36歳3兄弟の母、すべての育児スキルは幼少期のゲームで学んだ説あり。
9,7,2歳の三兄弟の母、永田です。
私は1987年生まれ。
ファミコンに熱狂し、ポリンキーを片手にスーパーマリオワールドに夜中までのめり込む親たちに育てられた世代です。
国語辞典のように分厚かったゲームボーイが、薄く小さくなり、さらに途中から画面もカラーになりました。
それまでは画面の左から右へ進むだけだったマリオが縦横無尽に駆けまわり始めたのは、Nintendo64の登場から。
ちょうど給食の牛乳が瓶からパックに切り替わった小学三年生の頃でした。
(先生が持ってた牛乳のフタを軽々と開けられる魔法の針みたいなやつ、憧れたなぁ)
父がゲーム好きという特異な家庭環境
だったため、世間の子どもたちが、「サンタに頼んでもらう」や「お年玉を貯めて買う」という千載一遇のカードを切ってやっと手に入れる新作のソフトなどが、自動的に発売日に家にありました。
「アイツんち、行こや」と放課後にクラスの男子の溜まり場になるのが、だいたい私の家。
(今思えばあの狭いリビングのどこにどうやってみんな座ってたのか謎すぎるのですが、みんな小さかったんかな)
そして私は夜な夜な、父に頼まれてクラスの連絡網の電話番号リストから同級生(の中でもお兄ちゃんがいてゲームに詳しい)よっちゃんに電話させられます。
「こんばんは。夜分遅くにすみません。あの、Yくんいますか?あ、はい。ありがとうございます。あ、よっちゃん?あのな、魔法の鍵ってどこにあるかわかる?」
「あ、それな、あっこにあるで。洗礼のほこらまだクリアしてないんちゃん?」
(あそこのことを「あっこ」って言う子やったな〜なつかし。)
そう、ドラクエ6の攻略に行き詰まった父は私を介してよっちゃんを頼るのでした。
今思い返せばゲームのことを聞くためだけに電話をするのはほんまに嫌やったけど、(今みたいにスマホじゃないからね!家の電話から家の電話にかけて、お母さんが出て代わってもらう時のあのソワソワ感。もしくは本人が出てるのに敬語で話してしまった時の恥ずかしさったら。)でもその結果入手した情報をリビングの小さいテレビの前に並んで父にドヤ顔で指示する時がなんとも幸福感に浸れる時間でした。
そんな時から父と娘の謎の結託もあり(?)反抗期とか、「お父さんマジクサイ!」みたいな時期も特になく、先日も2人で二軒ハシゴ酒する関係でいられて良かったなぁ!
前置きは長くなりましたが、書きたいのはこれ。
日常ってほぼゲームだ
時は流れ、社会人になり、結婚出産を経て、随分とゲームから離れた生活をしていた時のこと。
手続きのために訪れた区役所で
こちらの4枚の書類に同じ内容を記入していただいて〜そこにAの書類を添付して、違う部署で印鑑をもらってから、さらにあそこに持って行って、返送された書類をここに出してください。的な説明を聞いた時に、私は思いました。
「いや、ドラクエやん!」
と。
マイナンバーカードも存在しない10年程前のことなので、今はもっとスマホでピピっと済むようになっているのかもしれませんが…
面倒くさいと思う前に、「ゲームやん」と思えるマインドが育ったことに気がついたのです。
そして、さらに時を経て9,7,2歳の三兄弟との日々は毎日がクエストの連続。
(リビングにはリオレウスとイャンクックとコンガが走り回ってます)
正解がないと言われている育児に関しても、ゲームで学んだことが大いに役に立っていると思うんです。
まとめてみたので、ゲームをする人も、しない人も、読んでいただけたら嬉しいです。
◆ドラゴンクエスト
何度くじけそうになっても諦めない心を鍛えてくれたドラクエ。
一度ダンジョンに入るとボスを倒すまで平和な街には帰れませんのでね。
RPGは、子連れで出かける前の先読み力と装備力の教科書のようなものです。
おむつの枚数、もしもの着替え、空気のように軽くてかさばらない上に万能なビニール袋…
ベビーカーで行くのか?抱っこ紐で行くのか?
