服や靴を買いまくりテニスやスキーをしたり、習い事や海外旅行もした。もちろん結婚相手を見つけるために合コンもしていた。今思うと稼いだお金を何の目的もなく使っていた。モノのゆたかさではなく心のゆたかさを求めていたのにそれが何か分からなかった。

上昇志向が強く自己中心的だった両親からは人生で大切なことを学べなかった。流されるように27才の時にT大出身の大手生命保険会社に勤める前夫とお見合い結婚して、彼の転勤でニューヨークに渡った。それが幸せだと思い込もうとしていた。

4年間過ごしたニューヨークの郊外での生活は楽しかった。隣に住む80才近い大家さんのJoeとの交流から初めて生きていく上で大切なことを学んだような気がする。誠実で真面目に、思いやりを持ちユーモアを忘れないこと、人に親切にすること。犬との生活を楽しむことはこのJoeから教えてもらった。

Joeはイタリア系アメリカ人だった亡くなった奥さんの自慢話をよくしていた。ドイツ系アメリカ人のJoeはお手製のペペロンチーノやパウンドケーキを作っては時々届けてくれて、代わりに私は肉じゃがとかを渡して喜ばれた。

アメリカに行った時は誰も知っている人はいなかったが、早く両親から逃れたかったのでホームシックも1ヶ月くらいで落ち着いた。車も運転できるようになるとあちこちに探検に出かけた。ニューヨークは日本と同じように四季があり、庭に咲く花や木々を見ながらうちで読書したりサイクリングをしたり、料理をして知り合った人達を招いたりした。車で名所を訪れたりミュージカルを見たり美術館巡りをしたりした。この頃の経験のおかげでたくさん引き出しができた。

ただ、結婚した後で人と違っていたのは子供が欲しいとなかなか思わなかったことだ。日本にいる友人達は30才になる前に子供を産み育て始めていた。おそらく両親を見ていて、いつも父の愚痴をこぼしていた母のようになりたいとは思わなかったことも大きな理由だったと思う。

でも、前夫は早く子供を欲しがっていた。そこから夫婦に少しずつずれが生じてきた。極めつけは私が子宮内膜症になって腹腔鏡手術をすることになり子供どころではなくなったことだ。元々自己中心的だった前夫から思いやりは感じられず、私は精神的に追い詰められていった。

離婚してから価値観の合わない両親と同居することになり、苦痛で仕方なかった。英会話とパソコンが使えることを生かして派遣社員として働き始めたが、仕事は楽しかった。周りは常識のあるいい人達が多く、男性を見る目が変わった。思いやりのある優しいカナダ人のボーイフレンドにも随分助けられた。彼にはふられてしまったが、一生独身で仕事をしていけるほど自分の根っこはしっかりしていなかった。

そんな時に重度のうつ病になってしまい、小さな精神病院に入院させられてひどい目にあった。2週間でまともな病院に転院できたが、早く変な親から離れなければならないと思い、ネットで今の夫と出会った。今の夫には、母が重度のうつ病になり何度も薬を飲んで救急車で運ばれて精神病院に入院したこととか、父が2度躁病になり母と同じところに入院したこととか全て話した。それでもいいと言ってくれたので、この人を信じてみようと決めた。36才の秋だった。椿山荘で家族と友人だけ呼んで、一度目に着た、母が販売の仕事をしていた桂由美さんのウェディングドレスを手直しして結婚式を挙げた。その日のことは本当に幸せだったのを今でも懐かしく覚えている。

あれから20年の月日が流れ、紆余曲折ありながらも、一時期は入退院を繰り返していたものの、いい頓服が見つかったおかげで精神科に通院して薬は減らしてもらいながら寝たり起きたりの日々を送っている。寝たり起きたりだが神様に感謝しながら、とは言っても時々自己中の顔を見せて夫に怒られるのだが、幸せに暮らしているように思えてもまだ夫は私に不満を持っている。夫と分かり合え感が持てるように今日から自分の思いを文章にしようと思っている。

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