感じてはいけない寂しさをこじらせたみたいです。
おはようございます。
抗生物質が効いて扁桃腺の腫れは引いたけど、咳喘息の気配に怯えていたなおこです。
昨日の夜、私が心身ともに整えてもらっているセラピストさんに今の症状を伝えたら、こんなことを聞かれました。
「何か寂しく感じてることない?」
聞かれて気づいた!
ある!
寂しく感じてる!
でも、それは感じてはいけない寂しさだと思って、無いものにしてたんだ!
何だか胸がいっぱいになって一瞬で涙が出そうになりました。
「その想い、めっちゃ寂しいよーって感じてあげて」
そうだった。
感情を無視しちゃダメって知ってた。
でも、気づいてないフリしてた。
私がとうとう向き合わざるを得ないくらいモヤモヤするまで悪化する前に、身体がちゃんと反応してくれたのかな。
あるいは、見ないようにしすぎて、身体が教えたのかな。
うーむ。もしかしたら、後者かもしれない。
今回の寂しさは、
会社での寂しさでした。
私が出勤日を少し減らしたいと希望を伝えて、会社としては私に合う形と思って、いわゆる担当を与えず「ザ・なんでもや」ポジションをくれたんです。
他の人たちはガンガン担当として業務をまわし、私はそこからこぼれたものをすくう役。総務と庶務と秘書を合わせたみたいな役割。
実は全然きらいじゃないポジションです。
なのに、自分だけチームに入っていないことに
ぽつん…と孤独感を感じていたんです。
ほら、これね、人が聞いたら、
「まぁ・・・・しょうがなくね?」となるでしょ。
会社、全然悪くなくね?って。
本人も「いやいや、全然会社悪くないし!」ってわかっているんですよ。
だから、寂しいなんて思っちゃいけないと思ったわけです。
でも、それと、「寂しいと思うこと」は、別物だと考えた方がいいと改めて思いました。
私はチームで一緒に頑張ることが好きです。けど、チームがなくなりました。
加えて、これまではずっと、何かが決めるプロセスには関わってきました。でも、もうそういうことがありません。
そこについては、寂しさがあるんですよ。
でも、寂しいからといって、会社が悪いとか全然思っていません。
ただ、ただ、私がそこについて、ぽっかり心に穴があいたような寂しさを感じているというだけです。
こんなことを考えていたら、今回身体に表れた「寂しさ」には、自分の感情をまるっと受け止めてなかった私に対して、私自身が、ちょっとー気づいてよーと訴える寂しさもあったんじゃないか、とも思えてきました。
いや、ほんとにね・・・
私たちは、人とのやり取りにおいて、毎日いろいろな気持ちが湧く!
でも大人になると、それをいちいち表現できません。
それによって相手を困らせたり、相手に与える影響を考えるから。
そうすると、ちゃんとそこにある感情に対して「持ってはいけない感情」というレッテルを貼るんでしょうね。
感情は「湧く」ものなので、その感情が湧いたという事実をどうするのか。
湧いたのに「湧いちゃいけなかった」と言われたら、その感情はどうなるのか?
寂しいよーと訴えるか
いじけてチクチク反応するか
ガーン‼️とショックを受けて引きこもるか
何にせよ、どこかに影響がでそうです。
湧いた感情に任せて行動してしまうことは、ちょっと考えた方がいいですよね。
誰かを責めたり、悲しませたりすることもあるから。
でも、感情が湧いたことは、全部誰かに報告する必要がありません。
湧いた感情には、私にだけわかる理由がある。
だから、私だけは、私の中に湧いた感情を丸ごと受け止めてあげようと、今回改めて思ったのでした。
湧いた感情を良いとか悪いとかジャッジしないようにしなきゃ、と。
日々これをやること、とっても大事なことでした。
10年間くらい心がけてやってたんだけど、7年前に今の会社員になってから、やっぱり日々いろんな気を使ってきたんでしょうね。
すっかり頭から抜けてた!!
よかったら、ちょっと自分の中にある感情についてアンテナを張ってみてください。
私、何かを寂しいと思ってる?
悲しいと思ってる?
苦しいと思ってる?
いやだぁぁーーーーって思ってる?
で、それをただ、「いやだよね」「苦しいよね」って丸ごと受け止めて、自分をヨシヨシしてみてください。
ちょっとしたネガティブからの復活が、早くなると思いますよ!
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