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「永遠のいのち」を見つける。

数年前、皮膚病を患い、歩行が困難なほど苦しんでいた時、ずっとウクレレを弾いていた。

なぜかウクレレを弾きながら歌っている時、痛みも痒みも感じなかった。

そして、歌を歌っている時、ハートが涙を流しているような感覚があった。

音楽を聴くこと、歌を歌うことは自我をハートに溶け去らせる効果がある。

二十代の半ば頃から頑張って何か外側のことをやろうとすると、ストップがかかるようになった。

前回の記事でも書いたけれど、今まさにストップがかかっている。

そして、強制的にストップがかかるたびに、内側の変容が起きる。

自然に自分の心(想念)が胸にあるハート・センターの中に吸収されて、鎮まるようになった。

そして、外側のことを行うための行動力が奪われている感覚がある。

愛としか言いようのない優しさや慈悲心がハートから溢れ出てきて、世界中を包み込み、深い平穏を感じる。

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足に怪我を負って、上手く歩けないために、父親が車で病院まで連れて行ってくれた。

病院に着くまでの10分間、互いに何も話さなかった。黙ってカーナビから流れてくるニュースの音声を聞いたり、街並みを眺めていた。

幼少の頃、仕事から夜遅く帰ってくる父親に何度も夜間の救急に連れて行ってもらったことを思い出した。

自分は大事にされてきたんだな、と思った。

愛の中にいると、ノーマインド(思考の無い静寂)になる。

ハートの中に心が鎮まる時、ひとは平穏を感じる。

そして、「もう、将来の心配をしなくても良い」というつよい実感も湧いた。

「努力して、何者かにならなくてはいけない」、「将来のためにたくさんのお金を貯金しておかなければいけない」

そう言った将来の不安や恐怖が湧いてきたらそれに気づいて、ただくつろぐ。

気づきが日常的になると、意識がマインド(頭)からハラ(腹)に落ち着くようになる。

すると、深いくつろぎが生まれる。

同時にハートもひらく。

人生に何も起こらなくても、状況が変わらなくても、大丈夫だと思える。

ハートと言う「永遠のいのち」を知ったひとはもう大丈夫だ。そこには、身体の生死を超越した平穏がある。

特定の行動のパターンや神経症的な振る舞いもそうだ。

それは個人の意志で変えることはできない。内側の深いくつろぎのなかにいることでしか変容できないのだ。

気づきを伴うリラックスをして、ただ静かにそこに「在る」こと。

すると、ハートの中に精神的傾向を持つ心が吸収されて、平穏がやってくる。

つまり、全てを明け渡し、信頼することだ。

何かになろうとするとき、ハートはあなたから遠のき、全てを諦めた時、ハートがあなたのことを包み込む。

ハートに心が鎮まった時、あなたは「家」に帰る。

聖者ラマナ・マハルシは17歳の時、身体活動が停止する体験をし、死の間際に悟りが起こった。

ハートに在る「本当の自己」は永続すると言う確信を得たのだ。

私は心臓の筋肉組織が止まるのを感じました。私は肉体が死骸のようになり、血液循環が止まったのを理解しました。肉体は青色になり動かなくなりました。……その間ずっと私は右側のハート・センターが、いつもと同じように働いているのを感じていました。この状態は二十分間続きました。

柳田侃; ポール・ブラントン; ムナガラ・ヴェンカタラミア. 不滅の意識 . 株式会社ナチュラルスピリット. Kindle 版.

自分は死の体験をしたことがないので、分からないけれど、身体が朽ちた後も、ハートにある「永遠のいのち」は終わらないだろう、という確信を持っている。

ハートを根拠とする「在る」という感覚だけを信頼して生きる。

この「永遠のいのち」を見出し、そこに安らいでいるものにとって、不安や恐怖はない。在るのは静寂と平穏だけだ。

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