#2023年度の始まりと競技復帰へ
さて、前回の記事→#2自己紹介|川島直樹@闘病中の市民ランナー (note.com)
で、2023年度になる直前に右足に新たな痛みが出てしまったことでヤケクソになり、5月5日の越谷記録会800mにエントリーしたことまで書きました。
〇4月中の過ごし方
4月前半
また新たな痛みが出てしまったので、肉体的にも精神的にも気が狂いそうになりましたが、とにかく安静にしていました。この時点で、身体全体にランダムに発生する慢性疼痛(痛い部位が移動する疼痛)に加え、2020年9月下旬に発生した①「左足ふくらはぎの動かない疼痛」、②2022年1月中旬に発生した「右ふくらはぎ内側の痛み右足の新たな痛み」、③2022年9月下旬に発生した「左足裏の鈍い痛み」、そして④2023年3月30日にこむら返りがきっかけで発生した「右もも辺りの痛み」の、4か所の「痛い部位が移動しない疼痛・鈍痛」がありました。
4月後半
#1自己紹介の#1自己紹介|川島直樹@闘病中の市民ランナー (note.com)
記事でも書きましたが、「痛みが脳の誤作動ならば、その部位に機能的な異常はなく、運動しても大丈夫なはず」という仮説を信じて、近所を少しだけ走ってみました。
結果は痛み・疼痛は出るが、なんとか一応走れるという感触でした。
その後は痛みに苦しみながらも、数日に1回くらい走ったり早歩き(競歩)をしていました。
これならもしかしたら800mも完走できるのでは…という期待と、安静時・運動時問わず生じる疼痛に苦しむというやり場のない怒り・苦しみのはざまにいる感じでした。
〇5月以降の過ごし方と、レース当日
レース前日まで
世間はGWの中、4月後半と同じく3日に1回くらいの頻度で3~5kmほどを歩いたり、走っていました。基本ゆっくりで、1度だけ3kmを4'20"/kmで走ったことを今でも覚えています。9割くらいの出力だったと思いますが、痛みももちろんですが、心肺がとてもキツかったです。
また、やはり健常者の人と同じように競技できるのか・ゴールできるのかという不安がありました。
陸上競技から離れて7年くらい経っていたので、トラックレースの流れも完全に失念しており、幸い私がエントリーした記録会は2日間にわたって開催されていたので、前日の5月4日にも会場に赴いて、役員の方に受付やアップの場所、800mのブレイクラインについてや、招集の流れなどを教えて頂きました。
また、そのとき実際にレースを観戦して、気分が高揚したといいますか、自分の本能が蘇ったような気がしました。
〇レース当日
レースの時間まで
アップは野球場が解放されていたので、10分ほどゆっくりjogを行いました。それから体操や動的ストレッチをしてから、怖かったですが1本だけ流しをしました。今この空間の中で身体に痛みがあるのは自分だけだろうなと考えていました。それからトイレや、ユニフォームに着替えを済ませて、招集所に向かいました。
私は12組中11組目だったので、女子の800mや男子の最初の方の組の時間に、バックストレートまで流しがてら、ブレイクラインに黄色い印?がおかれているか確認していました。後から考えると、2レーンだったのでほぼ関係ありませんが(笑)。
レースシューズ
レースシューズは競歩用に購入した「ソーティマジックRP6」を使用しました。とても軽く、Asicsなのでフィット感がめちゃくちゃいいです。私は足の左右差が大きくシューズのサイズ選択でいつも悩むのですが、Asicsは靴紐が長く、踵が抜けない許容範囲まで調整できます。
私の組付近では、周りはエフォートとかエックスファーストなどasicsやMIZUNOの兼用スパイクの子が多かったです。
私が競技を離れている間に世界・日本陸連のシューズの厚さ規定が入り、そのせいか走力関係なくスパイクの選手が多かったです。私の時代は、1500m5分切りまでは「ターサージール」。それどころか、学校指定の体育の運動靴で出たときもあったんですけどね。懐かしいです。
レース展開
私はやはり病人で、走り始めたのも4月からなので、「11組の選手入ってください~」という役員の先生の声がとても不思議に感じました。なんというか、やっと実感が涌いた感じでした。
2レーンに入って、流しを一本して、「On your mark」で少しかがんで、いよいよスタート。
号砲が鳴り、走り出す。集団がバラけ、私は完走できるかも危うい心理状態だったので、隊列の最後尾に付く。1周目通過は78秒。ここで少し余裕があったので、残り300m辺りで疲れてきた子どもたちを2人抜いて、抜き返されないよう逃げるように切り替えて前を追いかけ、全力疾走。
タイマーは先頭で止まってしまったので、頭の中で「2分30、31、32」とカウントしながらフィニッシュラインを駆け抜けました。
タイムは、2'37"87。
完走することができました!
身体に様々な痛みを抱えている自分が、2周とはいえ「走る種目」を、競技会という公の舞台でゴールでき、嬉しい、やった、信じられないなどさまざまな感情が湧きあがりました。
実に2015年10月に高校1年で5000mを走って以来の、約7年半ぶりのトラックレースでした。
レース前もゴール後もいつもの疼痛などはあり、足などの痛みは強くなってしまいましたが、完走できたことは本当にうれしく、楽しかったです。
この経験が自信になり、競歩だけでなく、走る種目も完走したいと思うようになりました。
次のレースは#自己紹介2で記した通り、熊谷で5月28日に行われる5000m競歩でした。
今回はここまでにします。
読んで頂き、ありがとうございました。