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30年漕ぎ続ける。

早いもんだ。30年。
僕が初めてパドルを本格的に握ったのは16歳の春だった。高校に入学してカヌー部と出逢ってからだった。
その当時僕の事を見出してくれた顧問の春園先生には感謝しかない。ありがとうございました。
今の僕が居る事も(在る事)当時の時間があり、いまにつながっているからです。
人生の3分の2をパドルと共に歩んできたことになる。すでに体の一部のようになっており、パドルを握れば身体が反応するという感じ。
しばらくパドリングしてなくても、パドルできちゃう感じ。
あらゆるパドリングスポーツをある程度まではやって来た。
人生も文字通り漕ぎ続けてきた。
どんな状況でも漕ぐことをやめなかった。
漕ぐという事はぼくにとってあまりにも日常で、パドルを持って、電車に乗ったり、飛行機に乗ったり、車に積んだり、常にパドルを持ってお出かけしていた感じだった。
フラットウォーター(静水)、ショア、オフショア、クロッシング…などなど、フィールドも異なる。握っているモノもパドル、櫂(カイ)、エイクーなど手のひらの延長のような道具を駆使してきた。
漕ぐことというのは僕にとってはどんなことなのか、改めて考えてみた。
結論から言うと、僕にとっては「漕ぐ」という行為は「祈り」に近いかもしれない。
多くの人を乗せたり、連れて行く時、僕はこんな風に願っている。
「みんなが無事に楽しく過ごせますように」・「心が揺さぶられるような体験を!」・「みんなが安全に陸に帰ってこれますように」・「たくさんの笑顔をがみれますように」などなど、願いのような、祈りのような。
沢山の事を想い、考えながら、パドリングしているんですね。
レーシングカヤックをしていた時の昔の僕は4人乗りに乗っていた時には、バチっとコンマ1秒でもずれずに揃えて漕ぐことが求められたので、少しタイミングがずれたり、遅れたり、早かったりすると、そればっかり目に入って、ストレスを抱えてします事が多かったです。すなわち、「ない」事に目がとらわれていたし、自分のコトも観れていなかった。
しかし、30年のパドリング人生はやはり大きな変化を僕に与えているのですね。今はずれていたとしても、どうやったらそれをカバーできるのか、はたまた、自分がずれているのかも…なんて、しかも大人数で乗るアウトリガーカヌーなんかだと、6人のクルーが揃っているという事が「ありがたい」と感じている自分がいます。
1人としてかけず、6人が居る事で、船を進める事ができる。
それぞれの人を想って漕ぐことが出来ている感じです。
昔は乗る舟(艇)があってあたりまえ。
今は、乗る舟(艇)があってよかった。
昔は、乗る場所(練習する場所)がきたなーい。つめたーい。
今は、乗る場所があってありがたい。海がきれいでありがたい。湖の水があってありがたい…。
とか。本当に意識が変わったように感じます。
また、30年という節目に、ぼくの夢の一つでもあった、「指導者養成コース」アウトドアエデュケーターの第1期生を募る事ができた。これもまた本当に嬉しいことです。
このコースに関わってくれた方すべて感謝です。
ありがとう。

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カヤック
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