抱きしめること。受け入れること。
昨日、オンラインで瞑想会をひらきました。
瞑想会の最後にひとりの女性から、
「瞑想が終わってすぐ、苦しい記憶が蘇ってきてしまいました」という言葉を頂きました。
そこで今日は「感情を癒すこと」について書きます。
私は普段、思考や感情がやってきたとしても、それに気づいてから、ただ見つめています。
言い換えると、感情を抱きしめ、味わっている、と言う感じです。
どんな感情がやってきても、それを受け入れてあげる。
すると、やがて、感情を引き起こした出来事と距離ができはじめます。
言い換えると「癒える」と言っても良いかもしれません。
実は、瞑想をしていて、身体の緊張がほぐれると、抑圧していた──見て見ぬふりをしていた感情があらわになることがあるのです。
そうした感情に気づけると言うのはある意味で大きな転換期がやってきていると言えるかもしれません。
そして、その感情はあなたに気づいてもらうことを待っていたのかもしれません。
しっかり者のひとが「他人に甘えられない、ちゃんとしていないといけない」という強い観念を持っているとします。
そういう方は他人に頼れずに、バリバリ働いていて、休むことができなかったりします。
瞑想をして、自分を俯瞰できるようになると、「そっか休んでも良いんだ」と思えるようになるかもしれません。
ですが、自分の観念を握りしめていると、心身はいずれ「もういい加減に休みたい!」と悲鳴をあげます。
そして、無理やり、病気や事故などを引き起こして強制的に内側に向き合わなければいけない事態になるのです。
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この半年ほど、私はzoom対話を通して、色々なひとと対話しました。
そして、興味深いことに、精神世界(悟り)の探求をされている方と対話を深めてゆくと、ほんとうに求めていることは、「結婚したいんです」とか「パートナーが欲しいんです」というケースがいくつかありました。
私が何を言いたいかと言うと、その方々は瞑想などをして、内側に向き合うことで、誰かに愛されたい、という抑圧していた感情に気づいた、と言うこともできるのです。
ですから、瞑想はある意味で癒されていない感情を見つけ出すための手段なのかもしれません。
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さて、「感情を癒す」ということについてこれから、書きます。
その方は苦しい感情が出てきた時、「ホ・オポノポノ」を使って癒した、とおっしゃっていました。
そのようにして、自分にやさしく声をかけて癒してあげるのが良いと思います。
とても優しく、温かい気分で抱きしめてあげるのです。
私の場合、ネガティブな感情をハートにとりこんで抱きしめてあげることをします。
後、私がやってきたのは、表現活動で感情を浄化、あるいは昇華させることでした。「noteに書く」ということも表現の一つです。ダンスでも歌を歌うことでも良いです。
体操やヨガのポーズ、ジョギングなどで身体を動かすことも大事です。むしろ、瞑想よりもこちらを先にやった方が良いです。
ですが、ほんとうの癒しや浄化と言うのは、感情といっしょにいて、抱きしめてあげることです。受け入れることです。
今まで、何度も書いているのですが、私のハートがひらき、そこで安らぐことができるようになったのは、もう死んでしまった方がましだ、何てみじめなんだろうと思っていた人生を全てまるごと抱きしめるように認めたからです。
その時、とても深いレベルで変容が起き、たくさんの涙が出ました。
私がこの発信活動でほんとうに伝えたいことは「苦しみを受け入れる」ということだけなのです。
全てを受け入れたその時、「愛」と言う言葉のほんとうの意味が分かります。
苦しみといっしょにいること。これだけです。むしろこの方法でしか、本当の意味でハートはひらかないかもしれません。
ちなみに私にも癒されていない感情はあります。
私は以前から書いていますが、特定の思考や行動のパターンから来ていると思われる病気を患っています。それは喘息、皮膚病、神経症です。
これらは自分の内側に閉じこもっている時になりやすいのです。ひとと関わることを避けている時です。
私が向き合ってきた感情は、「見捨てられてしまうかもしれない」、「愛される価値がない」というものですが、少しずつ今、癒している最中です。
20代の半ば、あるひとに「あなたは愛される資格がある」と言われ、抱きしめてもらったことがきっかけで、
自分は愛されても良いんだ、ということ、体感(体温)を通じて知りました。
そのひとに抱きしめられるたびに涙が出たものです。その方は別にセラピストではなかったのですが、私はある種のセラピーを受けていたんだな、と思います。今でも感謝しています。
そのように身体感覚を通じて、ダイレクトに癒しが起こる場合もあるので、スピリチュアルなことだけにこだわらないことです。
抱きしめてくれるようなパートナーがいなければ、自分で自分を抱きしめてあげることです。
そのためにハートを使ってください。ハートは感情を変容させる恩寵が降り注ぐ場所です。
そして、感情を癒すには、まず、それに気づく、ことです。
ひとは自分の感情と一体化していて、それに気づくことができません。
気づくことをした後、私は、
「ひとから嫌われるのがこわい」、「どう思われるだろう?」という思い込みをちょっと乱暴ですが、
「嫌われてもいい」、「どう思われても関係ない」と置き換えることをしました。
zoomで対話したり、瞑想会をひらくことに多少の疲れはありますが、こうして、外に向けて発信し、他者と交流することで自分の感情が癒えている感覚が確かにあります。
行動や思考の古いパターンや精神的な傾向(カルマ)が取り除かれると、病気が癒える可能性もあります。
感情に気づき、それを抱きしめて、飛び込んでいった先には、光が溢れているかもしれません。
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