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【展覧会レビュー】増田信吾+大坪克亘展「それは本当に必要か。」

過剰な社会へ向けた問い

 増田信吾と大坪克亘は、日本で活動する若手建築家ユニットである。
彼らの展覧会はもっとも切実な問いから始まっていた。「それは本当に必要か。」。それは、彼らが設計の過程で繰り返し自問する言葉でもあるそうだ。3階の展示室の壁にも、各プロジェクトに対して彼らが抱いた問い、または仮説がすべて疑問形の文章で記されていた。
それを見たとき、この展覧会は彼らの思考そのものを展示しているのだと気づかされた。彼らの思考は3つのプロセスに分けて展示されていた。

Attitude:[姿勢]施主のために、敷地のためには何が最も必要とされているか?そもそも思考する価値はどこにあるのか?
Adaptation:[適応]色々なことがうまく回りだす転換点はどこにあるか?
Appearance:[様相]できたものによって周辺にどう影響するのか?

この三種類の問いを繰り返し自問ながら設計をすることで、最終的に立ち現れてくる建築は、無駄なものを一切そぎ落とされたようにシンプルでありながら、場の価値を最大限に引き出した豊かな空間をつくることができる。最大公約数的な欲求で大規模な開発がなされる現代の都市のありようを批評するような建築であるといえる。

 3階の展示室に十分に余白を残して展示されている大きな模型は、彼らの仮説を証明するために最小限必要な部位だけに絞られていた。アーティストの世界観を表現するインスタレーション型の展示や、”手の動き”としての設計プロセスを提示する展示とは大きく異なり、綿密な思考とその答えだけに限定して展示することで、展示の余白に訪問者の思考が自由に介入できるようになっていた。どのプロジェクトを見ても、壁に書いてある問いに対する自分の答えを頭に思い浮かべてしまい、模型でつくられていない建築の部分や周辺環境を勝手に想像してしまう。きっと彼らは展示方法を考えるにあたっても、建築物のプロジェクトと同じように「それは本当に必要か。」という自問を繰り返してシンプルな特殊解を導き出したのだろう。

ポストパンデミック時代における建築の主題

 増田信吾+大坪克亘の建築は、敷地や施主と徹底的に向き合って設計が進む。逆に言えば、それ以外のことには一切言及していないともいえる。例えば、東日本大震災以降からコミュニティの重要性が叫ばれ、人がとにかく集まることを是とするような設計が増えた。また、建築竣工後のマネジメントを考慮に入れたり、連作的に建築を作ることで徐々に都市の変化を促す手法であったりと、建築に時間を取り入れたような設計も多くみられるようになった。このような潮流に対して、増田信吾+大坪克亘の建築は一見距離をとっているように思われる。集まること、時間によって変化することを建築の主題としておらず、むしろ社会にどのような変化があっても必要とされ続けるような、言い換えれば必要・不必要の議論にすら登らないような空間の骨格を設計しているといえる。ここまで書くと彼らの作品は、装飾を捨て去り人間のための強い空間を作ることだけを志向していた近代建築のような性質が強いことに気づく。幾何学的な美学を中心に考えられていた近代建築と異なっている点は、すべてのプロジェクトが敷地や施主に対する特殊解に到達しているという点だろう。

 ポストパンデミック時代の建築を考えるとき、人が集まること、という主題はもはや世間の需要からズレているに思われる。もちろん人が集まることの価値は変わらないが、人が離散することも考慮に入れて建築を考えねばならなくなるだろう。その時建築家は、増田信吾+大坪克亘の建築のように、人が集合しても離散しても、そのすべてを許容するような空間の骨格を設計するのか、人の集合・離散に空間が追従するような動く空間(可動産建築のような)を設計するのかに分かれるのではないだろうか。このように考えてみれば、彼らの建築は近代建築のような強い構成を持つがゆえに、ポストパンデミック時代の建築としても機能することができ、現代建築を再び近代へゆり戻すような力を持っているのではないだろうか。
 


増田信吾+大坪克亘展「それは本当に必要か。」
場所:TOTOギャラリー・間
期間:2020/01/16-2020/03/22

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