「自分らしくない」のは、ダメなのか?
自分らしさが見つからなくて、苦しくなっている人は、少なくないのではないか。
「自分らしさ」とは、そもそも、何なのだろう?
「自分らしさ」2つの意味
「自分らしさ」という言葉が使われる場面には、
大きく分けて2つあるように思う。
1つ目が、他の人にはない、自分だけの個性だったり、強みを表すとき
2つ目が、素の自分とか、本来の自分、自然体の自分を表すとき
使われる場面は違っても、
「自分らしい自分」を求める時って、「自分らしくない自分」は、無意識に否定されている。
1つ目は、「自分らしい自分」を求める今の自分には、個性や強みが見つかっていないのだろうし、そんなもの自分にはないんじゃないかという、自分に対する不信がある。
特に2つ目のパターンでは、「自分らしくない自分」はダメな自分と否定しで、「自分らしい自分」こそが、本来の自分と肯定する思いがあるように思う。
仮にそれで、とりあえず納得できる「自分らしさ」が見つかったとしても、
しばらくするとまた、居心地の悪さや本来の自分ではないような、違和感を持つようになって、もっとしっくりくる「自分らしさ」を求め始める。
そうやって、「自分を探す」ループにはまっていく。
「らしくない」と言われて
ある時、私は、仕事で失敗したことに落ち込んでいた。
「あぁ、私って、なんてダメなんだろう」
「何年も同じ仕事をしていて、こんなことに気づかないなんて」
そんな時、友人から電話がかかってきて、用事ついでの話にのっかって、
弱音を吐いた。
あまり人に弱音を吐いたり、愚痴ったりしない私が珍しく友人にこぼした。
ひとしきり、私の話を聴いてくれた友人が、何気なく
「まぁ、そんなこともあるよ。
でもさぁ、そんなことで落ち込むなんて、なおこさんらしくない。
気にしなくていいと思うよ」と言った。
友人は、ただ私に、いつもどおり明るく元気になって欲しくて、
慰めてくれただけなんだと思う。
でも、私は、何か釈然としない思いが、腹の奥底から湧き上がってくるのを感じた。
「なおこさんらしくない」
それって、どういうことだろう?
何か拒絶されたような、わかってもらえなかったような、話しても無駄ったような、ちょっとがっかり感混じりのため息をついた。
「自分らしい自分」というラベリングが、自分を苦しめる
「らしさ」を求める時、そこには必ず「らしくない」ものに対する否定のニュアンスが含まれている。
でも、「らしさ」も「らしくなさ」も、全部ひっくるめて「自分」だし、それが、「自分らしさ」なのではないか。
どちらも否定しなくていいし、どちらも肯定しなくていい。
「自分らしい自分」を求めて、〇〇が自分らしいと決めることは、わざわざ新しい箱を買ってきて、そこに自分を押し込めるようなものだ。
これが「自分らしい自分」とラベリングして、箱に詰めるから、また苦しくなる。
そうじゃなくて、今ある自分がすべて。
いいも悪いもない。
そう捉えることで、初めて自由になれるし、
もっと自分らしくいられるようになるんじゃないかと、私は思う。
それでも、自分らしさって、なんだろう?と思ったときは、
自分のことをもっと深く知るチャンスだ。
何か大事な選択をしようとして、
例えば、転職やビジネスで、
より自分に合うものを選びたい、自分の力を発揮したい
と思うから、「自分らしさ」を求めているのかもしれないし、
何かの出来事がきっかけで、
もう一度、自分を見つめ直す時期に差し掛かっているのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?