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自分に「イエス!」と言うこと。

読者の方からご要望がありましたので、明日の14時から瞑想会を開催する運びとなりました。

ところで、私は最近、「瞑想とは何か?」ということを考えています。

そもそもなぜ、ひとは瞑想や呼吸法を試みるのでしょうか?

悟りたいからでしょうか?

生きることがつらいから、思考のない状態をつくりだして、楽になりたい、というひともいます。

理由は色々あると思いますが、結局のところ、その全てが、「今の状態ではない別の何か」、「もっと良い状況に到達する」ための二元的な試みだと思うのです。

そして、私にとっての瞑想とは──人生に「イエス!」ということです。

全てに対して肯くことです

全面的な受容──。

自分の身体的な弱さ、ひとと同じように生きられない惨めさ、理不尽な運命。それらを静かに受け容れるということ。それが私にとっての瞑想です。

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私は以前から書いているのですが、20代の頃、「絶対に〇〇にならなければいけない!」という強迫観念に突き動かされていました。俳優や作家になりたい、と思っていたのです。

ですが、病気や人生のタイミングが重なって、全て諦めることになりました。

私は全てを諦めた日のことを思い出します──

世界がとても静かだったんです。安らかさに満ちていました。

それまで気にならなかった街路樹の緑が生き生きとしていました。さらには空の青さに魅入り、雀の鳴き声がハートにタッチしていたのです。

ああ、そうか。ほんとうの幸せというのは、願望や夢が叶うことではない、この静寂だと思ったものです。

静寂とは、条件付けではない肯定。ゆるされているという感覚です。

願望や夢を持っていた頃の私は、自分が想定している状態に到達していないせいで、周りに優しくすることができませんでした。

一方で、自分の全てを受け容れられると、世界が今までとちがって見えはじめます。

まず、自分をゆるすことから始めること。

以前、友人に瞑想をやっていることを告げると、「そんなことしていないで、ちゃんと行動して、自分の人生に向き合え!」と言われたことがあります。

私は反論しませんでした。なぜなら、それは当たり前の反応だからです。ひとは自分の中にある怒りを家族や友人などの身近なひとに投影します。

怒りは自分をゆるしていないから起こるのです。

この前、お話した方が「あなたが黙っている間、私はゆるされている感じがするんです」とおっしゃっていました。

静寂と言うのは、全面的な肯定であり、ゆるし、です。

もし、あなたが今、何かの問題を抱えているのだとしたら、一度、全てを受け容れてください。

確かに瞑想や呼吸法で改善することはできるでしょう。

セラピーに通えば、そのセラピストが解決してくれるかもしれません。

でも、テクニックに頼る前に、いったん、全てを受け容れてください。

テクニックを用いて、自分を常に改善しようとする努力には厳しさがあります。努力には愛がないんです。

瞑想や呼吸法を用いて、今よりも「改善された自分」、「進歩した自分」になったとしても、「あるがままの自分」が置いてきぼりになってしまいます。

本来の自分が否定された状態になるのです。

きっとあなたはこう感じるはずです。

「身体は健康になった。ポジティブに物事を捉えられるようになった。でも、何かが足りない。何かが……」

それは「ありのままの自分」をゆるしていないからなんです。

自分に「イエス!」ということは自分を愛するということです。

そして、自分をゆるすということは、静寂を楽しむということ。静寂ともっと親しむことです。

リラックスして、ひとり──ただひとりでそこに佇んでください。誰かから教えられた呼吸法や瞑想をするのではなく、

ただ、自分をゆるすように──内側でくつろぐことです。すると、自分だけのオリジナルの呼吸がやってきます。

すると、世界はとても優しいということに気づきます。

世界はあなたの内側の反映です。あなたが自分をゆるすことができれば、世界があなたに微笑みかけます。

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明日、14時から、瞑想会(無料)をひらきます。参加を希望される方はこちらまで。↓

naokifloweroftheheart@gmail.com

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