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髙橋 直子(たかはし なおこ)

▪️ 1967年 宮城県仙台市生まれ
現在、福島県福島市に在住。
パーソナルカラーディレクターとして
活動中。


▪️ 2013年 46歳にして、
パーソナルカラーリストの資格を取得。


▪️ 2015年 更に、
18タイプパーソナルカラーリストの
資格も取得。


▪️ 2016年 「色の国家資格」とも
言われている、
難関である合格率30%の
文部科学省後援 色彩検定1級を
一発で合格。


▪️パーソナルカラーディレクターとして、
7年で800名のクライアントの診断を行う。


♦︎色の専門家として活動中

私は今でこそ、
福島市という地方にいながら、
本当のパーソナルカラーを教えられる
色の専門家として、
福島や仙台を中心に活動していますが、


ここまで辿り着くまでには、
平坦な道ではありませんでした。

実は、小学校から中学2年まで
かなり陰湿なイジメにあっていました。


それは、
昔から身体が大きかったことと、
どこか個性的で、いつも目立っていたため、
同性からかなり嫌われたり、
嫉妬されることがとても多かったんです。

1対1ではなく、数人からや集団から
仲間外れにされることがほとんどでした。

それでも、私は決して負けませんでした。


そんな私でも、
今は、人を幸せな気持ちにしたり、
オシャレを楽しんでもらうために、
色の専門家という仕事ができています。
ここに来るまでにも
様々な職業を経験してきました。




大学を卒業した後は、
地元仙台で幼稚園教諭を2年、
その後は、小学校の臨時教員を
7年程しておりました。


臨時教員時代は、
今振り返っても信じられないぐらい、
学級崩壊のクラスや様々な問題のある
クラスにばかり当たり、
40人全員が立ち歩きしたり、
イジメも勃発、物の破壊など、
1ヶ月以上まともな授業もできないような、
最悪な状態のクラスも受け持ちました。



授業中、刃物を持って暴れる。脱走される。
一日中、その子を追いかけ回って
終わったこともあります。



7年間で6つの小学校を回り、
11クラスも受け持ちましたが、

普通の平和なクラスは、
ほとんど受け持たずに終わりました(笑)



それでも、
狭き門だった教員採用試験にも
合格できないまま、
学級崩壊のクラスを受け持っているうちに、
もう充分にやり切ったという気持ちに
なってしまいました。


なぜなら、
20〜30年分のような、
貴重な経験ができたと思ったからです。


そして、
小さい頃からの夢だった先生の仕事は、
たった9年で幕を下ろしました。



ここから、私の人生は大きく変わりました。

転勤族の主人と結婚したことで、

今まで引越し7回、転勤6回を経験しました。



色々な仕事をしていましたが、
その中でも、
園芸店や生花店での仕事、
フラワーアレンジメントスクールの仕事は、
トータルで8年間続けました。
今から約10年程前のことです。


今思えは、
私が作る花束やアレンジメントは、
花の種類だけではなく、
無意識に、
色の組み合わせで見ていた気がします。




ある時、
パーソナルカラー診断を受けてきた、
というお花の先生からの話で、
初めて、パーソナルカラー診断の存在
を知りました。



興味は持ったものの、
初めて受けたのは1年後ぐらいで、
その時は、まさか自分が
パーソナルカラー診断の仕事を
始めることになるなんて、
夢にも思いませんでした。


その後も、平穏な日々を過ごしていましたが、、、


◆大好きな人をなくしたことがきっかけ

東日本大震災が起こったことで
様々な生活の変化がありましたが、
翌年の2012年春、ようやく13年振りに、
宇都宮から地元の仙台に戻ることができました。



震災後に花の仕事も辞め、
そこから仕事はしていなかったのですが、
40代後半に差し掛かり、
何か資格を取って自分でできる仕事を
始めたいと思っていました。


私には残念ながら、子供がいません。
主人がとても不規則な仕事だったので、
とにかく一人でいる時間が多かったのです。
その頃は、
何か一人で自由に動ける仕事がいいなぁと
漠然と考えていました。





そんな時!!


関東に住んでいた最愛のいとこが、
突然倒れ、
意識不明になったという知らせが入りました。
私は訳が分からず、
たたただ呆然とするしかできませんでした。


つい半年前に、
東京で会ったばかりなのに。

とにかく信じられなくて、
回復を願うだけでした。

彼女は歯科医でしたが、
長年の無理がたたって、
腰を痛めてしまい、その頃、
仕事をセーブしていました。




それでも、多才で好奇心旺盛だった彼女は、
編み物教室を開いたり、
ビーズアクセサリーを作ったり、
手相や算命学のことも詳しく学んでいました。





そして、私にも、
色々な資格のことを教えてくれたり、
パーソナルカラーについても、
話してくれたりしました。
いつ会っても、笑顔を絶やさない彼女は、
私にとって癒しの人でした。



しかし、意識不明から数日後、
一度は目を覚ましたそうですが、
その後、彼女は帰らぬ人になって
しまいました。

そこからの私は、
彼女の死をなかなか受け入れられず、
半年以上も立ち直れませんでした。
何をしても、毎日毎日、涙が溢れるばかりで、
このまま、私自身がダメになりそうでした。

