生きるのって簡単じゃない―エルフと柴犬の交点―
冬の夜ごはんはいい、困ったら鍋にすればいいから。
と思っている人は多いと思う。私も思っている。温かくて肉も魚も野菜も摂取できて、洗い物も多くならない、すばらしい食べ物。
最近は、注ぐだけの鍋つゆも豊富に揃っているし、具材も一回分がパックに収まったものがスーパーに並んでいる。鍋つゆ一袋と具材セット一つを買ってきて放り込めばいいだけとは、何て簡単なんだろう。
今日は土曜日、午前中から行きたかった美術展に出向き、寒さに負けて早めに戻ってきて自宅最寄り駅に着いたのが午後四時過ぎ。我が家は、徒歩五分の距離に安さで評判の某スーパーがあり、朝八時半から開店している(つまり始業前に買い物ができる)という利点もあり、平日の買い物はほぼここでまかなっている。しかしこのスーパーは魚介類がやや手薄なので、ここにばかり頼っているとメニューが偏ってしまう。対して、家から徒歩十五分ほどの駅ビル内には八百屋魚屋肉屋が入っており、ここは専門店だけあって魚介の質がいい。さらにそのすぐ近くにもう一箇所、商業ビルの中にこれまた八百屋魚屋肉屋、そして総合スーパーまでもが収まるワンフロアがある。
平日は手軽さ重視でいいとして、今日のように駅周辺で買い物ができる休日に不足しがちな魚介を補っておいた方がいい。今週は私も夫も残業が多かったし今日も早くから外出していたので体が冷え切っている。つまり鍋が最適解だ。お出かけバッグの中にはちゃんとエコバッグも入ってるし。
「ふるさと納税の牡蠣がちょっと残ってたから、あれも入れようよ」
おお、それはいいアイデアだ。採用!
駅ビルの地下に降り、まずは味のベースとなる鍋つゆのラインナップをチェックする。あ、これとこれはなしでお願いします、と私が避けたのはピリ辛系の二種類。辛いものが苦手なのだ。
「これは?」
夫が指さしたのは豚骨系のスープ。うーん、美味しそうだけど、牡蠣とはちょっと合わなくない?
「まあそうか。この柚子のやつは先週食べたしね……」
この豆乳ベースのはあなた苦手だしね。となると、ちょうどいいのがちょうどない。具材の味が引き立つあっさり系がいいんだけど……仕方ない、出汁取るか。家に帰ってすぐに昆布を漬ければ間に合うだろう。漬けておけばいいだけだから手間でもないし。
続いて具材を選ぶ。某料理マンガで「肉と魚と貝類を一種類ずつでも入れると出汁が美味しくなる」と言っていたのを読んで以来、その三種は揃えるようにしている。牡蠣が入ることが決定しているので、相性の良いメンバーを集めたい。まずは魚売り場へ。鱈とか鮭とかの切り身で安くなってるやつ……隅っこの特売コーナーに鱈があった。期限が本日ですが、今日食べちゃうので問題なし。
「ねえ、これよさそうじゃない?」
手招く夫に何なにと寄ってみれば……
「刺身用の有頭エビ、これだけ入って八百八十円!」
しかも結構大ぶりだ!
