あるがままの美しさを知る。
昨日の瞑想会でまず、私たちは身体の調子が悪いところに意識を向ける瞑想をしました。
リラックスした状態で、スキャンするように身体に意識を向けると、身体のどこかの部位が私たちにメッセージを送っていることが分かります。
ですが、大抵の場合、長年の習慣(カルマ的な行動のパターン)がそれを押さえつけてしまっているんです。
瞑想やヨガをやることで身体の感覚に意識を向けることができるようになると、身体の特定の部位──内臓から送られてくるサインを受け取りやすくなります。
ちなみに私は最近、お腹の調子が悪いです。
そして、深い静寂の中で、お腹に意識を向けて耳を澄ませました。
するとお腹は私にこう告げてくれました。
「もっと運動してほしい!」
「食べ物に気を使って!」
「そして、目の使い過ぎに注意!」
三番目に関して、目の使い過ぎ、というのは、神経質になりすぎないで、ということだと思っています。もっと大らかな心で、心配せずにいて大丈夫だよ、ということです。
私の場合、目を使いすぎると、いつもお腹が痛くなります。
私は「見て見ぬふりをしてごめんね」と言い、お腹に心からの感謝を捧げさせて頂きました。じんわり温かい感覚がすぐにやって来ました。
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それから、瞑想会の後、「瞑想中にねむってしまいました」という感想がありました。
眠くなる場合、立ち上がっても良いんです。
別に瞑想中に寝てしまったらダメというわけではありません。呼吸が深くなると脳波が変化します。アルファ波、もっと進むとシータ波が出ます。
ですから、眠くなるのは当たり前なんです。
そもそもリラクゼーションを目的として、瞑想をされるのであれば、ねむってしまっても良いと思います。Youtubeでも「眠る前の瞑想」はたくさんありますからね。
問題は何を目的として瞑想をするかです。
私の場合、「悟りたい」と言うのがありました。
個人的に、あるがままがここにあるなぁ、ということを知ることが悟りだと思うのですが、
そのためには、静寂を感じられるようになることです。
静寂の中にいる時、思考や欲望に巻き込まれていないので、あるがままの至福、美しさに気づけます。
あるがままの美しさを知ると言うのは、道端に咲いている花が、ただそこで咲いているということです。
特別なことが何も起きなくても、幸せだなぁ、と感じることができるようになるには、目が覚めている必要があります。
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