◆メンターとの出会い

そんな私が、
彼女のためにも、と一念発起して
パーソナルカラーを本格的に勉強し
始めました。
そして、今までに3人の先生から学びました。




一人目の先生からは、
カラーセラピーも学びました。


ところが、色の意味を学んでいた時は
とても楽しかったのに、
いざ、本格的に資格を取ろうと思った時、
どこか違和感を覚えました。



それは、
人の心理を追求したり、
じっくり話を聞いたりして、
色からのメッセージを人に伝えるのは、
自分には向いていないと思ったのです。




それよりも、私は、
色で人に元気を与えたり、
人をHAPPYにしたりする、
パーソナルカラーの仕事の方が、
ずっと向いていると思ったのです。

その後、その先生からは、
パーソナルカラーを3ヶ月間学び、
資格も頂きました。




それから、
家族や友人、知り合いなど20人、30人と、
モニター診断をしていくうちに、
早くも1ヶ月で大きな壁に
ぶち当たってしまいました。




4シーズンカラー診断をすることで、
その4つにあてはまらない方が、
大半なことに
気付いてしまったからです!!

これは、もっと基礎から、
色のことも、パーソナルカラーのことも、
しっかり学び直さないと、
ただの趣味程度に終わってしまうと
思っただけでなく、
今のままでは、
実際にパーソナルカラーリストとしても、
全く通用しなくなってしまうと
悟ったのです。

そこから、
4シーズンカラー診断だけに
当てはめていない手法をしている、
カラーリストの先生をあちこち探しました。



そして、
4シーズンカラー診断を発展させた
手法である、
18タイプパーソナルカラー診断を
取り入れていた先生を見つけ、
まずは診断を予約してみました。




それまでの私は
4シーズンカラー診断では、
「Spring」と言われていました。
でも、クローゼットの中には、
Springと思われる色は、ほぼ皆無でした。

無理して買っていたものの、
どこか浮いた印象になるので、
何かしっくりこないと思っていたんです。



ところが!!

その先生の診断では、私はAutumnが
メインとなり、
しかもWinterも混在しているタイプ
だと判明したのです。

その瞬間、
(あっ!これだ!!)
と納得できました。




その先生には、
「老若男女、子供から大人まで、
まずは色々な人を、
最低限100人は診断をして、
自分なりの見極めの基準を
決めることですね。」

とアドバイスを受けました。
たった20人、30人程度では、
見極められるはずもないことに
気づいていなかった自分が、
とても恥ずかしくなりました。





そこから、約1年後に、
18タイプパーソナルカラーリストの
養成講座を5ヶ月間受講しました。

カラーを初めて学ぶ方お2人とご一緒
しましたが、
先生は経験者の私には、特に厳しく、
ご指導下さいました。





そうは言っても、
まだ経験年数も、3年にも満たなかった
私にとっては、

精神的にも辛く、
途中ぎっくり腰になりながらの受講
だったので、

試験にも合格できるか、
とても不安でしたが、
何とか無事に卒業できました。





晴れて、
18タイプパーソナルカラーリストの
資格を取りましたが、

その一ヶ月後には、
色の国家資格とも言われている
「色彩検定1級」に
チャレンジすると決めていました。

前の年に、
3級と2級は合格できていたものの、
1級は30%しか合格できない難関。
2次は、200枚近くあるカラーカードを
使っての実技試験。




しかも、1次試験と2次試験があり、
1次に合格できないと、2次には進めず、
1級は年に一度しかチャレンジできない
こともあって、
とても不安でした。





そうでなくても、
養成講座中に、予定外のぎっくり腰に
なってしまい、
「18タイプパーソナルカラーリスト」の
資格を取るだけで精一杯だった私。

計画していた色彩検定1級の受験勉強も、
思うように進められなかったため、
このまま受験しても、
合格する自信が無いと、
1度は諦めかけました。




3人目の先生には、
それまでも、3級2級の対策講座でも
お世話になっていたので、
思い切って受験は辞めようと思っている
旨を相談しました。




先生からは、
「無理はしてほしくないですし、
健康が1番大切ですからね。
ただ、一年に一度しか受けられない
試験ですし、
一年先のことはどうなるかわからないので、
私個人の気持ちとしては、
チャレンジしてほしいです。
直子さんなら、1ヶ月あれば、
合格できると思いますよ。」




このような内容のメッセージだったと
思います。


先生からのその言葉で、私は、
もう一度気持ちを奮い立たせ、
受験することに決めたのです。






結果は、1次はスレスレで合格。

2次は、予想外の問題がありましたが、
先生の講座のお陰で、
その年に一番難しかった問題も、
何とか答えが出せて、
結果も合格できたのです!!

