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あなたのすぐそばで、あなたを包んでいるもの

 気分が上がって、大好きな事をするよりも、これをやると心が落ち着く、という何かを見つけてみる。

 やっていてテンションが上がる、「チョー楽しい!」と思うことよりも、心が静かになって、呼吸が深く、長くなるようなものが良いと思う。だからひとりでできるものに限定される。

 僕の場合で言えば、文章を書くこと、本を読むこと、あるいは、緑豊かな公園を歩くこと、静かにウクレレを演奏すること。

 ある人にとっては縫い物であったり、料理や掃除かもしれない。

 興奮するようなものではなく、自分の思考が働かなくても、勝手に手が動くようなものをする時間をつくってみる。

 心が静かになっている時は「今ここ」にいる状態なので、その場にグラウンディングしているのと同じ。

 思考が働かなくなると、どうなるだろう?

 きっと、ありのままの空間(目の前の壁やパソコンの画面やフローリングの木目)が現れる。

 そして、とても静かな「在る」という感覚が出てくる。

 I am that I am (わたしは在りて在るもの)という言葉の感覚がつかめる。

 みんな自分の本体を心だと思っている。

 誰かのことをうらやましいと思ったり、妬んだり、恨んだり、あるいは、自分を否定してみたり……。そのように、コロコロと変化する心が自分ではなくて、

 ほんとうは今ここに「在る」という意識がほんとうの自分

 この感覚をつかむには、何度も言うけれど、静かにしていること。

 思考がはたらかない時、静かに呼吸していると、とても精妙な「じーん」という感覚が出てくる

 これを見つけ出して、この中になるべくいること。

 おそらく、このnoteを読んでいる方々は繊細なひとが多いからきっと掴める。

 僕たちを包んでいるこの「じーん」という感覚はずっとこの宇宙に在るもの。

 永遠に在る。

 僕たちが生まれる前、そして、死んだ後にも在る。

 だからこの静かな「在る」という感覚を見つけ出して、そのなかに溶け去ったひとは、自分はほんとうは死なないんだ、ということが分かる。

 僕がこの感覚を掴めるようになったのは、三年ほど前。

 それから少しずつ、この思考のない、静けさの中にいることができるようになってきた。これは練習すれば誰でも見つけ出すことができる。

 ピアノを弾くことや、外国語を習得することよりも簡単だと思う。

 心(自我)が外側の出来事(病気や、人間関係のあれこれ、経済的な問題)に巻き込まれ、混乱して、もう消えてしまいたい、と思っていた時でさえ、ずっとそこに在ったもの。

 それを探してください。

 あなたのすぐそばにあります。それはあなたを包んでいます。

 このずっと在る意識のことをひとは神と言ったり、真我と言ったりする。

 この意識のなかに今傷ついている心を沈ませること。

 そのために、一番簡単なのは、心が静かになる時間を持つこと。

 心が静かになった瞬間を見逃さないでほしいです。

 そして、その時の感覚を覚えておくこと。何回でもその場所に帰ってこれるように。

 いずれ何か特定の行動を取らなくても、すぐにその意識のなかに入り込むことができるようになる。

 そうすればもうあなたは大丈夫です。

 外側の出来事(素敵なパートナーや多くのお金など)は確かに大事かもしれませんが、それよりも、この「在る」という意識は最強です。

 たとえあなたの自我である心と身体に何が起きてきても、ほんとうの自分である(意識、あるいは真我)は死なない存在なんだ、と分かるからです。

 「在る」という意識から心や身体を観ることができるようになると、人生を客観的に観れるようになるので生きるのが楽になり起こってくる出来事に巻き込まれなくなります。

 たとえあなたが周りと比べて何か持っていなかったり、劣っていると感じていたとしても、「わたしはここに在るんだから、大丈夫」と思えます。

 実際、そうです。外側のものを追いかけて、それが手に入ったとしても、それはずっとその人のそばに在るわけではありません。いずれ消えてなくなります。

 でも、この「在る」という意識はずっとそこにあります。

 それさえ掴めれば、ほんとうの自分は傷つかず、変化してゆく自分の人生を映画のように眺めることができるようになります。

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 追記。

 目を閉じて、胸(ハート)に手を当てて、静かにしていてください。そして、よく耳を澄ませ、「じーん」という音か感覚がでてきたらなるべくそのなかにいること。

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