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ニューヨークでお世話になった大家さんのJOE

まだ30代前後の時に前夫の転勤でニューヨークの郊外に4年間住んでいたことがある。普通なら英語で意志の疎通ができなければ日本人の多いマンションに住むのだが、夫婦とも帰国子女だということでアメリカ人の人達と交流したいという思いもあって、アメリカ人の大家さんと3世帯住宅になっているところの部屋を借りて住むことになった。大家さんのJOEはとても気のいい人で当時80才近かった。ドイツ系の両親の元に生まれて、イタリア系の奥さまと結婚して3人のお嬢さんがいた。

お父さんがケーキ職人だったということでJOEはペペロンチーノも自分で作るしパウンドケーキも作ってその作り方を教えてくれたりした。バターも砂糖もたっぷりだったけど😅お返しに和食を作って持って行ったりした。JOEはジェミニという犬を飼っていて、リードはつけなくてもきちんと躾ができていたのには驚いたものだ。JOEがベンチに座ると黙って横におすわりをするのが習慣だった。この人間と犬の絆というのは特別なものだな、と今になると思う。みきにはおすわりや伏せなどきちんと躾ができなかったのは日本とアメリカの犬との関係の大きな違いがあったからかもしれない。JOEがうちの中でソファに座るとジェミニはすぐ横で伏せをした状態で次のコマンドを待っていた。

JOEはいつも亡くなった奥さまの手料理が美味しかったことを自慢していた。2人で他のお宅で食事をした時にその食事を褒めると負けず嫌いな奥さまは同じような料理を作ってくれたらしい。イタリア系の女性は料理上手だとその時知った。たまにJOEにリトルイタリーというイタリア人街に車で連れて行ってもらい、ランチをご馳走になった。日本人はうちの中で靴を脱ぐから部屋が綺麗だからということもあったしともかく日本びいきということもあって、いろいろよくしてもらった。

11月の感謝祭の時やクリスマスの時は夫婦で呼んでもらい、家族の一員のように楽しいひとときを過ごさせてもらったのがとても嬉しかった。感謝祭の時は七面鳥を、クリスマスの時はチキンを、その家族の大黒柱が焼いたものを切り分けるというならわしがあるのもその時知った。

JOEとお嬢さんたちをもてなした時に人気があったのはお好み焼きだった。失敗したのはグリーンピーススープ。お孫さん達におえっ、と言われてしまった時は苦笑いした。3人のお嬢さんは、看護師、スクールカウンセラー兼不動産屋さん、高校の校長先生とバリバリのキャリヤウーマン達ばかり。難しいことは分からなかったが、25年前のアメリカはすでに女性が社会で活躍していた。その空気を今日本でも感じることができるが、忙しすぎて心をなくさないように、というのが私がJOEからもらったメッセージだろうか。


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