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【Opera/Cinema】METライブビューイング『マーニー』

 ウィンストン・グラハムの原作をヒッチコックが映画化したことで知られる『マーニー』を、若きアメリカの作曲家ニコ・ミューリーがオペラ化。これがMET初演ということで、公開前から1950年代風のカラフルな衣裳(アリアンヌ・フィリップス)や舞台の写真が公開されるなど、観客へのアピール度の点では、今年度のライブビューイングの目玉公演のひとつだったことは間違いない。期待通り、非常にスタイリッシュなヴィジュアルが楽しめたが、本作の何より大きな特徴は「わかりやすさ」にあったと思う。

 それは、そもそもこの作品のオペラ化が、今回演出を手がけたマイケル・メイヤーからニコ・ミューリーに持ちかけられたということと大いに関係があるに違いない。つまり、スコアが生み出されるプロセスに演出家がコミットすることで、ドラマの展開と音楽がより不可分に結びついたものとなり、結果、いい意味で「現代モノらしからぬ」わかりやすさを獲得しているのだ。ニコ自身「スコアがオペラの舞台の全てをコントロールするものではないように思います」と述べているように、難解なスコアを難解に解釈したプロダクションと比べると、スコアとドラマが喧嘩していないのは大きい。おそらく、オペラをまったく観たことがないという人もすんなり受け入れられる舞台になっていたのではないだろうか。

 とはいえ、音楽自身は演奏者にとっては決して「易しい」ものではなかったに違いないが、どの歌手も「難なく」歌っているようにみえたのがすごい。タイトルロールのイザベル・レナードは、マーニーというトラウマを持った複雑な女性像を、あくまでも繊細に演じきった。おそらく、与えられた音楽は彼女への当て書きの部分も多かったのではないか。それくらい、マーニーという女性のイメージと舞台上のイザベル・レナードがぴったりと一致していた。夫のマークを演じたクリストファー・モルトマンの安定感も素晴らしかったが、一際目を引いたのはマークの弟で顔にアザのあるテリーを歌ったイェスティン・デイヴィーズだ。兄への対抗心やマーニーへの歪んだ愛情を歌うのに、カウンターテナーの声色を持ってきたのは作曲家のアイデアの勝利。デイヴィーズは『皆殺しの天使』に続いてMETの舞台で大きな存在感を示した。

 マーニーの周りには、4人の色違いのドレスを着た「心の中のマーニー」がつきまとい、ノンヴィブラートで時にユニゾンで、時に交替でマーニーの内心の怯えや恐れを歌う。実に難しい役柄だったと思うが効果は抜群。さらに特筆すべきは合唱の扱いで、リアルな登場人物であると同時に、ある時にはマーニーの内心の声となって彼女を糾弾したり、またシーンが変わるたびにそれを説明するテクストを歌ったりする。様々な「あり方」を要求されわけだが、さすがにMETの合唱団のレベルは高い。カーテンコールで合唱指揮のD. パランボが大きな拍手をもらっていたのもうなずける。

 装置について。舞台上には、天井まで届きそうな細長い可動式のパネルが何枚も置かれ、様々な組み合わせで壁になったり、背景になったり。さらにそこに映像を映し出すことで、いちいちセットを組み替えることなく素早くシーンが変化する仕掛け。音楽の流れを妨げないスマートな装置転換も、作品をスタイリッシュに印象付けるのに一役買っていたと思う。大道具は机やベッドなど最低限のものだけで、動かすのはスーツに身を固めた助演の役者さんたち。彼らは他にも、群衆やマーニーの内心を表現する演技をしたり、狐狩りのシーンでは馬になってマーニーやマークを宙高く掲げたりもする。オペラは歌手、合唱、オケだけでなく助演も重要な役割を果たしていることを改めて感じさせる名演技だった。

2019年1月21日、東劇。

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