ただひとり在ること─愛のエネルギーと共にいる。
もし、ひとりぼっちであることに慣れると、自然と意識は内側に向かう。
意識が内側に向かうと、エネルギーが内側に集まってくる。
そして、ヨガや瞑想、座禅などをしていれば、生命エネルギーの上昇が自然に起こる。そのエネルギーは「クンダリーニ」とか「シャクティ」と呼ばれる。
第一チャクラに眠っているこのエネルギーがクラウン・チャクラである第七チャクラに上昇すると、高い意識に目覚める。
アムリタ──甘露と呼ばれる恩寵が降り注ぎ、永遠の至福を得る。
このエネルギーはそれ本来の性質が至福であり、愛そのものなのだ。
そのエネルギーに包まれれば、特別なことなんて起こらなくても、常に幸福を感じられるようになる。
そして、頭頂部に上昇したこのエネルギーが下に向けて落ちると──それはハートやハラ(丹田)のセンターに集まる。
もしハートにエネルギーがとどまることになれば、「キリスト意識」と呼ばれる宇宙的な全体愛を体験することになり、
ハラに戻れば、この現象の世界に何が起こったとしても、それに影響を受けず、ブッダのように静かに、ただそこにいられる。
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ひとの人生に干渉することはできない。
でも、時々、ひとびとが外側の出来事に一喜一憂し、エネルギーを漏らしているのを見ると、悲しく思うことがある。
人間の幸福と言うのは、外側の出来事とまったく関係がない。
あなたは観客として、スクリーンに映る映像を観てはいるけれど、本当はそれを体験しているのではないと同じように。
たとえ、あなたがひとりぼっちであっても──お金がなかったとしても──誰かからいわれのない非難を受けていたとしても、あなたには見方がいる。
それはエネルギーだ。
そのエネルギーは古代から、時に龍や蛇にたとえられてきた。
あなたのなかには神秘的な──とても、とても、長い間忘れられてきたエネルギーがある。
そのエネルギーを外側に漏らすことをせず、内側に集めれば、それはあなたを満たしてくれる。
エネルギーを外側に漏らす、というのは、たとえば、外側に映るドラマにのめり込んで、怒ったり、不安や恐怖を感じたりすることだ。
あるひとりの男が繁華街の交差点を歩いていたとする。
彼はすれちがう美しい女性たちを見て、「ああ、何とか自分のものにしたい」と思う。
その時、彼の身体のなかで何が起こっているだろうか?
エネルギーが漏れているのだ。
もし、そのエネルギーを漏らさず、内側にとっておけば、そのひとは芸術家になれるかもしれないし、ブッダのように悟りをひらくかもしれない。
何度も言うけれど、今この瞬間、幸せを感じるかどうかというのは、外側に映る出来事とは何の関係もない。
恋人にフラれようが、追い求めていた夢が叶わなかろうが、関係がないのだ。
苦しみの原因というのは、ただエネルギーがねむっているだけのことなのだ。エネルギーが上昇し、各エネルギー・センターがオープンになること。
神秘的なエネルギーがあなたのなかにねむっている。
思考であれこれ計画を立てることを止めれば、ハートの衝動として、その母なるエネルギーに導いてもらえるようになる。
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ブッダが東京の繁華街を歩いていたとする。
でも、ブッダは普通の男のように、すれちがう美女たちを見ても、彼女たちを「美しい」とか「醜い」とかいちいち判断しない。
ブッダの第三の目は開いていた。だから彼は世界をただ見つめることができたのだ。
もし、あなたが世界を左右の目のみで見るのなら、あなたは世界に飲み込まれてしまう。
世界をただ見つめることができるようになれば、エネルギーをもう二度と外側に漏らすことはない。そして、ブッダのように、特別なことなんて何も起こらなくても、至福を感じられるようになる。
「ただひとり」であなたは幸せだ。
内なるエネルギーが目覚めれば、他人を必要としなくなる。ただ内側のエネルギーと無邪気に戯れて、何てことの無い日常がダンスをするように、楽しく感じる。
「ただひとりで在る」ことができるようになる。
高級レストランに行く必要もなければ、リゾート地に行く必要もない。恋人もいらない。
なぜなら内側のエネルギーは外側にある何よりも愛に溢れ、つよい力を持っているから。
やがて、ハートに集まったそのエネルギーが内側を越えて、外側にひろがり、世界を──地球全体を──宇宙のすべてを包み込むほどひろがってゆく。
その時、自分は宇宙でただひとりの存在だということが体感として分かるようになる。
ワンネスの本当の意味を知る。
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