18タイプパーソナルカラーリストの
資格も取れ、
難関の色彩検定1級にも、
一発で合格できたことで、

お客様からも予約が入るように
なりました。
土日もイベントや個人診断で
忙しくなりました。



◆さらなる試練(卵巣腫瘍の手術から地獄の一年半)

さあ、これからという時。

仕事中に突然の下血。

止まらないので、
救急車を呼ぼうと思ったほどです。
血の気もなくなり、
トイレで倒れそうでした。





それまで、
大きな病気らしい病気をしたことが
なかった私。


パニックで、
その日はどうやって帰宅したのか、
今も思い出すことができません。





とにかく、大至急病院に行かなければと、
不安で押しつぶされそうになりながら、
近所の婦人科へ駆け込みました。

結果は、あと一歩遅ければ、
卵巣ガンになっていたとの結果でした。



その先生には、
「何でこんなになるまで来なかったんだ!!
卵巣が9センチ近くも腫れ上がっているし、
このまま破裂してたら、死んじゃうぞ!!」

と思いっきり怒られました。




実は、長年生理痛には悩まされ、

生理の期間もいつも、
二週間は当たり前でしたが、
みんなもこんなものなのかと勝手に
思い込んでいたので、
特に病院に行くなど、
全く考えていませんでした。

先生からの言葉にも、後悔先に立たず。





そこから約1ヶ月後に、
紹介された病院で手術を受けました。
内視鏡手術なので、
1時間程度で終わるだろうという
見解でした。




ところが!!
実際は3時間もかかり、
病室に戻れたのも夜になってからでした。


かなり難易度の高い手術だったことが、
後になって分かりました。



そして、
退院しても、ずっと調子が悪く、
家事どころか歩くのさえやっと。

一日中、寝て暮らす日が何ヶ月も
続きました。




調子の良い日は、外に出たり、
車を運転したり、
何の問題もなく動けるのです。


しかし翌日には、
手術したところに激痛が走り、
寝たきりに。



私は、
このまま寝たきりの生活で
終わってしまうのだろうかと思いました。

入院中に知り合った友達は、
みんな順調に回復したのに、
何故自分だけが、
こんな目に遭うんだろうかと思いました。



病院にも通い続けましたが、

大きな原因もわからないまま、
結局、手術してから
1年半近くもこんな日が続きました。





◆全てを乗り越えて変わったこと

ようやく、
完全に復活し始めたのは、
2017年の秋頃からでした。

それまでの痛みや苦しみは
何だったのだろうと思うほど、
身体が動くようになりました。






昔から頑丈で、
53年間インフルエンザにもかかった
ことがない私は、
どこか健康に対して過信しているところが
今でもあります。



「直子ちゃんは、
もっと自分のことを
大切にした方がいいよ」

これは、
大好きだったひとつ歳下のいとこから、
亡くなる半年前に言われた言葉です。



今思えば、
根っからのおせっかいで、
つい周りのことを
優先してしまいがちな私の事を心配して、
言ってくれた言葉だったのだと思います。





でも、当時の私は、
その事をあまり気にも留めていなくて、
むしろ、
(それが私の性格なんだから、
仕方ないよなぁ。)
ぐらいにしか思っていませんでした。




その後、人の外見だけではなく、
心にも触れる機会が多い、
パーソナルカラーディレクターという
仕事をしていくうちに、
自分を大切にしてこそ、
本当に人に寄り添う事が
できるという事に、ようやく気付きました。





今、こうして、7年の時間を経て、
彼女からのメッセージを、
時々思い返しています。



まさかあの日が、 
彼女に会う最後になるとは
思ってもみませんでした。



健康がいかに大切だということを
彼女が教えてくれたんだと思います。

◆パーソナルカラーディレクター
として

今、ファッションの世界は、
あちこちで情報が溢れています。



私は以前から、
雑誌のファッションやコスメが
先行している世の中に違和感を感じていて、
もう少し、普通の感覚で、
誰もが気軽にオシャレを楽しめないか、
ずっと考えてきました。




例えば、パーソナルカラーが
Springだからと言って、
今流行りのコスメを、
「Springの方は、このコスメがお勧めです!!」
と一斉に配信してしまうのは、
ちょっと違うと思うんですよね。



人の色素は、千差万別です。
そんなに簡単に、
大量生産的なアドバイスは、
本当にお客様が求めているアドバイス
ではないと思うからです。



また、雑誌のモデルさんは、
スタイルが良い方ばかりなので、
一般の私たちには、
どこか馴染まないんですよね。



プチプラで高見えするコーデも、
今は流行りですが、
それはそれ相応でしかないと
私は思うんです。





かと言って、ブランド物など、
ものすごく高級なものは、
生活スタイルにも合わないし
……と、お悩みの方は、
きっと沢山いらっしゃると思います。





私は、女性がもっと気軽に、
小粋にオシャレを楽しめて、
素敵に歳を重ねるためのお手伝いが、
少しでも出来たらと思っています。



私のミッションは、
普通の一般目線で、
誰でも気軽にオシャレを楽しめる方を、
1人でも多く増やすことです。




そして、もっと多くの方に、
自分が魅力的だということに
気づいて欲しいのです。




これからも、
人との出逢いを大切に、
パーソナルカラーディレクターとして、
私らしく歩み続けていきたいと思います。

大変長くなりましたが、
ここまでお付き合い頂きまして、
本当にありがとうございました。
心より感謝致します。

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