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浦島語り#05 別離なき浦島伝説の盛衰④


あけて悔しき わが涙かな

浦島太郎と言えばやっぱり「開けて悔しき玉手箱」。これに似た言い回しは、平安時代、すでに数多く見られます。たとえば・・・・・・

夏の夜は 浦島の子が 箱なれや  はかなくあけて くやしかるらん

『拾遺和歌集』一二二より。
なお、本文は岩波書店『新日本古典文学大系』に依った。

これは、平安時代中期の女性歌人・中務(なかつかさ:九一二年ー九九一年)が詠んだもの。恋人と過ごす夜がはかなく明けてしまうもどかしさを、「夏の夜はまるで浦島が持ち帰った玉手箱のよう」と言うわけです。下の句は「開けて」と「明けて」が掛詞になっていて、「玉手箱をあっけなく開けて悔しい思いをしたように、恋人と過ごす夜もすぐ夜明けが迫ってきて悔しいものね」と続きます。

時代が前後しますが、奈良時代に成立した『万葉集』には、「たまくしげ」という枕詞が二〇首近くの短歌に用いられており、そのほとんどが「開ける」「開く」「見る」などの言葉にかかっています(三浦佑之『浦島太郎の文学史 恋愛小説の発生』一九八八年五柳書院による)。この時代から歌人たちの中では浦島伝説が流行しており、そして、「箱の開封」と「悲しい結末」が対になって語られていたと考えてよいでしょう。

地に足をつけ早送りの日々を生きてきた男、海に棲み悠久の時を過ごしていた女。異なる時間を寄り添わせ、二人で歩んで三歳(みとせ)が過ぎた。異類の恋に未来なんてない……ーー。

本当にそうなのでしょうか。いえ、この国の歴史の中には、浦島と乙姫の2人に、幸せな未来を思い描き、それを語り継いだ人たちもたしかにいました。その物語は室町時代に成立した「御伽草子」の中に残されています。

過去3回に渡って書いてきた「別離無き浦島伝説の盛衰」、いよいよ本題です。

連動している朗読チャンネルでは、楠山正雄氏の浦島太郎、第四部を公開しています。併せてお楽しみいただけると嬉しいです。

室町に語られた夢、御伽草子の浦島太郎

南北朝時代から江戸初期にかけて、平易な散文体の読み物がかなり多く作られました。これらは一般に御伽草子という名で親しまれ、おおむね室町時代を中心に成立したと考えられています。このなかには『鉢かづき』『一寸法師』『酒呑童子』などが含まれ、『浦島太郎』もまた、この時代、御伽草子として楽しまれていたようでした。それでは、室町時代の浦島伝説、どのような内容だったのか、いくらかポイントを絞って追ってみましょう。

①「浦嶋子」から「浦島太郎」へ!

まずは主人公の名前です。古代伝説では「浦嶋子」とされ、地方土豪を思わせる名だったのが、この時代から「浦島太郎」になりました。かつて太郎は長男を示す普通名詞だったようですが、室町時代になると意味するところは「浦島さんとこの息子さん」といった具合でしょうか。この時代から、浦島伝説の主人公は、「庶民」、すなわちどこにでもいる青年になったのです。

②「助けた亀」に連れられて

浦々島々、人江入江、至らぬ所もなく、釣をし、貝を拾ひ、みるめを刈りなどしけるところに、ゑしまが磯といふ所にて、亀を一つ釣り上げける。浦島太郎、この亀に言ふやう、「なんぢ、生あるものの中にも、鶴は千年、亀は万年とて、命久しきものなり。たちまち、ここにて命を断たんこと、いたはしければ、助くるなり。常には、この恩を思ひ出すべし」とて、この亀をもとの海に返しける。

御伽草子「浦島太郎」
なお、本文は小学館 完訳日本の古典 第四十九巻『御伽草子集』に依った。

古代浦島伝説では、釣りに出た浦島の船に亀が自ら乗り上げてきたのですが、室町時代から、ついに、「助けた亀の恩返し」というモチーフが加わります。これは仏教思想の因果応報という考えが浸透した結果とも言われています。それにしても、浦島さんの言葉、なんだか恩着せがましくありません?

