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#2陸上への思いと競技復帰までの軌跡

#1自己紹介の続きと競技復帰に至るまで



 ○  #1自己紹介の続きです。


さて、前回の記事で、慢性疼痛の痛みに苦しみながらも、順天堂大学の花澤賢人さんのドキュメンタリーTVを観て、「走れなくても陸上がやりたい」との思いが湧き、散歩・競歩に取り組んでいたところまで書きました。

その頃に、私の恩人と(あくまで勝手に思っている)も言える、創価大学の嶋津雄大さんや、玉川大学の山田桃愛さんの存在をネットで知りました。「自分と同年代の方が病という逆境にあっても競技を続けている❗️」ととても刺激を受け、競歩の練習に熱が入りました。

2023年に年が改まるころには、競歩の練習のウォーミングアップで、痛みを伴いますが500mほどとてもゆっくりではありますが走ることもできていて、陸上への復帰への兆しが見えたような気がして少し嬉しかったです。
それで、走る競技種目には参加できなくても陸上競技の1つである競歩がやりたいと思い、「2023年度は陸連登録をして陸上を再開しよう」と決めました。

そして2日に1回くらいのペースで8〜12kmほどを歩くことを習慣にしていて、2023年度の「5000m競歩」の出場・完歩を目標にしていました。

関係ないですが、競歩のフォームで歩いていると、近所や通行人から奇怪な目で見られることもあり少し恥ずかしかったです。もう慣れましたが。

 ○葛藤と恐怖、不安

時系列的に前後してしまいますが、
とは言え、健常者ではなく足を中心に身体に痛みのある私が陸上の大会に出ていいのか、健常者であることが前提で迷惑ではないのか、嫌な思いをするのではないのかという葛藤もありました。

さらに、ここが重要なのですが、陸上を再開する不安要素として、慢性疼痛の症状が悪化していたことがありました。
具体的には、2022年の1月中旬に、早歩きをしていたら右ふくらはぎ内側に激痛のズキズキする疼痛が出て3ヶ月ほど休み(その間に77kg→64kgまでダイエットした)、さらには同年9月末に、左足底裏に硬めの痛みが生じました(当初、足底腱膜炎かと疑い体外衝撃波も受けるも治らず。)。
これらは散歩や競歩を本格的に始める以前は存在しなかった痛みで、とても肉体的にも精神的にも痛く、苦しく、怖く、大いに不安になり精神も不安定になりました。
それでも、YouTubeや競歩ブログで動画をを見て、自分はやはりタータンに戻りたいと言う思いが怖さや不安に勝り、3月に2023年度の陸連登録を完了しました。ちなみに私の所属は「埼玉陸協」です。

さて、大会の年間の予定は前年度の予定をみて大体察しがついていたので、23年5月28日に熊谷で開催される長距離・跳躍・投擲記録会の「5000m競歩」にエントリーしようと決めました。

○またも新たな痛み、折れそうになる心

あとは練習をして、エントリー期間が来たら申し込むだけとなったのですが、陸連登録後の3月30日にまたも不幸が私を襲います。
その日の午後に右足がこむら返りして、その痛みが治らないのです。
最初は数日経てば治ると思っていましたが、何日経ってもなおらず、「やはり俺に陸上は無理なのか
と絶望してしまいました。
その時は精神も破壊されて、気が狂ったのか丁度申し込み期間中だった、5月5日に近隣の越谷で開催される「800m 」にエントリーしました。
もうどうせ歩きでも走りでも陸上ができないなら、好きな種目にエントリーしてやる!との頭のおかしい選択でした。

ここからは「2023年度」の内容になりますので、短いですが記事も改めようと思います。
読んで頂き、ありがとうございました。



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