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夜の空き地と原付二輪

 市内にある商業施設が閉鎖されることになった。不景気とコロナで空き店舗が増え、営業が出来なくなったのだ。創業は1990年、三十三年の歴史をもって幕が降ろされる。若かった、あの頃の淡い思い出も一緒に消えていくようで、ちょっぴり淋しくなる。
 ちょうどその建物ができる前、更地にされた広い空き地だったその場所に、私は足繁く通っていた。当時、会社の同僚だったK君と、毎週のように待ち合わせをしていたから。


 『彼のオートバイ、彼女の島』という片岡義男さんの小説が角川映画になったのが1986年。時代はバブル期真っ最中で、バイクの人気も頂点を極めていた。『レディスバイク』という雑誌も書店で販売されていて、私は雑誌に紹介されていた、三好礼子さんという髪の長い女性ライダーに憧れていた。
 そんなとき、仲の良かったK君が、二輪の中型免許を取りに教習所に行くと言いだした。(一緒にいたい)という淡い恋心と、バイクに颯爽と乗る自分の姿を夢見て、私も教習所に申し込みをした。しかし、原付しか乗ったことない私には、中型のバイクは難しすぎた。アクセルとブレーキのかけ具合がわからない。八の字に走るように言われ、思い切りアクセルをまわしすぎてウィリーして、木にぶつかり、教官が慌てて駆け寄ったことも。わざと倒してある、重い中型のバイクを持ち上げるのも一苦労だ。そんな私を見かねて、K君は、バイクの練習に付き合ってくれたのだ。


 教習が終わる午後八時過ぎ、教習所で一緒の男の子も含めて、三人で空き地に集合した。街灯がまばらな暗い空き地では、夏の星座が綺麗に見えた。K君のギア付きの50ccのバイクを借り、足でキックしてエンジンをかける。甲高い音をあたりに響かせ、ヘッドライトをつける。三角コーンに見立てた石の間を、波のようにクネクネ走ったり、地面に線を引き、それを一本橋に見立て、その幅をはみ出さないように走る練習を繰り返した。練習が終わると、近くの自動販売機のコーヒーで乾杯し、三人でたわいもない話をした。もう、K君じゃない男の子の顔も、あの時何を喋っていたのかも、ひとつも覚えていないのだけれど。



 練習でかなりの成功を重ね、自信を深めた頃、実技の最終試験があった。木の上の一本橋を、最後まで走り切れたら合格である。私の番は、最後だった。教官に名前を呼ばれ、大きく深呼吸をして、アクセルをゆっくりふかした。(大丈夫! あれだけ練習したんだもの!)
 いざ、走り出してみると、一本橋の木に乗った途端によろけてしまった。それもそのはず、練習では線の上を走るだけで、地面と木の段差はなかったのだから。たかが数センチの上がりの段差に、車輪も気持ちもグラグラである。教官が「踏ん張れ! あと少しだ!」と声をかけてくれる。しかし、波のように揺れるハンドルは思い切り左に曲がり、あと三分の一というところで、あっけなく脱落してしまった。
 「…中型はやめて、小型二輪の試験を受けるか?」と、教官に聞かれ、
 「…はい、中堅はやめて小型二輪でお願いします」と、私はうなだれて答えた。
 それからどうにか、小型二輪の免許を手に入れた。K君と一緒の中型ではなかったけど、彼は合格のお祝いにと、ハンバーグを奢ってくれた。





 そんな淡いおぼろげな記憶が、商業施設ができる前の、あの場所に眠っている。K君とは同僚のままで終わってしまったし、私は、もうバイクに乗っていない。なぜなら、四十歳を過ぎて引越しをしたとき、警察署に住所変更の届出を忘れ、小型二輪の免許どころか、普通自動車免許さえも失効してしまったから。結婚した後、身分証明書としてしか使われない、お飾りのゴールド免許だったけれど。



 
 季節は過ぎていく。初夏になったらあの商業施設はなくなる。少し淋しく感じるのは、彼との思い出の場所がなくなるせいじゃなく、何にでもチャレンジしていた、自分自身のシンボルのひとつが消える気がするから。
 そこには、未来しか見てなかった若い私の、萌芽しかけた肌の甘酸っぱい匂いが、まだ漂っている気がする。




 


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