③恋愛小説のテイストは変わらず

さて、女房の申しけるは、「一樹の蔭に宿り、一河の流れを汲むことも、みなこれ他生の縁ぞかし。ましてや、はるかの波路を、はるばると送らせ給ふこと、ひとへに他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと共婦の契りをもなし給ひて、同じ所に明し暮し候はんや」と、こまごまと語りける。浦島太郎申しけるは、「ともかくも、仰せに従ふべし」とぞ申しける。さて、偕老同穴のかたらひも浅からず、天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝とならんと、たがひに鴛鴦の契り浅からずして、明し暮させ給ふ。

御伽草子「浦島太郎」
なお、本文は小学館 完訳日本の古典 第四十九巻『御伽草子集』に依った。

古代浦島伝説同様、亀が女性に姿を変えて、浦島を海向こうの世界に誘います。ちなみに、室町時代の浦島伝説から、浦島が行った先について「龍宮」と表現されるようになるのですが、描写を追うとこの龍宮、「海の上をこぎ進んだ先にある」世界のようですので、位置づけは古代世界とあまり変わりませんね。そして、ついた先で女性からの猛アプローチがあり、2人は夫婦となったのでした。個人的には、女性が2人の深い縁について切々と説き、「夫婦になりましょう」と熱烈に告げてくるのに対し、浦島が「ともかくも、仰せに従うべし(仰るとおりにいたしましょう)」の一言しか発しないのがなんだか完全に押されているようで面白いのですが……。

④玉手箱を開けた先に……

生あるもの、いづれも情を知らぬといふことなし。いはんや、人間の身として、恩を見て恩を知らぬは、木石に譬へたり。情深き共婦は、二世の契りと申すが、まことにありがたきことどもかな。浦島は鶴になり、蓬菜の山にあひをなす。亀は、甲に三せきのいわゐをそなへ、万代を経しとなり。さてこそめでたきためしにも、鶴亀をこそ申し候へ。ただ人には情あれ、情のある人は、行く末めでたきよし申し伝へたり。その後、浦島太郎は、丹後国に浦島の明神とあらはれ、衆生済度し給へり。亀も、同じ所に神とあらはれ、夫婦の明神となり給ふ。めでたかりけるためしなり。

御伽草子「浦島太郎」
なお、本文は小学館 完訳日本の古典 第四十九巻『御伽草子集』に依った。

なんといっても、最大の特徴はこの結末!別離では終わらない室町小説、浦島はひとたび玉手箱を開け、年老いてしまうのですが、その先に上記の文章が続きます。浦島は鶴となり、亀の女性と夫婦の明神になり、丹後国に祀られて、衆生を救う存在となったのでした。

浦島を透かして見えた庶民の願い

私は浦島伝説が大好きです(知ってる)。海向こうの世界のロマンも好きだし、理不尽にも思える結末も、整いすぎてないからかえって人を惹きつけるようにも感じられます。だから、別離の結末がまずあるのが前提なのですがこの室町時代の御伽草子が「救いのある結末」を設けていることにも、強い関心があるんですよね。どうしてこのような話が語られたのでしょうか。

美濃部重克氏は版本『御伽草子』について、「作られた当初にはめでたしめでたしに終り、めでたしという言葉を頻発することで、めでたくない世において、せめて書物の上においてでも、めでたくあろうとする中世人の悲しい願いが込められていた」としておられます(『中世伝承文学の諸相』美濃部重克 和泉書院 1988)。

平安末期からこの国は大きな転換期を迎えます。公家の世は、その終焉に、おののき、また、新たに生まれた武家の世では、数々の武将たちの夢と命が、泡沫のごとく結ばれては、消えていきました。

「ただ春の夜の夢のごとし」、「ひとへに風の前の塵に同じ」。変わらぬものなどなにもない、そう語りかける祇園精舎の一節は、激動の時代を生きた者たちの実感であり、それこそが真実だったのでしょう。

大火、辻風、飢饉に地震……平安末期から鎌倉初期にかけて、災害が多くあったことも『方丈記』から読み解けます。

明日の見えない苦しい時代にあって、せめて絵空事の中では幸せな夢を見ようと、民衆は御伽草子に連なる物語を紡ぎました。

この時代から浦島伝説の主人公が民衆の名である「浦島太郎」となり、そしてその結末が「めでたかりけるためしなり」となった。その裏には当時を生きた人々の悲しい願いと、物語によって現実を超えていこうとするたくましさが見え隠れしているようにも思われます。

おわりに

古代の伝説において、不老不死の楽園、蓬莱に行き、仙人となった地方土豪の浦嶋子は、室町に入るとどこにでもいるひとりの人となりました。彼がちょっとした善行で手にする幸せは、耳にした民衆にとって、まさにいつ自分に起こるかわからない幸せであったことでしょう。人は語ることで、夢を見たのです。別離無き浦島伝説、それは、中世を生きた人々の願いの結晶だったのではないでしょうか。

4回に渡って書いてきた「別離無き浦島伝説の盛衰」シリーズ、これにて一旦締めくくろうと思います。最後までお読みくださった方、本当にありがとうございました。

来週からは、またしばらく創作小説などを掲載していこうと思いますので、こちらもよろしければお付き合いください。

浦島語り、まだまだ話したいことがたくさんありますので、創作と交互にやっていこうと思います。好きなことを好きなように書いているだけのnoteですが、楽しんでいただければ嬉しいです。

それでは、また来週。

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