「絶対美味しいよこれ。でも頭ごろっと入ってると食べづらいかなあ」
いや、それなら私に考えがある。これは買いだ。
掘り出し物を見つけるとテンションが上がる。意気揚々と野菜コーナーへ。ここは定番野菜を一通りさらえばよい。白菜と春菊、椎茸は菌床でいいかな。原木の方が味が濃くて美味しいけれど、鍋に入れるなら菌床で十分。割と肉厚だし。
う、白菜が高い。四分の一で百十五円。
「家近くのあっちのスーパーならもっと安いよこれ」
だよね。じゃあここでは買わないでおこう。あと長葱だな。あら下仁田葱があるじゃないですか。普通の長葱よりちょっと高級品だが、鍋物なら断然こっち。太いので一本で十分。ここではこれでお会計。
夫の方のエコバッグにすべて収まったので全部引き受けてもらい、続いて自宅最寄りの方のスーパーへ向かう。ここのスーパーは遠くから車で買いに来る人もいるくらいなので、基本的にいつも混んでいる。人をかき分けかき分け進むと、ほーらやっぱりな、こっちでは白菜四分の一が七十八円だ。危ないところだった。長葱三本で百九十八円は割とお安いけれど、さっき下仁田葱を買ったから普通の長葱は不要……いや待て、やっぱり要る。切って冷凍しておけばいくらでも使い道はあるので、バラ売りもあるけれど三本セットを買う。
一応、ここの魚コーナーにも目を通すけれど、思った通りいまいちだ。鱈も駅前のより小ぶりなのに安くない。あっちで買っておいて正解だった。あ、でもワタリガニがある。これは身が目的ではない。いい出汁を出してくれるのだ。これもカゴに投入する。
あとはお肉だな。骨付き鶏ももぶつ切りの予定だったが、長葱三本で百九十八円となると話が変わってくる。鶏もも挽肉と鶏むね挽肉、三百グラム弱のパックを一つずつ買おう。これと長葱と冷蔵庫のあれでああすればいい。あとは焼き豆腐を一パック買って終了。
ああ、覚悟はしていたがレジが激混みだ。全レジフル稼働、かつ店員さんも皆てきぱきしているのでオペレーションの問題ではない、単純に客が多すぎる。
「ここ引き受けるから、先に帰ってなよ。できるとこから始めててくれれば後も楽だし」
なるほど分業、ナイス判断。夫の持っていた中身入りエコバッグと私の持っていた空っぽエコバッグを交換して、私は一足先に自宅へ戻る。
帰宅してまず手洗いうがい、続いて外出着から部屋着へと装備を変更する。ベランダにぶら下げていた洗濯物を室内に回収し、ひとまずカーテンレールに引っかけておく。畳むのは後回しだ、それより先にすべきことがある。
土鍋を引っ張り出し、昆布を一切れ放り込んだ上から水を適当に注ぐ。冷凍庫に入っている牡蠣をビニール袋ごとボウルに入れて流水解凍を始める。エビの頭を取って殻を剥き、身は冷蔵庫に戻し、頭と殻は出汁取り用のパック(かつおぶしとか入れたまま火にかけて、出汁が出たらパックごと取り出して捨てられる小さい袋みたいなの)に詰めておく。あああ手が痒いいいい。エビを触るとだいたいこうなる。じゃあ手袋すればいいだろと思われるだろうけれど、そうすると殻が剥きづらいのだ。丁寧に手を洗い、鱈に薄く塩を振って冷蔵庫に戻す。まだ時間あるな。元々あった生姜の皮を剥いてすりおろす。
「ただいまー」
おかえりー。おお重そうだ、お疲れさま。夫からエコバッグを受け取って台所に戻り、中身を出していく。さっきまでなかったはずの缶チューハイが三本ほど紛れ込んでいるが、目をつぶろう。鶏挽肉と焼き豆腐を冷蔵庫へ。
ワタリガニはざっと洗って土鍋に入れる。エビの頭と殻のパックも追加し、ここで弱く火を点ける。