さらに子が増えて成長してくると、
育児キャリアも積み上がってきているので休日の家族のレジャーでは宜保愛子並みの透視力を発揮することになります。
出発してすぐの「お腹すいた!」に対応するためのおにぎりと、
待ち時間などの隙あらば是非ねじこみたい「宿題」の持参。
遅くなりそうな気がしたら目的地付近のくら寿司を18:00頃にアプリで予約しておくとか、
帰りに銭湯による可能性を感じたら子供の人数分のパジャマと歯ブラシセットも持って行きます。(200%帰りの車内で寝るから!)
それを通り越すと、パジャマがなかろうが、歯磨きをしてなかろうが、「寝た?まぁいいか」という域にも達するので、そうなるともぅこっちのもんです。
◆聖剣伝説2
これはリアルタイムバトルシステムなので、より育児の「何が起きようと待ったなし!」の状況に近い緊急性が求められます。
どういうことかというと、ドラクエなどは「ターン制」なので、敵に遭遇したら画面が切り替わって戦闘モードに突入→コマンドを選んで攻撃→敵からの攻撃のターン→時にはアイテム、回復の呪文→相手のターンと、オセロみたいに綺麗に順番が守られるのですが、リアルタイムはそうはいかない!
突然背後から切りつけられたり、いつ何が起きるかわからないので、常に自分のHPは8割以上に回復させておくこと、仕事を納期直前に溜めると「一家総インフルエンザゾンビ大会」みたいになることもあるので前倒しできることは前倒し!(したほうがいいよ、という教訓をくれたというだけで必ずしも達成はできていない…)
つい最近も、次男が顎の下を切って縫合という緊急イベントが発生!(2年ぶり3回目)
予期せぬ出来事に振り回されて、うっかり1年が通り過ぎた!なんてことを防ぐためにも、桜が咲いてたら自転車を止めてスーパーで花見団子を買ってそこで食べるぐらいの先取り感がちょうどよいんです。(昨日完了)
落ち着いたらお花見でもしたいなぁと思っていたら、いつのまにかセミが鳴いてるのが子育ての不思議。
季節の思い出は、いつか!ちゃんと!と、張り切らないで、薄くてもいいからミルフィーユみたいに日常に重ねていくようにしています。
あー現実でも草を刈ってルピーがもらえればいいのになぁ。
◆クロノトリガー
忘れもしない冒頭のリーネ広場での「ガルディア建国千年祭」、そして最初の裁判。
テーブルに置いてある弁当は勝手に食べてはいけないこと、もし食べてしまったら素直に申告することを学びました。
(調べようと思って近づいたのに、このゲームの設定でいきなり食べてしまうのです!そして盗みをはたらいたことはないか?と裁判で聞かれます。)
これは子育てという以前に、人としての善悪と嘘はつけないという基本の精神を学びました。
◆MOTHER2
何から書き出せば良いのかわからないほど、人生のバイブル的ゲーム。
もはや私の血液の成分に要素として染み込んでるんちゃうかな。
少ない文字でわくわくを想像させてくれるキャラクターたちのセリフは糸井重里さんのワザと愛。
もちろん戦闘シーンもあるんですけど、デリバリーピザが頼めたり、銀行とかキャッシュカードの概念を知れたり、食べ物に調味料をかけて食べる選択肢なんかもあって、生きるために必要な全てをキッザニアみたいに疑似体験させてくれたのもこのゲーム。
もちろん、人とのコミュニケーションも。
ただラスボスを倒す目的で進めるRPGとは違う、サードプレイス的存在でした。
最近MOTHER3が出たので、春の大仕事を終えたらどっぷりと浸るのが目標!
