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宇宙はあなたをゆるしている。

先日、三十代半ばのTさん(♀)から相談を受けた。Tさんは昔からの知り合いで、カフェで雑談をしていた時、どういうわけか結婚の話になった。ちなみにTさんは独身である。そして僕も独身である。
 
Tさんは僕に結婚しようと思わないのか?と訊ね、僕はまだその予定はない、と答えた。

それからTさんは、「どうやったら結婚できると思う?」と訊ねた。

僕は答えに窮した。結婚をしたことのない人間にそんなことを訊くのはお門違いというものだ。でも、結婚にかかわらず、何かを強く求めている間は、それを手に入れることはできないのではないか、と答えさせてもらった。Tさんはそれが腑に落ちていないようだった。
「何か行動はしているの?」
「うーん…行動って?」
「ほら、マッチングアプリに登録するとか、合コンに行くとか」
Tさんは首を横にふった。
「よく分からないけれど、結婚したいひとって、そういう行動を積極的にするものじゃないかな?」
Tさんは黙って頷いた。

それから、最近、動物愛護に関係したボランティアをやりはじめていて、婚活のための時間を取れないのだと彼女が答えて僕は合点がいった。

「ねえ、ほんとうは結婚したくないんじゃないかな?」

Tさんはちょっと驚いた。でも、そうだ。もしほんとうに結婚したいのなら、お見合いでも何でもやる。でもTさんは何もしていないのだ。
それを伝えると、Tさんは正直に話した。

家族とか親戚とか職場のひとから独身であることを責められるのだ、と。
「今はひとりでも良いかもしれないけれど、年を取ったら、寂しくなるよ」とも言われる、と嘆いていた。

でも、今はだいすきな動物を守ることに携わりたい、と本音を言ってくれた。
僕はそう言われて、実家の向かいに住んでいるKさんという中年の独身女性のことを思い出した。Kさんも動物(特に猫)が大好きで、動物に好かれる優しい人物なのだけれど、ひとを避ける傾向にある。

Kさんは家の前に野良猫のための小屋を自作して、そこで猫たちを休ませている。そして、そこに来る野良猫を近隣住民が毎日撫でに来て、地域の憩いの場を形成している。そのKさんとTさんは似ていると思った。

「でも、まったく結婚をしたなくないわけではないの」
「……たぶんタイミングなのだと思う」

僕はTさんがそのボランティア活動を楽しくやっている間に、自然と誰か良いひとに巡り合うのではないか、と僭越ながらお伝えした。あと、さらに僭越ながら、Tさんは音楽の趣味があるし、動物のことも好きなのだから、独身のまま年を取っても動物といっしょに暮すことだってできるから寂しくないかもしれない、と向かいのKさんのことを思いながらお伝えした。

結局、Tさんは僕と話す前と後で、表向きは何も変わらなかった。ただ、自分がやっていることをポジティブにやるように心が変わっただけだ。

こんなことを言うと、あれだけれど、結婚は縁だと思う。いや、人生で起こる出会いは全て縁ではないだろうか?もっと言うと、自分の意志で結婚なんてできるわけがない、とも思う。

出会いというのは「取りなされる」ものであり、「むすばれる」ものなのだ。きっとTさんは心の深いところでそのことを分かっていて、それを僕に肯定してもらいたかったのだ、と思う。だからこそマッチング・アプリや合コンなどに興味がなく積極的に行動していなかったのだ。

教育や慣習から植えつけられた思い込みではなく、ほんとうにやりたいことと言うのは、Tさんのように、もう行動に移しているのではないだろうか。

でも多くのひとは、ほんとうにやりたいことをやっていることに罪悪感(Tさんの場合は、周りから言われる婚活の変わりに動物たちのお世話をすること。)のようなものがあり、それを誰かに肯定してもらいたいのかもしれない。

でも、誰かが誰かのやりたいことを止めることはできないのだ。それに宇宙があなたにそれをやることをゆるしているからこそ、あなたはそれを今やっているのだと思う。

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