「洗濯物やっておくね。そっち頼んでいい?」
もちろん。そっちは任せた。
長葱三本を束ねてあるシールを切り、一本をみじん切りにする。まず縦に裂くように数回切り、それを小口切りの要領で刻んでいくと楽だ。適当に粗みじんでいい。先端に近い緑の部分は使わなくていいかな。となるとちょっと量が少ない。二本目の半分までみじん切ることにしよう。残りの一本半は斜め切りにして冷凍用バッグに入れて冷凍庫で寝ていなさい。
土鍋の蓋を開けて出汁の具合をチェック。まだ全然なので、少しだけ火を強める。
一番大きいボウルを調理台に置き、冷蔵庫から出した鶏挽肉、ももとむね両方を全部あける。ドアポケットから取り出した塩麹のチューブをにゅーっと絞り出す。大さじ何杯とかは聞かないように。適当です適当。大丈夫、何となくでいける。
独り暮らしを始める時、母にいくつか料理の作り方を聞いたのだが、その時も「ここでみりんを、だいたいこのくらい」と、目の前で実演してくれるのはいいんだけどボトルから鍋に直接たーっと注いでいたので、私が調味料を量らないのは私のせいではない。というかそもそも実家には計量用の大さじ小さじが存在していなかった。
挽肉のボウルに、さっきすりおろした生姜と、みじん切った長葱も全部入れたら、使い捨てポリ手袋をはめてひたすらこねる。こねすぎるということはないので、満足するまでこねればよろしい。
満足したので再び土鍋の蓋を開ける。あともうちょいってところかな。挽肉のボウルにポリ手袋ごとラップをかけていったん冷蔵庫にしまい、出汁沸き待ちの間に椎茸のパックを開ける。濡らして絞ったキッチンペーパーで笠を拭いて、石突きを切り落とす。軸、ついてた方が見栄えはいいけど鍋の中で若干かさばるんだよね。笠ぎりぎりのところで切り落とし、笠部分はそのまま具にするために半分に切り、軸はこれまたみじん切りにして、さっきの挽肉のボウルに入れてしまおう。
「何かやることある?」
じゃあ白菜洗ってもらってもいい? 終わったら春菊と下仁田葱も。
「オッケー。白菜、何枚くらい?」
適当で。
「了解ー。水道使いたいんだけど、牡蠣どうしようか」
そうでした。ビニール袋越しに牡蠣をつつく。まだ半解凍くらいだろうか。袋開けて、塩振って軽くもみ洗いして流した後、料理酒をひたひたくらいまで注いで冷蔵庫に入れといてもらえる?
「塩振って洗って料理酒ね」
牡蠣の世話は夫に任せ、コンロの方に目をやる。よし出汁が沸いた。土鍋の蓋を開け、昆布とワタリガニ、エビの殻パックを取り出す。冷蔵庫のボウルを出し、突っ込んでおいたポリ手袋を再びはめる。さっき入れた椎茸の軸を混ぜ込むように再びこね、こねた手でそのまま、大きめの一口大くらいに挽肉をちぎり取り、片手で雑に丸めて出汁に落としていく。きれいに丸める必要はなし。熱い出汁の中で、落とすそばから表面が白くなり、かたまっていく。ぽとん、ぽとん、ぽとん。
半分ほど落としたところで、土鍋の約五分の二が埋まった。今日はこれくらいでいいだろう。残りの半分は冷凍用バッグに平べったく入れて冷凍しておく。そうすれば次の鍋の時に楽ができる。
「はい、野菜洗ったよー」
ありがと。まな板と包丁を調理台に置く。
「ボウル貸して、洗っちゃうから」
