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むかしばなし雑記#08 「舌切り雀ー不思議な世界はどこにある?ー」

はじめに

こんばんは、前回は“人間が寝ている間にこっそり食料を盗んでしまう”ねずみの話を紹介しましたが、今回のキーパーソン(アニマル?)もお米と縁の深い彼女。
 すずめは雑食で、イネ科の植物の種子(お米など)や、虫を食べます。お米が主食なんて、とってもジャパニズム!!…だからかどうかは分かりませんが、やはり、米を主食とする日本では、田んぼや庭先とすずめという取り合わせがごく当たり前の風景。とっても親近感わく小鳥ですね。
 おばあさんが洗濯物をととのえるために作った“のり”も当時はご飯を練ったようなものでした。これをうっかり食べてしまったがために、彼女の受難は始まるわけですが…。

「舌切り雀」

以下に青空文庫「ねずみの嫁入り」(楠山正雄)に一部省略・表現変更を加えて書き起こしたストーリーを掲載します。

むかし、むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがおりました。おじいさんは、すずめを一羽かごに入れ、かわいがっていました。ところがある日すずめは、おじいさんが留守の間におばあさんの洗濯のりを残らずなめてしまいました。怒ったおばあさんは、はさみですずめの舌をちょん切ってしまいます。すずめは鳴きながら、飛んでいきました。
 
帰ってきたおじいさんは大変驚き、すずめの行方が心配で夜明けとともに出かけていきました。
「舌切りすずめ、お宿はどこだ、チュウ、チュウ、チュウ。」
と呼びながら、野を越えて、山を越えていきますと、やぶの中から
「舌切りすずめ、お宿はここよ。チュウ、チュウ、チュウ。」
という声が聞こえました。声のする方へいきますとかわいらしい屋敷が見えて、あのすずめがお迎えに出ていました。すずめはごちそうや踊りでおじいさんをもてなします。おじいさんはたいそう喜びましたが、夕暮れが近づいてきたのでお礼を言って帰ろうとしました。するとすずめは、
「ではおみやげを。重いつづらに、軽いつづらです。どちらでもよろしい方をお持ち下さい。」と、奥からつづらを二つ持ってきました。
「わたしは年をとっているし、道も遠いから、軽い方をもらっていくことにしますよ。」おじいさんは軽いつづらを持ち帰りました。

うちに帰って開けますと、金銀さんごが出てきます。ところが、話を聞いたおばあさんは
「なぜ重い方をもらってこなかったのです。これからわたしが重いつづらももらってきます。」と言って、おじいさんが止めるのも聞かず、うちをとび出しました。

「舌切りすずめ、お宿はどこだ、チュウ、チュウ、チュウ。」
野を越え、山を越えて、大きな竹やぶへ来ますと
「舌切すずめ、お宿はここよ。チュウ、チュウ、チュウ。」
今度もあのすずめが案内しましたが、おばあさんは座ろうともせず
「お前さんの顔を見れば用は済んだ。お土産をもらって、帰りましょう。」
すずめはあきれながらも奥からつづらを二つ出してきました。
「さあ、それでは重い方と軽い方、どちらでもよろしい方をお持ち下さい。」
「それはむろん、重い方をもらっていきますよ。」
言うなりおばあさんは、重いつづらを背中にしょい上げてあいさつもそこそこに出ていきました。

ところが背負って歩くうちつづらがどんどん重くなっていきます。とうとう肩も腰も痛くなり
「重いだけに宝がよけい入っているだろう。ここらで一休みして、ためしに少しあけてみよう。」と、道ばたでふたを開けました。すると一つ目小僧だのがま入道だの、次々お化けが飛び出して、
「この欲ばりめ。」と言いながら、こわい目でにらみつけるやら、気味の悪い舌を出して顔をなめるやらするので、おばあさんは金切り声を上げて、一生懸命逃げ出しました。

