#14 できることとできないこと
できることにフォーカスしてできないことを数えない。分かってるんだけど、簡単じゃないんです、というお話。
脳出血で倒れた時のあれやこれやを書いています。初めから読んでみようかな、という方はこちらからどうぞ。
倒れてからまた歩けるようになって、ほぼ普通の生活に戻れるようになるまでは、あっという間だった。
6週間ほどの入院生活を終えて自宅に戻った段階で、85%ぐらいまでは回復していた。
だけど、医師や理学療法士、作業療法士、経験者に言われた通り、そこから長い長い停滞期に入って、回復のスピードはカタツムリの動き並みになった。
そこから95%まで回復するのに、少なくとも3、4年はかかったと思う。そしてそこからまた少しずつゆっくりゆっくり回復している。
倒れる前の状態を100%とするなら、100%の回復はあり得ないだろう。ある程度はやり方を変えたり調整したりせざるを得ない。
もう倒れる前の状態には戻れないだろうと思うこともいくつかある。
例えば背伸びができないこと。
左足のバランスが悪く、以前ほど足首に力が入らない。だから棚の上にあるものを取る時には、右足だけで背伸びするか、いちいち踏み台を使わなければならない。
長く走れないこと。
小走りで横断歩道を渡るぐらいのことはできるし、スポーツジムのランニングマシーンの上で数分走ることはできるが、すぐにバランスを崩したり、崩して転びそうで怖くなって、長くは走れない。
階段を駆け降りられないこと。
階段を昇るのは問題ないけど、降りるのは相変わらずちょっとロボットみたいになる。だから駆け降りるなんてとても無理だ。
駅の階段を駆け下りて電車に飛び乗る、しかもヒールで、なんていうのは恐らくもう二度とできないだろう。
靴を履く、すなわち靴の中に足を留めておく、ということは自分では意識せずに足のどこかの筋肉を使うということを、倒れて初めて知った。
一番わかりやすいのがスリッパ、ビーチサンダル、ミュールのような、かかとの部分がないものだ。
どこに力を入れるのかよくわからず、とにかく左足だけがすぐ脱げてしまうのだ。一歩歩いては脱げ、また一歩歩いては脱げる。全然先に進まない。
ビーチサンダルが脱げずにまた履けるようになったのは今からつい2、3年前である。
バランスをすぐ崩して転びそうになるので、高いヒールの靴では歩けず履けなくなった。
当時は実際ハイヒールを履いていなくてもよく転んだ。段差も何もない平面でいきなりバランスを崩して、左足を捻って転ぶ。膝を破ってだめにしたパンツは数知れず。
流血したまま出社することもたびたびあって、いつも同僚にぎょっとされていたので、大きなバンドエイドと替えのストッキングやタイツはいつも会社に置いてあった。
しょっちゅう足首を捻挫するのでサポーターが欠かせなかった。膝には常に痣があったし、今でも少し痕が残っている。
だから持っていたハイヒールは、全て寄付したり処分した。その中にはまだ買ってから一度も履いていないものもあった。
さよなら私のヒールたち。履けないのはわかっているけど別れが惜しい。
今では5cmぐらいの高さの太いヒールなら履けるようになったけれど、やっぱりハイヒールを見ると羨ましく思う。
できないことを数えるな、できることに集中しろと言うけれど、そんな簡単にいかないし、それにできないと言われるとやりたくなる。手に入らないと言われると欲しくなるのが人情ってもんだ。
子供を産むことも諦めた。
身体に負担がかかり過ぎると思っていたけど、本当は産めないこともなかったのかも知れない。方法はあったのかも知れない。
それでも現実的には無理だと分かっていた。
諦めたと言うけど、40手前まで好き勝手なことをして、子供を産むことを後回しにしてきたのだから、本当は自業自得なのだ。
でももう無理だと自覚した瞬間に、やっぱり産んでおけばよかったなどと勝手なことを思う。
手に入らないとなると欲しくなるのだ。
祖母が昔よく、結婚なんかはしなくてもいいからとにかく子供だけは産んでひ孫の顔を見せろと言う過激な発言を繰り返していたが、産めない、産まないとなった途端に、ひ孫の顔を見せてやれなくて悪かったなと少し後悔した。
それまで一度もそんなこと思ったこともなかったくせに。
でもそれ以外のことは大抵できるのだ。
走れなくても歩けばいい。終電に間に合うように駅の階段を駆け降りるなんてことももうする必要がないし、ハイヒールでなくても素敵な靴はいくらでもある。
命に別状がなく、回復も早く、薬は飲んでいるけれど健康だ。家族や友達に助けられ、こんなに元気で暮らしている。
それ以上何がいるというのか。
それなのに、オットが友達の子供と遊んでいるのを見ると胸がちくりとするし、油断すると、時々Jimmy Chooのショーウィンドウにびたーっと張り付いている。
人間はどこまでも欲深いんだな。
(#15へ続く)
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