(出来ることなら長男がプレイするのを横で観ながらよなよなエールを飲みたい。)
◆牧場物語
いわば、淡々と同じ作業の繰り返し。
こんなゲーム、農耕民族だった日本人しかしていないのでは!?と思いながら、やればやるほど発展していく自分の牧場が愛おしくてそれはそれは長い時間を費やしました。
敵と戦ったり、クリア出来ずに何度も振り出しに戻ったりするゲームに疲れた時は、平和すぎるこの空間にトリップ。
ここで学んだのは、根気、そして効率化のためにどこにどれだけ投資するかという戦略の立て方、限られた時間の中で優先順位の決め方。
それから、売ってるものはだいたい自分でも作れるということを教えてくれました。
書くとたいそうに思うけど、産後半年なんて牧場物語の経験がなかったら私多分ノイローゼになってたと思う。
◆ウイニングイレブン
言わずと知れた名作ですね。
常に総当たり戦を組んでウイイレをやり込んだ後に、日韓W杯をテレビで観たので「なにこれ!ゲームみたい!」という逆輸入的な感動に痺れました。
ウイイレで学んだのはチームプレー、それから実況は自分を盛り上げるということ。
日常をまっすぐに受け止めてたら心が折れてしまうようなことも、らせん階段を一段上ったところから「おーっと!今コーヒー豆をぶちまけました!なんと、昨日買ったばかりの高かったやつではないでしょうか!?」みたいに都合よく愉快に編集して生きるクセはこの頃に身についたのかもしれません。
仕事のスタンスも結構近いものがあって、「センタリングは上げられるから、納品したらあとは頼んだ!」というポジションが私にはしっくりくるみたい。
それにしても、プレステ4のウイイレとなると、髪の毛が1本1本揺れててもぅ実際の試合なのかゲームなのか見分けることが困難!
ファールの時の抗議の仕方まで緻密すぎる。
◆ゼルダの伝説
「時のオカリナ」「ムジュラの仮面」この2作は、私の思い入れの強い作品でもあり語り始めると朝になりそうなので割愛しますが、とにかく細部まで人間味の溢れる内容でした。
見えているのに行けないところにどうやったら行けるのか?という仕掛けも多く、手元にあるものを組み合わせて工夫したり(例えば木にたいまつの火を灯して燃やしてみるなど)、もしくは少しストーリーを進めてから戻ると新しい方法が見つかったり…
問題解決策の見出し方とか、生きる力みたいなものを学びました。
そのほかにも、モンハンとかワギャンとか(古っ!)愛すべきゲームは山のようにあるのですが長くなりすぎるので今回はこのへんで。
87年生まれといえば…
ゆずに憧れてギターを触ったり、かなへいと326のイラストに青春を感じていた私たち 87年生まれ。
2000年への突入を経験した上に、(ノストラダムス嘘やったやーん!)ASAYANで一喜一憂しながら、MDウォークマンで自分BESTを編集し、そこからのipodの登場、さらに携帯がパカパカになり、着メロが16和音から32和音になり、着歌になった時は震えましたよね。
ポケットから倖田來未が熱唱するなんて、逆に今は考えられへんけど、TSUTAYAに通ったあの時代も青春そのもの。
思い返せば子どもの頃は自由の女神よりも自由でした。
今みたいに冷蔵庫の食材の在庫とか夕飯の支度も気にせず、誰からもなんの連絡もメンションも来ない世界で、目の前にあることを楽しんで、好きなものを好きな時に食べ、数ヶ月に一回の席替えだけが人生のハイライト!
私は家庭環境のせいで(まだ言う)、相当な時間を数々のゲームに費やしたわけですが、当時は物理的にカセットを抜いたり挿したりして他のゲームに切り替えていたので、(貸したり借りたりも楽しかったな)いろんな種類の世界が存在することを体感できました。
中学生までは家と学校の往復で、行動範囲も自転車で行けるところが限界。
そんな狭い世界で「合わなければ乗り換えても良い」、「失敗したら離れるのも手」、「うまくいかない時は息を吹きかけて、ガチャガチャとカセットをさし直せ!」、「セーブできないゲームは線を繋いだまま入力切替でテレビに戻しておけば良い」「最後は念力でなんとかなる」なーんて小技も教えてくれたのでした。
ゲームを子どもにさせるのは賛否両論ありますが、 私が
まとめ『三兄弟育児で無意識のうちに活かしているマインド4つ』
1.そもそも最初から思い通りにいくわけがないこと
2.でも知恵と工夫でアップデートしていけること
3.難しい時は誰かにヒントをもらうこと
4.淡々とこなした向こう側に素晴らしい景色があると信じる気持ち
これらが幼少期のゲームで身についたのだとしたら、ほんまにほんまにあの時の自分ありがとう!!
クリアしたってなんのご褒美が待っているわけでもないのに夢中になっていたあの頃。
(あー!!モンハンと桃鉄とマリオのRPGのこと書き忘れた!またいつか。)
みなさんの好きなゲームとその理由も聞かせてください。
ありがとうございます。目を閉じて味わいながらフラペチーノをいただきます。