Flying Solo (帰郷)
仕事を辞め二週間半ほど日本に帰った。オットがどうしても仕事を休めず、今回は私ひとりでの帰国。久しぶりのひとり旅だ。
誰かと思い出を共有する旅も、もちろんいい。
オットにとっては何度行っても何もかもが目新しく新鮮な日本。もし私があてもなくあちこちをぶらぶらしたとしても、文句も言わずに付き合ってくれるだろう。そしてその間にも、おそらく何か彼の好奇心をくすぐるものを見つけるに違いない。
そんなオットと帰国するのは楽しい。思いがけない発見もたくさんあったりする。
それでも私は誰にも遠慮がいらず、じいっと自分の内面を見つめられるようなひとり旅が、時々無性にしたくなるのだ。
好きな人たちに会い、好きなところに行き、思いつくままに時間を過ごす。旅の間、何かにカメラを向けることはあまりなかった。
SNSに旅の様子を載せたのは、広島の平和記念資料館を訪れた時のただ一度だけだ。
ただ旅の間に見たもの、感じたこと、考えたことを文章で残したいとは思っていた。
それなのに、バンクーバーに戻って来てからしばらくはひどい時差ぼけで、とにかく眠くて一瞬でも目を閉じるとすぐ眠ってしまう。
朝も起きられず、昼も隙あらばうたた寝してしまい、夜もしっかり寝る。病気かというぐらい寝る。その上サマータイムが始まり、1時間前倒しになって眠さに拍車がかかる。
まずい。無職で寝てばかりでは非常にまずい。次第に私の中の私が鞭をふるい始め、一刻も早く仕事を探せと不安を煽ってくる。
こうなるともっとまずい。こんな風に自分を追い込んではろくなことがない。落ちつけ。
ということで、毎朝決まった時間に起き、散歩に行くことにした。朝の冷たい空気は頭をすっきりさせてくれる。次第に周りの景色にも目がいくようになる。
こんなところにクロッカスが咲いている。今年はずいぶん桜が遅いな。角の家、もうこんなに建ったんだ。
そうしてぽつりぽつりと旅のことを思い出し、その時々の感情をゆっくり反芻し始める。
駅前は帰るたびに変わっているし、南側の商店街はシャッターが下りている店も多く、子供の頃とはもうすっかり様子が違っている。それでもやっぱり地元が私に与える安心感は特別だ。
帰ると必ず小、中学校の時の友達と会うのだが、今回はなぜか女子会も男子会も地元でやろうということになった。
私はどういうわけか男子会にも呼ばれる。というか、私の帰国が集まる口実に使われるという方が正しい。
もう地元に残っているのはわずかなのに、わざわざ地元で集まろうなんて、みんな結局ここが一番ほっとするのかも知れない。
仕事のこと。家庭のこと。思い出話。どうでもいい話。ずっと喋ってずっと笑っている。
シワが増えて、髪が薄くなったり白くなったりしても、中身は中学の時から変わらない。
例えるなら、干した布団の太陽の匂いのようなふわっとした幸福感みたいなひとたち。会ったらくるまれて溶けていく。
長い付き合いの間に、泣いて笑って喧嘩して、醜い感情も全部さらけ出してきたから、良いも悪いも全部ひっくるめて受け入れられる今に至るわけで。
もし私の芯がブレれば正される。硬い殻を被っていたら打ち破られる。たぶん多少荒々しく。
愛情とか友情とかいう言葉ではとうてい表現し切れない、そこはかとない情合が確かにそこにある。
彼らと別れるときは、いつも夏休みの最後の日みたいに胸がきゅっとなる。何でこの人たちと離れて生きているんだろうと思う。
だけど彼らがいるから安心して外に飛び出しても行ける。たとえ世界に打ちのめされて戻ってきたとしても、ここには彼らがいる。いつでも帰ってくればいい。その圧倒的な安心感は、揺るぎない私のバックボーンなのだ。
(続く)