助かる、よろしく! じゃあ洗った野菜のざると交換ね。白菜を端からざくざく切っていく。夫も私も鍋の野菜はくたくた派なので、芯の部分は小さめに。春菊も適当にざくざく。下仁田葱は、これは薄く切ったらもったいないので厚めの斜め切り。全部切れたら再び鍋チェック。鶏つみれを菜箸でつつく……よし、もう形が崩れない。端に寄せてスペースを作り、解凍完了した牡蠣と、表面の水気を拭いた鱈を滑り込ませる。白菜の芯の部分と葱を少々、椎茸も。これで少し待って、白菜の芯がくたっとしたらまた鍋内に余白ができるので、そこに残りの具材をバランス良く入れていけばいい。
さて、そこまで手持ち無沙汰だ。洗濯物は洗い物を終えた夫が畳んでくれているし。冷蔵庫に何かあったかな……お、中途半端に残った大根あるじゃーん。そして、これも中途半端に残ったカニカマも発見された。よしじゃあこれで副菜をやっちゃおう。鍋物はそれだけで複数の食材が摂れるのはいいけれど、味が単調っちゃあ単調なので、目先の違うあと一品があった方が望ましい。
大根の皮を剥いて太めの千切りにして、塩をざっと振って馴染ませる。さっき夫が洗ってくれたボウルだの何だのを布巾で拭いて棚に戻す。野菜くずの溜まったシンクの水切りネットを交換する。手を洗って大根の様子を見ると、ふにゃっとして水分が出てきている。保存用のホーロー容器を取り出し、大根の水気を絞って入れていく。
私は手がかなり小さく、かつ握力が成人としては信じがたいくらい弱いので、この行程は苦手なのだけれど、精一杯絞る。全部絞ったらそこにマヨネーズをにゅにゅっとかける(分量の話はもうしなくていいですよね)。まんべんなく混ぜて、そこにほぐしてあったカニカマを入れてまた混ぜて、これでサラダ完成。
これは実家で母が作っていたサラダの廉価版である。実家ではホタテの水煮缶をほぐして入れていたが、ホタテ缶って高いんですね、こんなちっちゃくて六百円……。カニカマでも十分美味しいです。海苔とか梅干しが結構お高いのも、独り暮らししてから知りました。
「鍋まだもうちょっと時間かかる?」
そうだね、まだ白菜が固そうかな。先お風呂どうぞー。
「いい? じゃあお言葉に甘えて」
さて微妙な待ち時間が発生してしまった。鍋を火にかけているので完全な自由ではなく、火の番をしながらできる範囲のこと――よし、きんぴらでも作るか。
先週、安く売っているのを見つけて買って、そのままになっていたレンコンがある。買った当初は挟み焼きをする予定だったが、今週は忙しくてそんな余裕がなかった。まるごとのレンコンの日保ちはだいたい一週間だそうなので、そろそろリミットが近づいている。皮を剥いて三ミリくらいの厚さのいちょう切りにして水にさらし水を切り、ごま油で炒める。透き通ってきたら醤油、砂糖、酒を加えてさらに炒める。いい色がついてきて水分が少なくなったら、最後に黒酢を入れてざっと絡めてできあがり。これもホーロー容器に移してラベルを貼る。冷蔵庫に入れるのは粗熱が取れてから。
白菜がそろそろいい感じだ。冷蔵庫から焼き豆腐を出して切り、崩れないように端っこに滑り込ませる。白菜の葉部分と春菊で隙間を埋め、蓋をする。フライパンを洗っているところで夫がお風呂から上がった。
「コンロ出すねー」
はーい、よろしくー。テーブルを拭いて箸置きと箸を並べる。火を止めて夫に鍋つかみを託す。食べながら追加する分の野菜を盛ったざると、刺身用なので半生でも問題ないエビはテーブルに別途用意する。コンロの上に土鍋を鎮座させ、取り皿を出し、大根とカニカマのサラダを小鉢に盛って、本日の夜ごはんの完成。
すでにお気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、私だって気づいている。というか、エビを買った時点でほとんど気づいていた。
……これ、全然簡単じゃない!