まっ青になって、うちの中にかけ込んだおばあさん。話を聞いたおじいさんは気の毒そうに、
「やれやれ、だからあんまり可哀相なことをしたり、欲ばったりするものではない。」と言いました。

テキストは青空文庫「ねずみの嫁入り」(楠山正雄)に一部省略・表現変更を加えたものです。

原作はこちらからお読みください。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000329/card18378.html

「お宿はどこだ?」おじいさんの受難

さて、この「舌切り雀」という昔話。明治時代に巌谷小波氏が書き起こすまでこれといった定型テキストがなく、あくまでも民話として各地で自由に語り継がれていました(『宇治拾遺物語』に「雀報恩之事(雀の恩返し)」という話がありますが、内容は大きく異なっています)。で、これら語り継がれた民話には、おじいさんがすずめのお宿に行くために、多くの人に道を尋ねる場面が盛り込まれていることが多く、可哀相なおじいさんは道を教えてもらう条件として様々な苦難を強いられることになります。現代の絵本でも時々見られるのが、“牛洗い”や“馬洗い”に道を聞き、「牛(馬)を洗ったこの水を残さずに飲めたら教えてやろう」というもの。民話によってはこれが牛の小便や馬の血とされていることすらあるから驚きです。なにも悪いことをしていないおじいさん。どうしてこのような試練を乗り越えなくてはならなかったのでしょうか。

「お宿はここよ」竹やぶの奥の異界

おじいさんが尋ね歩くと、やぶの中から声がします。「舌切り雀、お宿はここよ」。通されたのは竹やぶの奥。そこにはすずめたちが人間のように暮らしている不思議な世界がありました。

ちなみに、前述の巌谷小波氏は舌切り雀の民話が伝わる地の中でも群馬県にある磯部温泉に出向き、この話を書き上げたんだとか。余談の余談ですが、磯部温泉は温泉記号(地図や温泉まんじゅうについている、半円から湯気が3本波打って立ち上っているマーク)発祥の地としても知られています。

さておき、これほど不思議な世界が、ごく普通の地にあると考えた古代人たち。彼等は私たちとは違う世界観をもっていました。

その昔、人々は不思議な世界の多くが地続きの先にあるととらえていました。当時の交通手段や技術を思うとたしかに空や海といった上下・縦の移動は至難の業だし、普段しないことには想像力がはたらきません。そこで、古代人は考えました。「この地の果てには何があるのか。」「試練を越えてどこまでも行った先には、きっとまだ見ぬ不思議で素晴らしい世界があるに違いない。」そして、幾日もかけて進んだ先に、もしくは、苦しい試練を越えた先に、不思議な世界があるとするお話をいくつも語り継いだのです。私の好きな浦島太郎では、竜宮城が海中、つまり“縦移動”の先にあるという話ができはじめたのが鎌倉・室町時代くらい。それ以前は、舟に乗って幾日も海を渡ると(横移動)、天界へとたどり着く、という天地すら地続きのストーリーだったのです。

地続きの先の「向こうの世界」

異類と言葉を交わし、ともに過ごすことのできる不思議な異界。それは、古人たちにとって、竹藪の向こうであったり、海向こうの龍宮だったり、ともかくも、私たちの過ごしている世から踏み出して、ずっと向こうに行った先にありました。歩いて、あるいは、舟に乗って、日々の生活の向こうに歩を進めた先に、その世界はあるものとして、長く語られてきたのです。

「そこは、簡単に行ける場所ではない。しかし、ずっと進んだ先に必ずある。」それが昔の異界観。おじいさんの受難が描かれた背景にはこのような世界の捉え方があったのではないでしょうか。生活の隣り合わせに不思議な世界があるという昔の生活、うらやましいような、少しこわいような…。

異界の話はこちらにも書いています。

https://note.com/naoko_i_tale/n/n1ec8a32d1d93?magazine_key=mcfa22f2d0628#26a077ed-6eef-477b-a175-c1369f9e93a0

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それではまた来週お目にかかりましょう。

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