いや、難易度という点では簡単なのだ。ただ手数がかかりすぎている。気づけばもう七時四十分だ。おかしい。最寄り駅に着いたのは四時十分くらいだったはずなのに、私の三時間三十分はどこへ行ってしまったのか。
こういうことがものすごくよくある。私と夫は読書会で知り合ったので、共通の友人には文学好き、映画好き、短歌好き、絵画好き、建築好きなど文化的な趣味を持つ人間が溢れている。彼らはみな読書量や映画鑑賞本数が多く、読み込みも深く、仕事だって忙しいだろうにどうしてあんなにインプットができているのかと尊敬しきりなのだが、どうしても何もない。うち、生活の運営に時間かけすぎ。
ザ・昭和の専業主婦な母に育てられた影響で「ごはんってこういうもの」と刷り込まれてしまったのだ。実家の食事は非常に美味しかった。あれを私は長年、母が料理上手なのだと思っていた。もちろんそれもあるだろうが、しかし今思えば母は毎日午後四時に米を研ぎ、一時間浸水させて五時に炊き始め、炊き上がったごはんを檜のお櫃に移してお味噌汁の出汁をとっていたのだ。そりゃ美味しいわ。
在宅勤務もあるとはいえフルタイムで会社勤めをしているのに、このままでは出汁だけとって数十年が過ぎ去ってしまいそうな有様だ。そんな話を会社でしたことがある。十一歳年下の同僚で、激務の会社から転職してきた女性だった。私とは別部署で外出も残業もはるかに多く、しかしたくさんの本を読み、音楽に詳しく、ライブなどにも地方含め参戦し、深夜のクラブの治安の悪さを憂えてnoteで改善を呼び掛け署名運動をするなど、アウトプットも精力的に行っていた。その上、大学院への進学まで考えていて、論文対策や語学力アップの勉強もしていた。
「クラブ、そんなに詳しくなくても気軽なイベントもありますよ。なおコさんも来てみませんか」と誘ってもらった時、私が「早めに参加して、十一時半くらいに帰っても問題ない感じ?」と聞いたら「そこから始まるんですよ!」と笑っていた。学生時代に柔道をやっていたという彼女はとてつもなくエネルギッシュで、「金曜日の夜に東京のイベントに行って、朝四時くらいでいったん帰って、二時間くらい寝て、そこから羽田行って飛行機乗って、福岡に着いたら友達と合流してクラブ行って、翌朝の六時くらいまでいて、飛行機乗って東京帰ってきてシャワー浴びて寝て、で今日、月曜日なんで出社です!」という信じがたいスケジュールで動いていたこともあった。「一日七時間寝て、料理と食事と片付けで三食に何だかんだ二時間以上かけてお風呂に一時間入ってる私と、可処分時間が違いすぎる……」とおののく私に「でもうち、父親も激務で音楽好きだったんですけど五十で亡くなってるんで、多分、私も早死になんですよね」とからっと言った。
長生き家系の私が百歳まで生きる予想を立てているのを知っていた彼女はこう続けた。「私はとりあえず五十歳を目標にしてるんで、だから私が四十で“あと十年頑張るか”って思ってる時になおコさん五十一でやっと折り返し地点でしょ。トータルの持ち時間は結局とんとんですよ。なおコさんが人間だったら私が柴犬、私が人間だったらなおコさんがエルフ、くらいの寿命差です」
同じ職場に同時に存在している生物とは思えない、と廊下で(業務時間中に)爆笑したその数ヶ月後、彼女はさらなるステップアップと進学の都合を見据えて転職し、二〇二二年に二十八歳の若さで亡くなってしまった。癌だった。
彼女は編集者だったので、名前を検索すれば署名記事が今でも残っている。私はこの間受けた健康診断でも特に何の問題も見つからなかった。おそらく最終的に彼女の倍以上になりそうな持ち時間で、本も読むし、映画も観るし、こうして文章も書くし、遊びにも行く。出汁も取るし副菜も作るし、ゆっくり湯船に浸かって一日七時間寝る。夫にも長生きしてもらわないと人生の後半が暇になってしまうので、塩分控えめを心がける。
鍋は美味しかった。鶏つみれが出汁をよく吸い、下仁田葱がとろける。食休みしたらお風呂に入ろう。今日は読みかけの本に手が付けられなかったが、気にすることはない。時間が足りないなら、百二十歳まで生きればいいのだ。
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